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『リズと青い鳥』『若おかみは小学生!』『ガルパン』……傑作を生み出す脚本家・吉田玲子とは

2019年01月20日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 脚本とは、作品の設計図である。設計図が狂っていたらどんな建物も建たないのと同じで、しっかりした脚本がなければ、映画もアニメも作れない。映画学校時代、「良い脚本を悪い映画にすることはできる、しかし悪い脚本を良い映画にはできない」と口酸っぱく講師に言われたことを覚えている。


参考:<a href=”https://www.realsound.jp/movie/2018/10/post-262677.html”>少女の通過儀礼から無我の境地までも描く 『若おかみは小学生!』がもたらす極上の映画体験</a>


 今、日本のアニメ界で最も信頼できる脚本家は誰か、と問われれば筆者は「吉田玲子」と即答する。花田十輝も横手美智子も小林靖子も岡田麿里も素晴らしいが、設計図としての脚本の安定感が図抜けており、ジャンルを問わず高水準の作品を産み出し続けている。


 『映画 聲の形』『リズと青い鳥』などの山田尚子作品、青春映画『夜明け告げるルーのうた』、児童文学の映画化『若おかみは小学生!』や『かいけつゾロリ ZZ(ダブルゼット)のひみつ』、戦車や戦艦のバトルもの『ガールズ&パンツァー』と『ハイスクール・フリート』、女性に人気のスポーツもの『弱虫ペダル』や『チア男子!!』など、近年手がけたアニメ作品を並べるだけで、彼女の作風の幅広さがわかるだろう。


 ジャンルをまたいであらゆる作家の良さを最大限に引き出す吉田の脚本。彼女のセンスはどこから来るのか、吉田の脚本と作品、インタビューなどから紐解いてみたい。


・脚本家・吉田玲子はラジオドラマから始まった
 
 吉田玲子のキャリアは、ラジオドラマから始まった。自ら応募したラジオドラマのシナリオコンクールに入選し、次々とオンエアされている。


 3本の入選作の1本『悪役志願』は、「月刊ドラマ」1993年1月号で読むことができる。もう2本『ぼくと海賊の夏』と『蟻の穴』は、「月刊シナリオ教室」1993年3月号に掲載されている。すべて読んでみたが、今や閲覧する機会も少ないと思うので簡単にではあるが紹介したい。


「月刊シナリオ教室」1993年3月号(撮影=杉本穂高)
 創作ラジオドラマ脚本懸賞で入選を果たした『悪役志願』は女子プロレスの悪役レスラーの物語だ。体格が大きいことがコンプレックスだった優子は、母の反対を押し切り女子プロの門をたたくが、華やかなルックスを持つ同期のりかを売り出すため、悪役レスラーになることを勧められる。ヤジを浴びる悪役というポジションに葛藤しながらも、魅力ある悪はとても人間的であることに気づき、自分なりの悪役のあり方を見出し、遂にはスター選手となる姿を描いている。


 アニメ作品で吉田玲子の存在を知る者には、彼女が女子プロの悪役の物語を書いていることを意外に感じるかもしれない。しかし物語は主人公の同期・りかとの友情と複雑な想いを描いており、主人公の前向きな姿勢など昨今の吉田の諸作品にも通じるものがある。


 NHK中・四国ラジオコンクール佳作の『ぼくと海賊の夏』は、広島の因島に暮らす10歳の少年とタイムスリップしてしまった村上水軍の侍、源兵衛のひと夏の交流を描いた作品だ。コンクールの3年ほど前に広島に帰省した際に、村上水軍の資料を見て海賊の話を書きたいと思って完成させた作品だそうだ。


 いじめられっ子の少年は、源兵衛の教えを受けて成長し、源兵衛は過去の行いのせいでかけられた呪いを、溺れる女性を助けることで解放され、2人は別れてゆく。ラジオドラマは音とセリフだけで表現するものだが、夏の海沿いの街の情景をありありと浮かび上がらせ、ひと夏の少年の成長がさわやかに描いている。


 BKラジオドラマ脚本懸賞佳作『蟻の穴』は、3本の中で最も意外性が強い。ある核家族の家庭が50代の家政婦、加代子を雇う。加代子は朗らかな性格で家事も完璧にこなし、家族からの信頼を勝ち取る。しかし彼女は、家族に嘘を流し、父と母を家から追い出し、子どもたちを懐柔。遂には家を乗っ取ってしまうという。物語は7歳の息子・聡のナレーションで進行するのだが、ラストで


「加代子さんは庭へ出て、ボクたちの家を仰ぎ見た。そして、今までに見たことのないゾクッとするような不気味な笑顔を浮かべた」(「月刊シナリオ教室」1993年3月号 P.46)


と言いつつ、


「加代子さんなら、どんなにテストの点数が悪くても叱らないし、好きなだけお菓子を食べさせてくれる」(同誌P.46)


と、その状態に満足してしまっている。そして、


「本当に、ボクとユリはブクブクと太り続ける一方だ」(同誌P.46)


というナレーションで幕を閉じるというブラックなユーモアに溢れた作品だ。


 吉田玲子について明るい作風をイメージする人が多いと思うが、こうした人間のダークサイドを描くタイプの作品は珍しい。同誌の寄稿文で「市原悦子さんに読んで欲しい」と思いながら書いたと述べている。


 いずれの3作品とも、非常に読みやすく、スッと情景が思い浮かぶし、人物の感情の筋立ても整理されている。下手なシナリオを読むと、情景が浮かんでくるまでに時間がかかるのだが、この3作品はすべて、文字とともに画が浮かんでくるし、キャラの感情変化のポイントもわかりやすい。この頃からすでに職人的な構成力の上手さを備えていたことがよくわかる。


・友人の誘いがきっかけでアニメライターへ
 
 吉田玲子がアニメの脚本に関わるきっかけになったのは、小山高生が主催する「アニメシナリオハウス」を受講したことだった。その受講に誘ったのは吉田の友人だったそうで、その友人の誘いがなければ、今日、吉田がアニメの世界で活躍することはなかったのかもしれない。


 主催の小山は、編著『だからアニメシナリオはやめられない』(映人社)で吉田について、「当時から吉田はコネクションさえ得れば、十分にプロとしてやっていける資質に恵まれていた」(P.107)と評している。


 この『だからアニメシナリオはやめられない』はアニメシナリオハウス出身の脚本家たちのリレーエッセイが中心の本なのだが、吉田もエッセイを寄稿している。総勢34人の脚本家が仕事のつらさや続ける秘訣、上手くなるコツなど、若干の「先輩風」を吹かした文章を残している中、吉田だけはシナリオハウスに誘ってくれた友人への感謝と、尊敬する作家・桶谷顕氏への哀悼を表明し、「修行の日々はまだまだ終わりそうにありません」(P.106)と謙虚な文章を残している。


 このエッセイは脚本ではないが、彼女の資質がよく現れているように思う。「シナリオライターはサービス業でもある」という小山の教えを吉田は紹介しているが、ささくれだった部分も斜に構えた部分もひとつもない。どこまでも正直で誠実で前向きで、シンプルだ。


 その後、吉田は『ドラゴンボールZ』や『少年サンタの大冒険!』など数多くのTVアニメのシナリオに参加する。『ひみつのアッコちゃん』では細田守とも出会い、初期の細田作品になくてはならない存在となる。とりわけ『デジモンアドベンチャー』劇場版の2本は細田・吉田コンビにとって重要な仕事だったろう。幻となった細田版『ハウルの動く城』の脚本も吉田は脱稿していたと言われているが、もし実現していたら一体どんな作品になっていたのだろうか。


・吉田玲子が『ガルパン』の脚本家に指名された理由
 
 吉田の重要な仕事はいくつもあるのだが、ここでは特に近年重要と思われる作品から彼女の脚本家としてのセンスに注目してみたい。


 吉田玲子と言えば、山田尚子作品や『たまゆら』『ARIA』などの、少女たちのささいな機微を繊細に取り上げる日常ドラマや児童作品で知られる一方、戦車で少女たちが戦う『ガールズ&パンツァー』の全話の脚本を手がけていたりもする。吉田自身はインタビューでも戦車に詳しくないことは語っているが、それではなぜ、『ガルパン』の脚本家に吉田が指名されたのだろうか。


 それは、『ガルパン』制作陣がまさにそんな吉田のセンスを必要としたからだ。


 考証・スーパーバイザーの鈴木貴昭は『ガルパン』アニメ化の経緯を振り返りこう語る。


ーーアニメ化するなら、こうしたほうがいいよっていうポイントはどこだったんですか。


鈴木:我々マニアだけで作ってはダメだってことですね。マニアが作ると薀蓄がメインになるので観ている人に優しくないんですよ。だから、脚本家さんはやっぱり、ちゃんとキャラもの、青春ものとして書ける人じゃないとダメだろうと。(「Continue Special」ガールズ&パンツァー 50ページ大特集P.47)


 『ガルパン』の脚本会議は、軍議のように地図に戦車のプラモデルを乗せて、水島監督や鈴木が戦略を練るのを、吉田がメモしながら進めていたそうだが、玄人目線ではない吉田の視点でまとめられたからこそ、誰にでもわかりやすい作品になったのだろう。さらに、大量のキャラクターを、誰一人埋没させることなく、青春群像ドラマとして成立させた手腕は特筆ものだ。


 ちなみに、水島努監督は『ガルパン』で、萌えに頼らない作品を目指していたそうだが、吉田が取材で戦車に乗った際、車内が蒸して熱いことを実感したため、試合後の入浴シーンを入れることを提案したそうだ。(「別冊Spoon vol.32」P.13)


 「シナリオはサービス業でもある」の言葉通り、視聴者に対するサービスともとれる提案だが、同時にリアリティの確保にもつながっており、こうしたシーンの的確な選択にも吉田の仕事の質の高さが伺える。


・湯浅政明は吉田玲子に何を求めたか


『夜明け告げるルーのうた』(c)2017ルー製作委員会
 独特の映像センスでカルト的な人気を博していた湯浅政明監督は『夜明け告げるルーのうた』のパンフレットで、「『夜は短し歩けよ乙女』は自由に作ったが『夜明け告げるルーのうた』は、観てくれる方がどう思うかを優先して想像しながら作っていました」と述べている。


 湯浅政明は吉田玲子に何を求めて脚本に指名したのだろうか。


 吉田は、インタビューで「広い客層に向けたものを、ということ以外に、女性目線で考えてほしいということでお声がけくださったようです」(「月刊シナリオ教室」2017年11月号 P.4)と答えている。また湯浅自身が「吉田さんのアイデアはできるだけどんどん取り入れ」たとも述べており(参照)、ストーリーに関しては、吉田のテイストがかなり活かされた作品だといってよいだろう。


 例えば、ヒロインのルーが人魚になったのは吉田のアイデアだそうだ。当初はヴァンパイアだったらしいが、「映画館に会いに行きたくなるようなかわいらしいキャラがいいんじゃないですか?」という吉田の提案を受けて変更された。ヴァンパイアという闇の眷属は、いかにもこれまでの湯浅監督らしいアイデアだが、人魚の方がより広く子どもたちにも愛されやすいかもしれない。本作はビジュアルに関しては湯浅政明のセンスが存分に活かされており、ダンスシーンや洪水のシーンなど、監督のセンスが存分に発揮できるシーンもきちんと用意しており、作家の個性もよく理解した上で書かれている。


・児童作品でも力を発揮する吉田玲子
 
 吉田玲子は、映画や深夜アニメだけでなく、児童向け作品でも大きな功績を残している。『おジャ魔女どれみ』や『おじゃる丸』などに参加、2001年のNHKオリジナルアニメ『カスミン』のシリーズ構成も務めている(湯浅政明とはこの時に出会っている)。


 近年のこの路線での吉田玲子の大仕事は、なんといっても映画『かいけつゾロリ ZZ(ダブルゼット)のひみつ』だろう。本作は『かいけつゾロリ』シリーズ30周年記念作品で、原作でも語られることのなかったゾロリ誕生秘話を描いているが、原作者の原ゆたかによれば(参照)、本作のプロットを考えたのは吉田玲子だという。


 ゾロリの衣装のトレードマーク「ZZ」が突如消えてしまい、過去にタイムスリップしてしまうゾロリたち。ゾロリはそこで若い頃の母、ゾロリーヌと出会う。「ZZ」のマークには今は亡き母の愛が込められていたことを知るゾロリ。父と離れ、母を亡くした孤独なゾロリだが、その胸のトレードマークは両親の愛の証だったのだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を下敷きに、上映時間72分の中に、笑いあり、涙あり、冒険譚ありと多くの要素を詰め込んだスペクタクルロマンで、吉田のストーリーセンスがいかんなく発揮された傑作だ。


 昨年大きな話題となった『若おかみは小学生!』も児童文学の映画化だったが、児童作品に当初は抵抗があったという高坂希太郎監督をアシストする意味で、吉田の経験は重要だっただろう。公式サイトで非常に深遠なテーマを掲げている高坂監督だが、大人も子どもも楽しめる作品に仕上がったのは吉田の貢献度も高いだろう。


・山田尚子のひらめきを支える吉田玲子の言葉
 
 山田尚子と吉田玲子について語るには、それだけで独立した記事として作らないと語り尽くせない。ここでは2人の最新作『リズと青い鳥』から、その相性について語ってみたい。


 『リズと青い鳥』は、みぞれと希美の2人の世界にフォーカスした作品だ。何ごとも事々しく起こらず、ふとした視線や瞬きの速度、わずかな唇の動きに豊かな感情を乗せて語る作品であり、まるで即興芝居で作ったかのようなリアリティと繊細な芝居で、京都アニメーションの画の力に圧倒される。


 では脚本の貢献度は低いのだろうか。美術批評家の土屋誠一氏は、 脚本において特段の工夫はないと述べている(参考:https://twitter.com/seiichitsuchiya/status/1083364232194740226)が筆者はそうは思わない。即興芝居のように見える芝居をアニメーションで構成するには高度に練られた設計図が必要だったはずだ。


『リズと青い鳥』特典アフレコ用台本(撮影=杉本穂高)
 『リズと青い鳥』特典のアフレコ用台本を読むとそれはよくわかる。アフレコ台本は脚本から絵コンテを起こして画にしたものを、再度文字にしたものなので、すべてのト書きや台詞が吉田玲子の手によるものではないが、彼女の書いた片鱗はそれなりに読み取れる。少し台本から引用してみたい。


クライマックス近く、希美がみぞれのソロ演奏に圧倒されて生物学室に逃げてきたところを、みぞれが追ってきたシーン、
希美(off)「なんか、同等になれるかなーって思って同じ音大行くって言った」
みぞれ 理解が追いつかない
希美が見せてくる感情が書庫になく、戸惑う
みぞれ「・・・・?」
希美「わたし才能ないからさ、みぞれみたいにすごくないから。音大行くって言ってればそれなりに見えるかなって、思って」
二人
希美は否定してほしい
寄り  希美、認められていると確認したい。考えが混線し
みぞれ「のぞみ」
希美「わたし、みぞれみたいにすごくないから」
どんどん惨めな言葉選んでしまう
思わず一歩下がってしまうみぞれ
希美も小さく半歩下がる


 こういうト書きは実写作品の脚本ではあまり見かけないが、「月刊シナリオ教室」2017年11月号のインタビューで吉田は、「アニメーションの場合はキャラクターが自分で考えて演技してくれるわけではないので、セリフのニュアンスや表情が伝わるようなト書きも書きます」(P.5)と答えており、アニメ作品ではよくあるようだ。しかし、コメンタリーで声優たちも言及しているが、本作の感情ト書きはかなり多いほうらしい。言葉で本音を言わない2人が主人公の本作ならではの配慮だろう。


 台本を読むと、アニメーターと声優がいかにしてこの静謐な作品に豊かな感情の波を乗せていったのかがよくわかる。キャラクターがどこで本音を我慢して、どのタイミングでそれが決壊して、その時どんな台詞が出てくるのか、非常に説得力のある構成がなされている。一歩下がるみぞれに対して、希美は半歩下がるなど、芝居の指定も非常に細かい(念のため再度書くが、アフレコ用台本なので、上記の引用箇所が吉田玲子の書いたト書きではない可能性もある)。


 どのシーンで、どのキャラを絡ませるのかの選択も上手い。廊下でする会話と教室でする会話は、当然異なり、それぞれに相応しいやり取りがあるが、それを踏まえつつ、キャラの組み合わせによってはそれをずらしていく。例えば、高坂麗奈が、みぞれに手を抜いているんじゃないかと迫るシーンがあるが、これは廊下のシーンだ。強気な麗奈だからこそ廊下でそんな会話ができてしまうというキャラ描写につながっている。


 シーン選択でいえば、『映画 聲の形』では橋のシーンが数多く登場する。「月刊シナリオ教室」のインタビューでも「大垣は水路のような川や堀が多く、そのため橋も多いんです。『川と橋』というのがメインビジュアルだけでなく、テーマ的にも象徴的だなと思いました。橋は、別け隔てるもの、”橋渡し”というように隔てていたものを渡すもの、という2つの意味を持たせています」(P.5)と語っていて、吉田のシーン選択は必然性やリアリティに留まらず、画のイメージで語る工夫がなされている。


 山田尚子は吉田玲子の脚本を「吉田さんのシナリオは言葉や景色だけでなく、その瞬間の匂いや色まで感じさせてくれます」と評しているが、彼女の豊富な映像センスにインスピレーションを与えているのは、吉田玲子の脚本なのだ。


・泥の中のきらりと光る宝石
 
 吉田玲子のデビュー作『悪役志願』にはこんな台詞がある。悪役レスラーという存在に葛藤していた主人公が、悪役の魅力に気づき、自分だけの悪役のスタイルを作っていく時にこう言う。


「・・・薄汚くて抜け目ない、そんなワルでも、きらりと光る宝石みたいなものを持ってる」(「月刊ドラマ」1993年1月号 P.104)。


 吉田は、これと似た言葉を2013年の『たまこまーけっと』のインタビュー時にも残している。


「井上ひさしさんが登場人物の言葉として言わせているんですけど、『世の中には灰があって泥があったりするけれども、自分たちの仕事はその中から宝石を取り出して見せることだ』っておっしゃっていて。それすごくいいなあと思っていて。自分の仕事もそうでありたいなってのはちょっと思ってます」(「Cut」2013年2月号 P.19)


 デビュー作には作家性が強く反映されるというが、「きらりと光る宝石」というイメージは吉田が本当に大切にしているものではないだろうか。吉田の手がけた作品のどれもがそんな瞬間に満ちあふれているように思える。今年は湯浅政明監督の新作で再び脚本を務めていることがわかっているが、今度はどんな宝石を見せてくれるだろうか。
(文=杉本穂高)