■国民的ヒットになったDA PUMP “U.S.A.”。話題には事欠かないが、楽曲としては……
DA PUMP“U.S.A.”が苦痛だ。今年6月にリリースされてすぐにビデオがバズった時期から対談などで“U.S.A.”の話題を振られる機会が度々あり、2018年後半を通しての国民的ヒット化を経て、このところ年末にかけてそうした機会は増える一方なのだが、その都度、適当にお茶を濁してきた。いや、DA PUMP再生のストーリーだとか、ビデオで取り入れられたシュートダンスやDABポーズだとか、歌詞に込められた現在の日米関係に関するアイロニーだとか、語るべき文脈がいくつもあるのは承知している。昨年の(同じくライジングプロダクションが仕掛けた)荻野目洋子“ダンシング・ヒーロー”リバイバルと比べれば、現象としていくらか同時代性もあるのだろう。しかし、あくまでも楽曲単体としては、どのような側面からも評価や擁護のしようがないというのが正直なところだ。
“U.S.A.”は1992年にリリースされたジョー・イエローによるユーロビート曲のカバーなわけだが、80年代後半の時点で日本以外の国では流行音楽としての役割を終えたユーロビートは、1992年の時点では既に「音楽」ではなく「風俗」に属するものだった。つまり、“U.S.A.”は音楽のリバイバルですらないのだ。そのことを当時ユーロビートの日本における謎の持続力に対して一様に失笑していた、ある年代以上の人なら知っているはずなのに、“U.S.A.”に対してはみんな不思議なくらい寛容だ。
今年10歳になった息子は普段ラップばかり聴いているのだが、日本のすべての小学生がそうであるように“U.S.A.”にも夢中で、テレビで“U.S.A.”が流れる度に「いいねダンス」を始める。彼は今年の前半はテレビコマーシャルの影響でいつもX JAPANの“紅”を歌っていたし、最近ではテレビドラマの影響で嶋大輔の“男の勲章”を歌いながら意気揚々と下校してくる。端的に言って「地獄だな」と思ってる。一日中、“PPAP”や“PERFECT HUMAN”を歌っているのを聞かされていた2年前の冬休みもそれなりの地獄だったけど、少なくともそれらは「今の音楽」だった。
■ノスタルジーの中で消費された安室奈美恵の引退劇
では、親世代は2018年、何に夢中だったかというと、言うまでもなく安室奈美恵だ。2017年9月の引退宣言から今年9月のラストツアー最終公演までの世の中の騒ぎについては改めて語るまでもないだろうが、結局今年の年間アルバムランキング(オリコン)でも安室奈美恵のラスト&ベストアルバム『Finally』がダントツの1位。これで『Finally』は2年連続の年間1位に。ちなみに昨年のアルバム年間2位はSMAPのベストアルバム『SMAP 25 YEARS』で、今年のアルバム年間3位はサザンオールスターズの一体これまでとどうエディションが違うのかファン以外にはよくわからないベストアルバム『海のOh,Yeah!!』。いまだにCDを買っている層の中心がどのあたりの世代なのかがよくわかる。
安室奈美恵はゼロ年代以降のJポップシーンにおいて、例外的に海外の音楽シーンの動向にも敏感に反応して音楽的アップデートを繰り返してきた存在だったが、昨年の引退発表以降の一連の回顧企画などで焦点が当てられるのは、90年代のアムラーブーム、つまりは小室哲哉プロデュース時代の曲が中心だった。数年前まで、何よりも安室奈美恵本人がステージ上でも当時の曲は完全に封印していたわけだが、具体的に引退の時期を決めたのをきっかけに本人もステージ上で再び歌うようになり、『Finally』でも再レコーディングすることに。だから、ある程度そうなるのは仕方がなかったとはいえ、結局は90年代へのノスタルジーの中で安室奈美恵の引退劇は消費されることとなった。
■星野源と米津玄師の「ストリーミング解禁」は?ワンオクとセカオワの精力的なグローバル展開にも注目
YouTube世代などと言われながらも、現実的には今も地上波で流れるテレビ番組やコマーシャルからの影響を一番まともに食らってしまう子供たち。ストリーミング時代に移行しても、律儀にベストアルバムのCDを買い続け、夏にはBon Joviの曲で盆踊りをしている拡散動画に色めき立ち、冬には『ボヘミアン・ラプソディ』を観るため劇場に詰めかける大人たち。そんな子供たちと大人たちに挟まれた(おそらくはCINRA読者の中心である)若者が支持している星野源や米津玄師は、今年後半にリリースしたそれぞれの作品や、年末のマーク・ロンソン(星野源)やザ・ウィークエンド(米津玄師)とのライブで、これまでとは違った距離感と角度から同時代の海外のポップミュージックの最前線にアプローチをするようになった。
「これまでとは違った距離感と角度」というのは、同時代の北米中心のポップカルチャーに心情的に寄り添い、音楽的なインスピレーションの糧にしながらも、決してそこに「挑む」というスタンスではないことだ。それは、彼らが今や日本の音楽シーンにおいても芸能プロダクション系のシンガーやグループ以外では稀な存在となった「ストリーミングを解禁していないアーティスト」であることにも表れている。2019年に入っても彼らの勢い(人気だけでなくそのクリエイティビティにおいても)が止まることはないと思うが、自分が注目しているのは、一体どのタイミングでストリーミングを解禁するかということだ。
日本は、今や世界でも類を見ない「バンドミュージックの国」でもある。そんな「バンドミュージックの国」から世界に「挑む」存在として、2019年2月にリリースされるONE OK ROCKのニューアルバム『Eye of the Storm』(ほぼ同じ内容の海外盤が同週にワールドリリースされる)と、国内向けアルバム2作の同時リリースを経て来春ワールドリリースされるSEKAI NO OWARIのEnd of the World名義によるデビューアルバム『Chameleon』にも注目している。その2組の動向及びアジアを含む海外からのリアクションを中心に、それが一定の成功を収めるにせよ失敗に終わるにせよ、2019年は日本の音楽シーンにおいて「世界との距離」がこれまで以上に大きなトピックとなっていくだろう。
■待望の「時代を背負った女性シンガー」あいみょん。2019年は日本の音楽シーンがもっと面白くなる
最後に、2018年後半にかけてストリーミング・チャート上位を複数の曲で延々と占有し続けているあいみょんについても触れておかなくてはいけない。CD売り上げのピーク期にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみら1998年組以降では、ゼロ年代日本のガラパゴス的音楽環境の象徴でもある「着うた」から人気に火がついた西野カナがほとんど唯一の存在であった、長らく待望されていた「時代を背負った女性シンガー」の登場。興味深いのは、彼女が2018年に台頭した要因として(海外から何年も遅れてようやく日本でも普及しつつある)現在のストリーミング環境が大きく寄与をした一方で、彼女の音楽性自体は日本固有のフォークミュージックやニューミュージックに連なるノスタルジーを強く喚起させるものでもあることだ。いずれにせよ、2019年2月にリリースされるニューアルバム『瞬間的シックスセンス』によって、今のあいみょん現象はさらに顕在化していくことになる。
新しいスターは、新しい環境から生まれる。その環境の変化を意図的に遅らせてきた日本の音楽業界は、あいみょんのメガブレイクによって日本の若い音楽リスナーがもう次の時代に移行していたことを思い知ることとなった。ストリーミングのインフラ化、(YouTubeでのフル再生を前提とした)ミュージックビデオへの注力、既存のマスメディアや広告ではなくソーシャルメディアを軸とするアーティストのセルフブランディングとファンダム形成、アーティスト同士の活発な創作上の交流などによって、数年前から何度目かの黄金期を迎えている海外のポップミュージック。本稿では触れる余裕がなかったが、現在の日本のインディーズやアンダーグラウンドには、そんな新しい環境で活躍するのを待ち構えている若い才能がひしめきあっている。日本のメインストリームの音楽シーンが本当に面白くなるのは、きっと2019年からだ。(文・宇野維正)