2018年限りでF1キャリアにいったん区切りをつけたフェルナンド・アロンソの軌跡をたどるShots特別編。今回はフェラーリ、マクラーレン・ホンダ時代を熱田カメラマンの写真とともに振り返ります。
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2010年からフェルナンド・アロンソ選手はフェラーリへ。
テストから調子よく、いよいよ3度目のチャンピオン獲得かと……
フェラーリ地元で完全勝利!
ランキングもトップへ!
この時のモンツアは盛り上がりました!
タイヤはブリヂストンです!
なんだか、すごく昔のように思いますけど8年前か……
韓国GP。
予選で3位に憮然とした表情。レースでは優勝しました。
しかし、2010年はランキング2位に終わってしまいます。
2011年からは、レッドブルが速くてセバスチャン・ベッテル選手の快進撃が始まり。
インドGP。
なんとなくさえない表情です。
インド、、、治安の問題もあり、できる事ならあまり行きたい国ではありませんね……
ランキング4位に終わった2011年。
金色の2012年、モナコGPのトンネルの出口。
この年は調子よくドイツGPでも優勝、ランキングトップを快走していたものの後半ベッテル選手の猛追でランキング2位となりました。
2012、2013は惜しくもランキング2位。
2014年は6位と低迷……
そうすると、またまた我慢ならなくなり、フェラーリ批判が始まり、2015年からマクラーレン・ホンダに移籍。
例えばという話はないんだけど、あえて言えば、フェラーリにもう少し我慢できていればチャンピオンを何度か取れていましたよね。
そうすれば、多分、2019年も走っていたんでしょう。
マクラーレンに移籍してからは、みなさんご存知のように下位に低迷しっぱなし……
そうすると、アロンソ選手のホンダ批判がどんどん出るわ出るわ……その発言に、反感を覚えてしまった方もたくさんいらしゃると思います。
そこまで言わんでもいいんじゃないのとも思いましたけど。。。
「マクラーレン・ホンダ」と「アイルトン・セナ」という名前、その圧倒的な強さと速さの良いイメージしかないという事が、実際走り始めて様々なトラブルがあるたびに逆マイナスイメージになってしまったという側面もありますよね。
マクラーレンの車体もホンダ製パワーユニットの性能どちらもアロンソ選手が期待していたパフォーマンスが出せなかったわけですね。
仮に、ホンダPUがルノーを超える性能を持ち合わせていたとしても、車体のパフォーマンス不足があっただろうし、逆も同じ結果だと思います。
トップドライバーが移籍を決断する時、移籍先からは夢見ごちなほどの話を持ちかけられ熱烈歓迎されるわけです。今いる場所より良くなるに違いないと思いたい、しかし、それは確証などなく、結果賭けになる。
そんな事はわかっているとしても、隣の芝は青く見えるのは致し方ないのか……
アロンソ選手自身の性格もあるとは思うのですが、彼の側近に冷静な助言を的確にしてあげられる人がいたとしたら4回くらいはチャンピオンになれていた気がしないでもない。
2019年シーズン、アロンソ選手が走らないF1はどう感じるんだろうとも思うけれど、レッドブル・ホンダのこと、シャルル・ルクレール選手のフェラーリ、など楽しみにしつつ、今は食べ過ぎに注意しつつオフシーズンを過ごしたいと思います。