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The Wisely Brothers 真舘晴子が語る『ザ・スリッツ』 「女性であることの可能性はどんな方向にも生かせる」

2019年01月01日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 スリッツの映画を観た次の日、私はずっとしまっていたピンクのコートを着て外に行った。サンフランシスコの古着屋さんのオンラインショップで去年見つけたそのコートは、サイズ感など写真からしか想像できないけど、どうしても欲しくなり購入した。季節に関わらず、そのコートを部屋の中で何度も羽織っては、可愛いけれどなんだか派手だ、外に着ていけない気がする、と思ってクローゼットにしまっていた。だけどこの日は、このコートを初めて外に着て行きたい気持ちになった。


参考:The Wisely Brothers 真舘晴子が『レネットとミラベル』を観る 「アトラクションのような感覚さえある」


 スリッツは1970年代に初めて誕生した女性のみのパンクロックバンド。私たちがバンドを初めてライブを外でするようになった頃、見てくれたおじさんに「スリッツぽさあるよね」と言われたことがあって、YouTubeでたまに思い出して聴くくらいでした。スリッツがどんな人たちで、どんな風にバンド活動をしていたかは知らなかったので、ドキュメンタリー映画が公開されると聞いた時はすぐに観たいと思いました。


 外国のバンドのドキュメンタリーはしばしば、好きだったり知っているバンドだったら観ます。そうでないと、私はカタカナの情報に頭が追いつかない。だけどこの作品は、それを理解しなくても、バンドをやること、とりわけガールズバンドをやること、それに女の子であることの概念をぐるっと面白く考えさせるものでした。


 まず、スリッツは今の私たちと真逆でした。それは「人目を気にしていない」という点から始まります。ファッション、ヘアメイク、ライブ、発言……女の子らしさを持てと言われたらしい1970年代のイギリスに逆らい、逆毛を立てては大声で思ったことを叫び、歌い、素直に存在した。


 当時はオイルショックにより経済が悪化し、貧しい暮らしをする人たちが増え、街は衰退。性差別が残っていたり、移民のための教育が始まるも、佇む人種差別がありました。それに犯罪も進み、人目というものがどれだけ大きかったか今よりも計り知れないのに、枠にとらわれない女の子のバンドがその街にいた。それは最高のエンターテインメントであり、何かの標的にもなりそうだと思いました。


 メンバー4人の個性はバラバラで、それぞれの色が強く4つが合わさるとより強力な個性になったそうです。だからこそ言い合いになることはあるけれど、気にならないと言っていました。4つの意見が合わさることの楽しさを何より持っていたのでしょう。


 活動当初、メンバーの中でも最年少だったボーカルのアリ・アップは、「We’re not musicians.」と発言します。私たちはバンドをやっている中で、「ジャンルは?」「どういう音楽をやっていますか?」と聞かれたら、毎回ほんとうに迷っていました。それは誰かが決めた「何か」にならないといけないと思ったから。スリッツのように、「私たちはワイズリーブラザーズです」と言えばいいだけだったのに。


 似ていると思った点で言えば、スリッツは当初、楽器がめちゃくちゃ下手で(どれくらいか分からないから申し訳ないかもしれません)、それが少しまとまってきた時期がありました。その理由をベースのテッサ・ポリットは、「それはただライブで繰り返し同じ曲を演奏する機会が増えただけよ」と言っていて、すこし苦笑いした表情で話す様子にとても共感しました。


 バンドメンバーがクビになったり抜けたりしてもなお、スリッツは5年の間、形を変えて続いていった。バンドに居づらそうなメンバーの様子、たまたま薬を飲んで演奏ができなくなったメンバーに気づき皆が責めたり……そんな出来事が印象的です。それは、やりたいことを自由にやる中で、誰かの変化にお互いが気づき、どうしたらいいかをすぐに実行することを自然に行えていたからこそだと感じました。それはある種、“気遣わない”という気遣いです。


 パンクロックから、ポストパンクへ。そしてダブ、レゲエ、ジャズ、民族音楽を取り入れていく変化の様子は、ジャンルにとらわれずその時のやりたいイメージに向かってしっかりと動けるという自由さでもあります。


 そんな素直に表現をしてきたスリッツが解散後、再結成したあとに、アリが病気で亡くなったことは、バンドをやっている自分の身で考えると、本当につらい出来事でした。


 いつ何が起こるかわからない世界で、素直に作りたいものを作り、歌い、形を変えて、やりたいようにやることは、何かを守ったり楽しませたり、時には導いてくれたりするもの。スリッツの存在はきっとそうだし、私にとってのピンクのコートのような、女性であることの可能性は、どんな方向にも生かすことができると思えました。(真舘晴子)