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Sexy Zone 中島健人、王子から“ロミオ”へ華麗なる転身? 『ニセコイ』はキラキラ映画の新機軸に

2018年12月30日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 今年の春に『ニセコイ』の映画化が発表された際に、主人公・一条楽役に抜擢された中島健人はおなじみの王子様キャラを封印するという「“脱・王子”宣言」を高らかに唱えた。楽は極道一家の跡取り息子でありながらも、真面目で冴えない“もやし”のようなキャラクターに加え、スラップスティック調の劇中で幾度となく大胆な変顔を披露する。たしかにこれまで中島が演じてきたタイプとは正反対な役柄といっても偽りはないだろう。


参考:<a href=”https://www.realsound.jp/movie/2018/12/post-295912.html”>Sexy Zone 中島健人、“脱・王子”で次のステージへ? 映画『ニセコイ』で新境地見せる</a>


 先日まで放送されていた日本テレビ系列のドラマ『ドロ刑 –警視庁捜査三課-』でもいわゆる“王子様”キャラを封印して、さとり世代を象徴するかのようなおちゃらけた新米刑事を演じていた中島。そこでは変顔こそなかったものの、毎週スイートな表情を繰り出し遠藤憲一演じる大泥棒や同じ係の同僚刑事たちに仔犬のように甘えてみせる。これもまた「sexy」が接頭語につかないタイプの“脱・王子”キャラの一環だったといえよう。


 そのように、すでに“脱・王子”の下地がある程度整った流れをもってこの『ニセコイ』に臨んでみると、不思議なことに結局“王子様”キャラは覆らなかったという印象を持たずにはいられない。もちろん、序盤こそ変顔を炸裂させて新たな“中島健人像”を確立していたことは言うまでもないのだが、基本的に一途で移ろわない意志の強さであったり、物語の後半の臨海学校のシーンでヒロインを探しにいくために駆け出す姿と、その直後の薄暗い森の中での美しい立ち姿。さらにはクライマックスのステージ上での華麗なステップと、やはり天性には抗えないということが、はっきりと確認できる。 


 もしこの役柄が“脱・王子”であるのだとすれば、従来の“王子キャラ”から仔犬になった3カ月を経て、違うステップへと踏み出したと考えるのが妥当なところか。“王子”以外の形容として相応しいのは、劇中劇で彼が演じたシェイクスピア悲劇の代表的なキャラクターである「ロミオ」しかない。王子的なポジションでありながらも脆さを備え、その一方で愛する女性に正面から向き合う情熱的な一面も持つ青年・ロミオ。もちろん楽の立場を踏まえて劇中劇として登場したわけだが、中島の新たなキャラとしてこれほどしっくりくるものはない。完全無欠の“王子”から、より情熱的で欠点を恐れない“ロミオ”への華麗なる転身というわけだ。


 さて、話をこの『ニセコイ』という作品自体に引き戻すと、週刊少年ジャンプで連載されていた本作は、いわゆる少年漫画のジャンルとしては決して多くないラブコメディ作品。突拍子もないボーイ・ミーツ・ガールがあって、ぶつかり合いながら惹かれあっていくメインカップルの姿を綴っていく表面的な部分では、少女漫画におけるラブコメディとさほど違いはないのだけれど、コミカルさのベクトルがいかにも少年漫画的であり、他にも明らかな違いがいくつも見受けられる。


 たとえば、楽という男子の目線で物語が進められるにもかかわらず、中条あやみ演じる千棘との間に割って入る“恋のライバル格”が池間夏海演じる小野寺小咲と、島崎遥香演じる橘万里花であり、彼女たちの登場によって恋愛感情が動かされるのは千棘の方。楽にはその影響はほとんどなく、あくまでも小咲から千棘に向かってちょっとずつ、とはいえスムーズに方向転換していく。映画の構図の基礎としてあるイマジナリーラインのようなものが目に見えないストーリー上にもあるとすれば、本作の青春恋愛描写はそれを無意識のうちに超越してしまっているようだ。


 そして男子目線での恋愛の障壁となっているのは、DAIGO演じるクロードという千棘のボディガードの存在。ライバルとは異なり、あくまでも主人公の覚悟や本気度を示すためだけの存在、あえて言うならばKing & Princeの平野紫耀が主演を務めた『honey』での高橋優が演じた役柄に近いニュアンスを感じなくもないが、やや遠いか。恋愛という要素とは少し離れて、主人公がひとりの人間として成長していく過程の上にある、超えて然るべき障壁に過ぎないという点で、いかにも少年漫画らしい部分であるといえるだろう。


 もっとも、本作を通して少年漫画と少女漫画を比較するのであれば、避けては通れない大きな違いは主人公2人の設定そのものにあるのではないだろうか。かたや極道の一家の跡取り息子で、もう一方はアメリカのギャングの一人娘。しかも両方の組織が抗争勃発寸前という、典型的な『ロミオとジュリエット』展開にあるわけだ(前述したように、劇中劇として『ロミジュリ』が登場するのは、それをあえて強めるための要素だ)。


 このあまりにも古典的な恋愛の障壁となる設定は、リアリティの中にあるちょっとしたロマンを重視する少女漫画の世界では忌避されがちな設定であったように思える。身分の違いを示すのであれば『花より男子』のような家柄の差や、『今日、恋をはじめます』のような学内のカーストによる差のほうがわかりやすく、それでいて共感されやすくロマンティックだ。そこをあえて、正反対のベクトルで攻め入り、古めかしさを顧みずにコミカルさという“面白み”を重視する。もしこれが“キラキラ映画”に改革をもたらす狙いだとするならば、なかなか挑戦的で面白いやり方だろう。 (文=久保田和馬)