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レディー・ガガ主演『アリー/ スター誕生』は「ポップ蔑視」なのか?

2018年12月25日 19:51  CINRA.NET

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『アリー/ スター誕生』 ©2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
※本記事は『アリー/ スター誕生』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

最も人気のある表現者を「星」とはよく言ったものだ。満開の星空は美しいが、現実の音楽界では輝けるスターの数はある程度決まっている。新たにスターが生まれれば別の星が堕ちゆくのが常だ。

『アリー/ スター誕生』は、そうした「スターの誕生と凋落」を悲恋にした物語だ。ポップスターのレディー・ガガを主演に迎えたこのフランチャイズ映画(本作は1937年公開の同名映画の4度目のリメイク作)は本国で公開されるやいなや喝采を浴び、『アカデミー賞』作品賞の大本命になった。まさにスターを誕生させた作品なわけだが、ひとつだけ海外の評論家やファンの意見を分裂させた要素がある。それはそのままスター論に結びつく、音楽ジャンルとしてのロック神話、およびポップへの軽視だ。

■スターの悲恋描くラブストーリーが生んだ議論。アリーのポップ転向はセルアウトなのか?
『アリー/ スター誕生』の何が問題になったのか? 物語を説明しよう。ブラッドリー・クーパー演じるジャクソン・メインはカントリー寄りのロックスターであり、アルコール中毒の問題を抱えている。彼は偶然会ったガガ演じる歌手の卵・アリーの才能に惚れ込み、彼女を半ば無理やりステージに上げ、共作曲“Shallow”をデュエットする。もちろん2人は恋に落ちるし、素晴らしい歌声を披露したアリーは大物プロデューサーにスカウトされてスター街道を歩んでいく。

議論を呼んだのはここからだ。映画の前半、アリーはジャクソンと共にクラシックなロック楽曲――要するにジャクソン寄りのサウンド――を歌っていた。しかし、ソロシンガーとしてメジャーデビューしてからは、プロデューサーの戦略もあってポップな作風となる。髪をオレンジに染めたアリーが新生ポップスターとしてキャリアを積んでいく一方、ロックスターのジャクソンはアルコール中毒を悪化させ凋落していく。

ある日、泥酔した彼は、愛するアリーに怒りをぶつける。「あんな曲を歌うなんて恥を知れ」「醜い女」……罵倒されたのは、意中の相手がセクシーだと歌うポップソング“Why Did You Do That?”。作品を侮辱されたアリーは叫んで応戦する。こうしてスター同士の恋愛はこじれていき、主にジャクソンのアルコール中毒が原因となって物語は悲劇に向かっていく。ラストは、髪色を元の茶髪に戻したアリーがジャクソンの作ったクラシックなバラード“I’ll Never Love Again”を涙ながらに歌って幕を閉じる。

■ロック=「本物の音楽」、ポップ=「偽物の音楽」というステレオタイプ
このスター同士の悲恋で議論を呼んだのは、ロックとポップの扱いである。『アリー/スター誕生』は、ジャクソンが愛したロックこそ「本物の音楽」であり、アリー個人が創作したポップは商業主義にまみれた「偽物の音楽」だと見なしている……いわば「ロック主義」で「ポップ蔑視」な音楽観であると受け止める観客が多かったのだ。

もちろんその見方に異を唱える人々もいた。そうして、議論は映画がヒットすればするほど大きくなったのである。例えば、Slateが本作の「ロック主義」を時代遅れだと痛烈に批判した一方、Billboardは「ポップ蔑視」との見立てを否定する記事をリリースしている。

音楽ジャンル論が何故そこまで話題になったのか。「ロック主義/ポップ蔑視」は、元々アメリカの音楽批評領域で問題視されてきた傾向だ。このイシューはジェンダー問題とも距離が近い。噛み砕いて言えば、男性が多くを占めるロックスターは「本物のアート」を創造しているが、女性ポップスターは「フェイクなセルアウト」を販売している――こうしたイメージは、レディー・ガガどころかマドンナの時代から存在するものだろう。

■『アリー/ スター誕生』は性差別的なロック主義映画なのか? 自分の音楽を貫く女性を描いたフェミニズム映画との評も
「ロック主義」の裏にあるジェンダー問題を鑑みて『スター誕生』のプロットを再度考えてみよう。

男性ロックスターに作品を否定された女性ポップスターが、最後はポップではなく男性の作ったクラシック寄りの楽曲を歌って終わる――(男の)ロックは本物、(女の)ポップは偽物、この映画からはそうした性差別的な「ロック主義」が浮かび上がる……のだろうか?

劇中、ジャクソンは“Why Did You That?”がアリーの才能を殺す曲だと感じた。ゆえに怒った――プロットの意味合いとしては、こうした受け止め方が王道だろう。ジャクソンの言い方は問題のあるものだったが、結果的にアリーに気づきを与えるものでもあったのだと。

一方、まったく違った見方をする者もいる。その一人は渦中の楽曲“Why Did You That?”の作曲に携わった大御所ソングライター、ダイアン・ウォーレンだ。当該楽曲を「出来の悪いセルアウト作品として作った気は毛頭ない」と主張した彼女は、New York Timesにおいて「自分の音楽を守ったアリーを誇りに思う」と語った。

実は、こうした賞賛も多いのがこの映画の特徴だ。劇中、歌手としてのキャリアを歩み始めたアリーは、ジャクソンに罵られようとポップ作風を変えないし、ブロンドヘアーを強要する男性プロデューサーにも反抗する。

「ポップ蔑視」疑惑が寄せられる『アリー/ スター誕生』ではあるが、その一方で「権力者男性から否定されようと己の表現を貫く女性ポップスターのフェミニズム映画」とも語られているのである。Forbesは、本作が「ポップはセルアウトだとする風潮の終わり」を証明していると評した。

■男性ロックスターの「バッドなカッコよさ」崇拝にも一石を投じる
さらには「ロック主義」の解体の象徴だとする考察まで浮上している。The Guardianは、本作が「男性ロックスター崇拝の没落」を指し示す作品だと位置づけている。『アリー/ スター誕生』において、ジャクソンのアルコール中毒やドラッグ乱用、それらによる暴言は「明瞭な病気」として描かれる。そこには、典型的ロックスター描写につきものだった「バッドなカッコよさ」は存在しない。

代わりに描かれるのは、脆弱性とメンタル問題だ(この部分はポスト#MeTooの男性表現として高く評価された)。「不健全で暴力的な男性ロックスター」が理想とされる時代は終わった――そう感じさせる映画とも言えるだろう。ジャクソン自身が繰り返し歌ったように。

<きっと来たんだ 古いやり方を葬り去るときが
―ブラッドリー・クーパー “Maybe It's Time”>

■今日の音楽シーンでは「ポップ=セルアウト」の主張は薄れつつある
ロック主義だろうとそうでなかろうと――その反応と議論含めて――『アリー/ スター誕生』は2018年アメリカの音楽シーンを映している。今日では、ポップを「セルアウト」とする蔑視、そしてロックこそ「本物の音楽」だとする主義思考は影を潜めつつある。ゆえに、そうした思想が感じられるヒット映画が出現したら批判的な議論が巻き起こる。

こうした音楽ジャンル論争とジェンダー問題が切り離しにくいからこそ、本作がセクシズムなのか、それとも優れた男性描写を含めたフェミニズム・ムービーなのかどうかも語られている。もしかしたら、こうした混乱や評論の多様性こそ2018年的なのかもしれない。

■ガガが語る“Shallow”ヒットの要因。“Why Did You That?”は対照的存在

<話を聞かせて、ガール 今の世界で幸せ? それとももっと欲しい?
探してるものはあった?
話を聞かせて、ボーイ 疲れてない? 心にあいた穴をうめることに それとももっと欲しい?
そんなにやり続けて つらくないの?
―レディー・ガガ&ブラッドリー・クーパー“Shallow”>

実は、レディー・ガガ自身が本作の「ポップ蔑視」疑惑に返答している。彼女によると、渦中のポップソング“Why Did You That?”はジャクソンとのデュエット“Shallow”と対照にある存在なのだという。単純にポップとロックで反対、ということなのかもしれないが、別の解釈もできる。

前者の楽曲は一方通行の主張だが、後者は対話になっている対称性がある。Varietyにおいて、ガガは“Shallow”のヒット要因には社会状況があると示唆している。カバノー最高裁判事承認問題が代表するように、2018年のアメリカ社会では男性と女性が互いの声を信じず、無視している。だからこそ、男と女が互いを尊重して意見を聞き合う“Shallow”が求められた――彼女はそう考えたようだ。

実のところ、映画自体も「相手の話を聞くこと/相手に正直に語ること」を重要とするストーリーになっており、そうできなかった後悔は音楽で表現される。普遍的なメッセージと言えるが、ガガの言う通り、社会の価値観が変動し衝突する今だからこそ強く求められた映画なのかもしれない。様々な捉えられ方をされている映画作品だが、あなたは劇中の「星」に何を想うだろうか。

(文/辰巳JUNK)