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THE ALFEE 高見沢俊彦が語るマラソンと人生、そしてバンドの歩み

2018年12月23日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 THE ALFEEが、大阪国際女子マラソンイメージソングコンプリートアルバム『Last Run!』をリリースした。1987年の「夢よ急げ」から2018年の「勇気凛々」までを一挙にまとめた本作からは、31年もの間、同大会のテーマソングを手がけてきたTHE ALFEEの歩みとマラソンという競技を超えた“それぞれの人生へのエール”を感じ取ることができる。


 来年にはデビュー45周年を控えるTHE ALFEE。リーダーである高見沢俊彦にインタビューを行い、長い道のりを共に走り続けてきた坂崎幸之助、桜井賢との関係性や今後の活動、さらには同時期にデビューし、メンバー全員が歌えるという共通点を持つQueenの魅力についてなど幅広い話を聞くことができた。(編集部)


(関連:高見沢俊彦、ソロと小説で広がる“表現への情熱”「振り子の大きさが創作意欲を刺激する」


■長いレースの中にそれぞれの人生を感じた


ーー『大阪国際女子マラソン』イメージソングがこうして31曲並ぶと壮観ですね。これらの曲を改めてどう振り返りますか。


高見沢:一つのプログラムで31年、正確に言えば32年間、ずっと続けてきた証ですよね。マラソンをテーマに書いてきましたけど、聴き返すとマラソンだけでなく、人生に対するエールになるなぁ、と。だからひとつのアルバムとしていろんな方に聴いてほしい作品になりました。今、道を選択しようとしてる人、あるいは悩んでいる人、時期的に受験生のみなさんとか。そういう方にどれか1曲は引っかかるんじゃないかな。これだけありますからね(笑)。


ーー書き進めるうちにご自身の中で人生に対する関心、テーマ性のようなものが深まっていったということでしょうか。


高見沢:最初はもともとあった「夢よ急げ」をイメージソングに使いたいというオファーから始まったんです。マラソンは〈シナリオのないドラマ〉ということで、そのフレーズのあるこの曲を使わせてほしいと要請があってOKしたのがきっかけ。それで1987年の放送を見たら、曲の流れるシーンが非常にドラマチックだったんです。僕はサッカー、野球などの球技は好きだったけど、陸上はあまり見たことがなくて。マラソンも長い距離を走っているというイメージしかなかったからね。でも関わるようになって、イメージが変わった。個人格闘技ですよね。途中で棄権する人もいるし、倒れる人もいる。そうやって見ると、長いレースの中にそれぞれの人生を感じたんですよね。次の年からイメージソングはオリジナルになりましたけど、書き進めることによって、最初はマラソンに寄っていたのがだんだんTHE ALFEEの長い歴史と自分の音楽人生とリンクするようになった。僕らの曲をイメージソングに選んでくれた関係者のみなさんには感謝です。


ーー「夢よ急げ」は1982年の曲ですが、それが5年後に起用されたことについては?


高見沢:意外でしたよ。最初はなんでマラソンなのか全然分からなかったです。どういうふうに使われるのかも分からなかったし、「夢よ急げ」は「メリーアン」が出る前に作った楽曲で、売れる前の自分たちを鼓舞するようなイメージもあった激しい曲で。だからそれがマラソンに使われるのは不思議でした。ただ、映像とリンクすると楽曲ってこんなに違って聞こえるんだなと思いましたね。大阪城をバックにした雪の中のシーンであの曲が流れるとちょっと感動して。その映像を見た瞬間から違和感は全くなくなりました。


ーー31曲、いろいろな曲調がありますよね。例えば「もう一度ここから始めよう」のようなスタンダードなナンバーがマラソンのイメージソングというのも興味深いです。


高見沢:マラソンだからといってアップテンポな曲だけではないというね。歌の力がどこまであるか。あくまで僕はマラソン、ランナーに関して言えば、敗者のための楽曲ということを意識していて。1位は1人しかいませんから、圧倒的に敗者が多いわけです。でも負けたらまた次走ればいいし、倒れたらまた起き上がればいい。そこを意識的に考えましたね。


ーー壁にぶち当たっても乗り越えていこうというメッセージが、繰り返し高見沢さんから発せられているような印象を受けました。


高見沢:そのメッセージは僕らにもリンクするからね。全然何をやってもダメだった時代もありますから。


ーーバンドの歴史ではどのくらいがその時期だったとお考えですか。


高見沢:1980年に入って、坂崎(幸之助)がラジオで『オールナイトニッポン』をやった後ぐらいからコンサートの動員が増えてきたんですよ。それでツアーはできるようになりましたけど、ヒット曲が出なかったんです。僕らは、制作部、営業部、宣伝部に分かれていて、宣伝部が坂崎、営業が桜井(賢)、制作部が僕。制作部の業績が落ち込んでたんですよ(笑)。


ーー(笑)。


高見沢:業績が悪いと宣伝部と営業部から突き上げを食らうんです。それはかなり厳しかった。そろそろお前ヒット曲を書けよと。まあ酔った席での冗談ですけど、意外とそういうのは後でこたえるんですよね。それで「そうか、ヒット曲か」みたいなことを感じている中で武道館でライブをやることになって。渾身の力を込めて作った「暁のパラダイス・ロード」がダメだったんです。これはもうヒット曲は俺には書けないなと。で、このままライブ活動だけにシフトしようと思った瞬間「メリーアン」が売れて。不思議だよね。「メリーアン」はシングル用に作った楽曲ではないですし。いつも言ってますけど、あのヒットは事故でしたね。シングルカットしようと言った当時のディレクターの先見の明があったんでしょうけど。


ーー「夢よ急げ」も模索している時期の曲。


高見沢:そう。「夢よ急げ」は1982年の所沢航空記念公園での初めての野外ライブのために作った曲なんです。1981年くらいから“ハードアルフィー”としてバンド改革をし始めたところだったので、その中の一環で作った曲として僕としても思い入れは強いですね。バンドを何とかしよう、そんな思いが込められています。


“アルフィー湯”は適温状態だから長く続けられる
ーー「メリーアン」のヒット以降、客観的に見れば順調にバンド活動を続けてきたように見えるのですが、長く走り続ける上でその後も大変なことはあったかと思います。


高見沢:大変ですよ。おかげさまでCDはオリコンチャートにずっと入ってこれましたけど、浮き沈みはありますからね。ツアーを続けていけば、ウケない場所も出てきますし。ただ、40周年越えてからまた良くなってきてるんですよ。これも不思議です。やり続ける効果ってそこかなと。今ちょうどツアー中ですけど、30年ぶりに佐世保に行ったんですよ。30年ぶりの佐世保のコンサートでソールドアウト。長崎はもちろんやってますけど、30年ぶりなんて初めても同然。そういう意味ではこれもやり続けてきた証です。今が良ければちょっと前のことは全て“It’s OK”になるじゃないですか。そんな感じはしましたね。


ーー曲自体が書けなくなるような瞬間もあったのでしょうか。


高見沢:歌詞で煮詰まることはあるけど曲ではないかな。まだあまり曲を書いたことがなかった時代、たまたま僕の曲が最初のアルバム『青春の記憶』に採用されて、筒美京平先生から曲のメロディについて「君、いいセンスしてるね」と言われたことがあって。それは励みになりましたね。自分の作るものが人に評価されるーーやっぱり一番身近な方からいいとされると自信になりますからね。今でもメンバーが「いいじゃんこの曲」と言ってくれるのが一番ホッとしますよ。そうするとそれがどんどんスタッフにも広がっていくわけで。自分たちがいいと思わないとダメですからね。あと曲作りで一番気にしているのが、どう3人のコーラスを生かすか。THE ALFEEは3人が歌えるから、3人のキャラクターを考えるともうそこで3曲のイメージができるんですよ。だから曲が書けなくなるということはないですね。


ーーとはいえ、やり続けるということは並大抵の意志では難しいことです。


高見沢:それはやっぱり3人でいることの強さじゃないのかな。坂崎、桜井、高見沢がいてこそのTHE ALFEEの化学反応というか。これで誰かが抜けてしまったらちょっと違うことになると思いますね。


ーーこれまでの活動の中で3人の役割や関係性に変化はありましたか?


高見沢:よく僕らの関係をジョークで“ぬるま湯の関係”って言ってるんですけど、ぬるま湯って一番長く浸かっていられるじゃないですか。アルフィー湯はそういう感じなんです(笑)。だから冷めたら温めて、熱かったらまた冷ます。それなりに努力も必要ですけどね。3人の関係で言ったらまさにその適温状態だから長く活動できてるのかなと。続けることにそんなに秘訣はないんですよ。でもひとつあるなら、高見沢、桜井、坂崎が揃っているということ。これは他で当てはまるとは限らないですからね。


ーー冷めてきた時に温める、そんな役割を果たしているのは?


高見沢:僕かもしれないね。ソロ活動をやって刺激を受けて、熱くなってまた戻ってくる。僕のソロ活動はあくまでもFOR THE ALFEEですから。THE ALFEEを長持ちさせるために制作部として刺激を受けたいですからね。


ーーTHE ALFEEの音楽には確固たるサウンドがありますが、常に少しずつ変化しているということも、この作品を通して聞くと感じ取ることができると感じました。


高見沢:そうですね。音にも僕らの45年が投影されているかもしれません。コーラスがだんだんストレートになってきているし、演奏力も確実にアップしていきますから。これだけツアーをやってギターを弾いて歌ってて、下手になるわけがないよね(笑)。そこは自分たちでも感じてますね。あと今回は新しい曲から順に並べていますから、一番新しい音を最初に聞くことができるので、非常に僕としても新鮮でしたね。


ーー新曲「勇気凛々」はどのように作りましたか?


高見沢:32年間『大阪国際女子マラソン』イメージソングを担当してきた31曲目として、これで卒業と聞いて「じゃあ最後に一番ストレートなメッセージを伝えよう」ということで作りました。もう全力ですよ。頭からフルスロットルな楽曲にしようかなという気持ちはありましたね。コーラスにしても「勇気凛々」はソリッドになってる。それぞれよく声が出るようになってるし、そこはやっぱり3人が歌える強みでしょうね。マラソンの曲は桜井が歌ってる場合が多いけど、全体のコーラスの鋭さは研ぎ澄まされてきているかな。


■2019年も“二刀流”宣言!


THE ALFEE『Last Run!』
ーー今回のアルバムをもって『大阪国際女子マラソン』イメージソングは“ラストラン”になるわけですが、THE ALFEE、高見沢さんの今後の活動についてはどうお考えですか。


高見沢:今年THE ALFEEは結成45周年なんです。その弾みになるようなアルバムを作ることができて、ライブでも今年10月の東京国際フォーラム公演で通算2700回を迎えて本当に節目の年になりました。来年はオリジナルアルバムも想定してますし、個人的には今年小説家としてデビューしたので、今2作目に取りかかっています。12月発売の『オール讀物』でまた新連載の第1回が始まります。これからも野球の大谷翔平選手のように二刀流でやっていこうかなと(笑)。


ーー第2弾の小説はどんな内容に?


高見沢:『音叉』とは全然違います。恋愛小説ではあるんですけど、一つの家族を通した一つの恋の形というか。人はなぜ、人は何を秘めて、何を守っていくんだろう。そういったものをテーマに書き進めていこうと思ってます。


ーー時代はどのぐらいの設定なんでしょう。


高見沢:現代と過去を書き分けていこうかと。50代の夫婦とその娘を描いていて、主人公の昔と現代のストーリーが交差していくようなイメージです。みんな結局どう生きていくんだろうと考える、ちょっと壮大なテーマになりそうです。


ーー1作目は文章のリズムが見事でした。書き終えて手応えはありますか。


高見沢:音楽家が書く小説なのでリズム感を出そうと思って書きました。でも書き終わって自分の中で感じたのは、文章の中にメロディを書くように書いてるんだなと。だから文章が流れるようにしたいと思うし、リズム感を持たせたいと思う。読みにくいようにはしたくなかった。そこは自分なりに書いていて感じた部分ですね。


ーー歌詞を書くことと文章を書くことは、やはり違うチャンネルなのですか?


高見沢:歌詞は多少稚拙であってもメロディが補ってくれるんですよね。メロディと合わさってその歌詞が活きる。歌詞だけ見て素晴らしい人もいますけど、僕が作る歌詞はメロディと合体して一つの物語を作っていく場合が多い。小説はそういうわけにはいかないので、文章の中にメロディを作っていかなきゃいけない。そこは全く違いますね。


ーー次作の小説の舞台が現代ということであれば、高見沢さんが今感じていることも投影されていくのでしょうか。


高見沢:やっぱり曲と一緒で少しは投影するだろうなと。ただ、あくまでも小説の方が創作部分が多いんですよ。曲の方が自分が出る場合が多いです。曲はギターを弾いて、歌ったりするからどうしても等身大の自分になるけど、小説では自分を切り離したい。自分が考えていることと全く別のことを書くこともできるし、小説では裏切ることができるんです。今自分で何か思っていることがあっても、登場人物はそうじゃないパターンにすることはいくらでもできますよね。それにしても今回の小説は前回より難しくて全然進まない(笑)。でもまた4~5回に分けて連載して来年単行本化しようかな。


ーーいいですね。オリジナルアルバムも2019年中に期待してもいいでしょうか。


高見沢:そうですね、二刀流宣言したのでいいと思います(笑)。そこはやらないとダメですね。シングルは結構出してますけど、アルバムは『三位一体』(2015年)以来になりますから。あれよりはもっと統一感があるようにしようかなと。まぁバラバラと言えばバラバラなんだけど、3人が歌うので個性を生かそうとするとそうなるんですよ。


■THE ALFEEと同時期にデビューしたQueenの存在


ーー次のアルバムのヒントにもなればということで、最近聞いている音楽についても教えてください。


高見沢:新しいものも聴きますけど、結局学生時代に聴いていたような音楽を聴いてることが多いかな。The Rolling Stones、The Beatles、Yes、King Crimson、また今流行ってるQueenもよく聴きますけどね。


ーーQueenの映画『ボヘミアン・ラプソディ』、大ヒットしていますね。


高見沢:多少Queenを知ってる人から見るとエピソードなどが時代的に違う、そういうのを抜きにしても映画として完成されているなと思いましたね。10年ぐらい前から構想はあったらしいし、ブライアン・メイやロジャー・テイラーが監修してるから音も抜群にいい。間違いないですよ。


ーー高見沢さんにとって、Queenはどんな存在でしたか。


高見沢:僕はもともとLed Zeppelinが大好きでしたが、グラムロックも大好きだったんです。T.Rexやデヴィッド・ボウイのようなギラギラしていてメイクをするようなスタイルが好きでしたね。ただ個人的には、サウンドがちょっと軽すぎる部分が不満でした。そこへQueenが出てきた時にうわーと思って。最初はメイクをしていたし、グラムロックでこういうハードロックなバンドが出てきたんだなと思って飛びつきましたね。で、1974年の2ndアルバム『Queen II』で決定的になりました。B面のサイドブラック「Ogre Battle」から始まる一連の流れ、曲の良さにやられました。グラムロック的な要素を持ちながらハードロックなのが新鮮で。でもQueenは一枚一枚表情が変わるから全部レコードを持ってますが1回しか聴いていないものもあるな(笑)。ギタリストとしてはブライアン・メイに影響を受けましたよ。ギターオーケストレーション、多重録音を自分なりに研究しましたね。実はQueenとTHE ALFEEってデビューが1年違いなんです。Queenが73年で僕らが74年。同じくらいの時期にデビューしたバンドの音楽は好きですね。コーラスがあるYesやThe Beatles、そういったものにも影響を受けてます。


ーーそれらのバンドの中でもQueenのどんな点に惹かれましたか?


高見沢:Uriah Heepも高音のコーラスで僕は大好きだったんですけど、それを越えたのがQueenだったのかな。Queenは全員が歌えるんですよ。ブライアン・メイもそうだし、一番ハードロック魂を持ってるのがロジャー・テイラーで一番高い声も出ますからね。そういう意味ではメンバーが歌えるグループであることは強いですよね。The Beatlesもそうじゃないですか。必然的に歌える人間がコーラスをやると厚くなるし、存在感が出る。THE ALFEEもそこの強みはあると思いますね。


ーー歌える人がコーラスをすることで出てくる厚みや鋭さがある。


高見沢:その鋭さと厚みだよね。初期のQueenの厚みは大好きなんで。あと『Close to the Edge』の頃のYes。そういったものはかなり好きですね。


ーーあの世代のバンドの多くはドラマチックに解体していきましたが、THE ALFEEは45年続きました。


高見沢:そこはやっぱりぬるま湯の関係ですよ。ずーっと浸かっていられるんで(笑)。あと人間関係にお互いへのリスペクトは必要ですよね。いろいろぶつかったこともありますけど、音楽性の違いでぶつかったことはないな。Queenの映画みたいなああいう喧嘩だけはなかった。ちょうどいい関係を築き上げてこれたということかな。


ーーあと5年、10年、もっと言えば20年、今後も活動が続いていくわけですが。


高見沢:40周年からあっという間に45年になったので、45年過ぎればあっという間に50周年。ライブも結成45年の年に2700回だったので、おそらく50周年あたりではこのままいけば3000回なんですよ。バンドとしては、そこまで走っていきたいですね。


ーー3000回も通過点になりそうです。


高見沢:ですね。11tトラックを5台くらい走らせてくまなく全国を回る、そういうツアーをずっとやってきたので、これからもそういうふうにやっていきたいですよね。小回りがきかないバンドなんですよ(笑)。大掛かりなセットも含めてショーですから。ショーアップされたものをやり続けていきたいですね。