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『中学聖日記』ラストシーンに込められた“人生の奇跡” 有村架純と岡田健史の再会が意味するもの

2018年12月22日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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「一見普通っぽい聖ちゃんがそんな情熱抱えてたなんて。面白いし、そんな自分楽しまないと損よ。普通ぶって世間の顔色窺いながら本当の自分を隠す。その方がよっぽどダサい」


 『中学聖日記』(TBS系)第4話で、黒岩晶(岡田健史)への恋心に一生懸命蓋をしようとする末永聖(有村架純)に向かって、原口律(吉田羊)はそう言った。以降、このドラマは、自分に自信がなくて、いつも遠慮してばかりで、模範的に生きることで必死に自分を守ってきた聖が、世間の良識や抑圧から解放され、本心に従い、あるがままに生きる姿を描くものなのだと見守っていた。


■聖と黒岩は「ロミオとジュリエット」にはならなかった


 けれど、最終回で聖が選択した決断は、とても良識的なものだった。


「黒岩くんはやっぱりまだ18で、危うくて、何かの拍子にすぐに感情に流されて、進めず、昔に戻ってしまう。黒岩くんを心配するお気持ちがよくわかりました」


 聖は黒岩愛子(夏川結衣)にそう話して、誓約書にサインをした。


 同時に、息子に恨まれてしまったことを嘆く愛子に、塩谷三千代(夏木マリ)は「あなたは間違っていません。親として当然のことをしたまでです。間違っているのは末永先生」と全肯定の言葉で救いを与えた。このシーンは、恐らく制作者が絶対に入れておきたくて、だからわざわざ塩谷を再登場させたのではないかと思う。


 愛は、時に暴走する。人は、時に間違う。だけど、決して勘違いしてはいけない。自分たち以外の誰かを傷つけてまで許される恋などないのだと。世の中には踏み越えてはならない法的なルールと心の掟があるのだと。


 「禁断の純愛」という煽りが先行し、色眼鏡で見られることも多かった本作だが、制作者たちは一貫して聖と黒岩の恋をスキャンダラスに描かなかった。ふたりはラストまで一線を越えることはなかったし、過激路線にも走らなかった。ドラマを盛り上げるためだけなら、もっと川合勝太郎(町田啓太)を『青い鳥』(TBS系)の佐野史郎のような粘着キャラにもできたし、愛子を内館牧子ドラマで富田靖子や牧瀬里穂が演じてきたような精神崩壊キャラにもできた。


 けれど、制作者はそうしなかった。勝太郎も愛子もふたりの恋路を妨害するようなことはしても、その内容は決して露悪的なものではなかった。勝太郎の忠告は周りがまるで見えていない黒岩のことを考えればもっともだし、息子が心配で居ても立ってもいられず「ちょうどコンビニに買い忘れたものがあって、明日のパン」と見え透いた嘘をつく愛子の作り笑顔には思わず胸が痛んだ。


 だからこそ、聖も黒岩も「ロミオとジュリエット」にはならなかった。障害があればあるほど燃え上がり、見境がなくなり、周りを振り回して、最期は自滅する。そんな悲劇の主人公になることを選ばず、地に足をつけ、社会のルールと共に生きることを選び、その上で幸福な未来へと辿り着いた。


 (紆余曲折はあれど、最終的には)人を傷つけない。障害に酔わない。ルールを破らない。許されぬ恋は、許されぬ恋なのだと。大切なのは、まずは相手と、周りで支えるすべての人たちの幸せを願うことなのだと。それが、新井順子プロデューサーをはじめとする制作者たちが描いた2018年の禁断の恋の結末だった。


■あのバンコクは、聖がやっと自分で選んだ自分の人生だった


 その分、心情が読み取りにくい面もあったのだと思う。見る人によっては、聖は最初から最後まで成長していないようにも映ったかもしれない。


 もともと聖は自制心が強く、早くから黒岩への恋心に気づきつつ、そっと胸に秘め、教師として一定の距離を保とうとした。が、そんなに容易く気持ちをコントロールできるなら、誰も困らない。無性に惹かれる心に抗えるはずもなく、時にちぐはぐに見える行動にも出た。


 それは、一旦の破局を迎えた第2章以降も変わらず、聖は黒岩が目の前に出現するたびに心を乱され、冷静とは言えない行動をとることも多かった。3年経っても何も変わっていないのは、聖も黒岩も同じ。引き寄せられては必死に振り払う。この全11話はその繰り返しだった。


 では、この11話を経て、聖は何が変わったのか。それは、自分の人生を自分で選べるようになったことだと思う。


 当初の聖は、遠距離恋愛になった勝太郎から別れを切り出されることに怯え、プロポーズ後も話し合いもなく「近いうちに大阪に来てもらおうかと」と言ってはばからない勝太郎にその場でNOと意志を見せられない女性だった。


 黒岩に惹かれたのも、聖がひとりで立てない女性で、その不安や自信のなさを、黒岩が肯定してくれたから。必要としてくれることが、聖の中にあるどうしようもない空洞を埋めてくれた。


 第2章以降も好意を寄せてくれる同僚の野上一樹(渡辺大)に曖昧な態度をとり、黒岩への想いを断ち切るために付き合おうとする。流されるままの女性であることは、3年経っても何も変わっていなかった。


 それが、聖は最後に自分の意志でバンコクへ飛び立ち、日本語教師の仕事を始めた。見知らぬ土地で教職に就くというところだけを見れば、3年前に黒岩から離れ、丹羽千鶴(友近)の紹介で小学校教師として働き始めたときと何も変わっていないように見えるかもしれない。


 でもはっきりと違うのは、3年前の聖は、すべてから逃げるために、誰も自分のことを知らない場所を求めただけ。でも、今度は逃げじゃない。「ゼロからやり直す」ために新天地へ旅立った。消極的選択ではなく、はっきりとした意志を持って、自分の人生を選び取った。


 だから、極端な話をすれば、仮に黒岩がバンコクを訪れなくても、十分聖は幸せだった。だって、聖には私はこうやって生きていくんだという確固たる意志があったから。それでも、そんな聖の前に黒岩がもう一度現れたのは、自分の人生を真摯に生きていれば、きっといつか手放した未来も訪れる。そんな奇跡を、制作者たちが聖にプレゼントしたかったからじゃないかなと思う。


■好きと幸せは本当に両立しないのか


「好きと幸せは両立しない」


 第1話で、原口はそう聖に告げた。でもそれはそのときの原口自身が「世間の常識から外れたり、大多数の人に反対されたり、それでも引っ張られる、堕ちていく、そういう経験、最高よ」と囁く価値観の持ち主だったから。


 周りの声を無視して、利己的に生きても、幸せにはなれない。本当の純愛は、恋人同士のためだけのものじゃない。


 自分を想ってくれている人に感謝すること。そんな大切な人たちのために何を選ぶのが最良か考えること。自分で自分を幸せにする術を見つけること。その先に好きと幸せの両方がある未来が待っている。


 いかにも優等生的な、初回の聖が言いそうな言葉だけど、それこそが純粋な愛なんだと、波乱の11回を見終えた今、強く、強く噛みしめた。(文=横川良明)