2018年、現役を引退したMotoGPライダー、ダニ・ペドロサ。ロードレース世界選手権に2001年から参戦したペドロサは2006年、最高峰クラスに昇格した。ルーキーイヤーからペドロサはどのような活躍を収めてきたのか。『ペドロサがMotoGPで歩んだ軌跡【1】250ccクラスで連覇達成。満を持して最高峰クラスへ』に続き、ペドロサのMotoGPにおける足跡をたどる第2回。MotoGPクラスにステップアップした2006年から2012年までを追う。
2004年、2005年とロードレース世界選手権250ccクラスで2連覇を達成したペドロサは、2006年、いよいよ世界最高峰のMotoGPクラスに参戦を果たした。チームはホンダファクトリーのレプソル・ホンダ・チーム、チームメイトはニッキー・ヘイデン。以降、ペドロサは引退するまでの実に13年間、レプソル・ホンダ・チームで戦い続けることになる。なお、このときのマシンはホンダRC211V。990ccマシンの最終年にあたるシーズンだった。
ペドロサは最高峰クラスでも速さを発揮した。MotoGPクラスのデビューレースとなった開幕戦スペインGPで、2位表彰台を獲得。第4戦中国GPではポール・トゥ・ウインを達成し、イギリスGPでも優勝を飾って最終的にランキング5位でシーズンを終えた。同時にルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。
このMotoGPクラスルーキーイヤーでは、第16戦ポルトガルGPの決勝レース中にランキングトップだったヘイデンと接触し、ともにリタイアするアクシデントも起こった。ヘイデンはもちろんのこと、ランキング5番手のペドロサも、そのときまで逆転チャンピオンの可能性を残していた。これについては『現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」/特別インタビュー前編』(12月14日掲載)のなかで、ペドロサが当時の心情を語っている。
2007年はマシンのエンジン排気量の上限が800ccに変更となった初年度だった。ペドロサはホンダRC212Vを駆り、MotoGPクラス2年目のシーズンに挑んだ。マシンの熟成が進んだシーズン後半には4戦連続ポールポジションを獲得するなど持ち前の速さを見せ、最終戦バレンシアGPでも優勝を飾ってランキング2位で2007年を締めくくっている。
翌2008年は、第2戦スペインGPで優勝を飾るなどシーズン序盤からコンスタントに表彰台を獲得していたペドロサ。しかしウエットレースとなった第10戦ドイツGPで転倒。左手と右足を負傷し、第11戦アメリカGPを欠場する。
第14戦からはニュウマチックバルブ・エンジンが投入され、タイヤをミシュランからブリヂストンにスイッチ。当時、タイヤはワンメイクではなくミシュランとブリヂストンとのコンペティティブであった。シーズン後半は勝ち星を重ねられず、ペドロサはこのシーズンをランキング3位で終えている。
3年間チームメイトだったヘイデンがドゥカティに移籍したことで、2009年はペドロサの新たな同胞としてアンドレア・ドヴィツィオーゾが加わった。また、この年からタイヤがコンペティティブからブリヂストンのワンメイクとなっている。ペドロサはオフシーズンのテストで負傷し、万全な状態ではないまま開幕戦を迎えた。それでも2勝を含む11度の表彰台を獲得。ランキングは前年同様、3位だった。
■2007年王者ケーシー・ストーナーがチームメイトに
MotoGPクラス5シーズン目を迎えた2010年。ヤマハのホルヘ・ロレンソが勝利を重ねるなか、ペドロサは終盤まで逆転チャンピオンの可能性を残していた。そんななか迎えた第14戦日本GP初日フリー走行で、ペドロサは転倒してしまう。鎖骨を骨折して終盤3レースを欠場し、チャンピオン争いからは離脱することになった。それでもランキング2位を獲得する活躍を見せている。
2011年、レプソル・ホンダ・チームは3台体制でシーズンに挑んだ。ライダーはペドロサ、ドヴィツィオーゾ、そしてドゥカティから移籍したケーシー・ストーナーの3人だ。ペドロサとストーナー、ロレンソの3人を“3強”と称していたのはこのあたりだろう。バレンティーノ・ロッシがドゥカティに移籍し、苦戦を強いられた時期でもあった。
ペドロサは開幕戦カタールGPから2戦連続で表彰台を獲得。第3戦ポルトガルGPでは優勝を飾って好調なシーズン滑り出しを見せていたが、第4戦フランスGPで、マルコ・シモンチェリと接触して転倒。右鎖骨を骨折して3戦の欠場を余儀なくされた。第9戦ドイツGP、第15戦日本GPで優勝を果たしたものの、ケガと欠場が響きランキングは4位にとどまった。
その翌年、2012年はマシン規定が変更となったシーズンだ。エンジン排気量の上限がそれまでの800ccから1000ccに引き上げられ、ホンダはRC213Vを投入。チーム体制も3台から2台に戻り、ペドロサのチームメイトは2011年王者のストーナーひとりとなった。
ちなみに、2014年に廃止されたCRT(クレーミング・ルール・チーム)というレギュレーションも導入されたのがこの年だ。CRTとは、オリジナルフレームに量産車ベースのエンジンを搭載したCRTマシンで参戦可能とするもの。参戦台数の増加をねらった制度だったが前述のとおり2年で廃止されている。
このシーズン、ペドロサは第12戦チェコGP終了時点で、ポイントランキングトップのロレンソから13点差のランキング2番手につけていた。残るレースは6戦。チャンピオン争いも佳境に差し掛かろうかというところだった。
第13戦サンマリノGPの決勝レースを、ペドロサはポールポジションスタートで迎えていた。そのグリッド上でアクシデントは起きた。カレル・アブラハムのマシンがエンジンストール。再スタートを待つ間にペドロサのRC213Vに装着されたタイヤウオーマーが、外れなくなったのだ。これによって最後尾スタートのペナルティを科されたペドロサは、オープニングラップでエクトル・バルベラと接触して転倒リタイアとなってしまう。
ペドロサは『現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」/特別インタビュー前編』(12月14日掲載)のなかで、このレースが“一番悔しかったレース”だと語っている。
2012年、ペドロサは全ライダーのなかで最多の7勝を挙げランキング2位を獲得した。これは、自身としてもMotoGPクラスにおける最多勝利数であり、最多ポイント数を重ねたシーズンでもあった。
この年をもって、チームメイトだったストーナーが引退。そして2013年、ペドロサは新たなチームメイトを迎えることになる。マルク・マルケスだ。
ダニ・ペドロサ 2006年~2012年リザルト
シーズンクラス参戦GP数優勝2位3位表彰台獲得数ポールバイクポイントランキング2006MotoGP1722484Honda21552007MotoGP1823385Honda24222008MotoGP17254112Honda24932009MotoGP17236112Honda23432010MotoGP1545094Honda24522011MotoGP1434292Honda21942012MotoGP18744155Honda3322
ペドロサがMotoGPで歩んだ軌跡【3】へ続く