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「バの音楽事情」第9回 キズナアイや輝夜月など、VTuberがオリジナル楽曲を広める意義は?

2018年12月17日 07:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 バーチャルYouTuberの音楽シーンを楽曲紹介という形で追っていく、「バの音楽事情」第8回。今回も楽曲紹介はお休みして、前回に引き続きバーチャルYouTuberと音楽の現状について分析していく。


(参考:「バの音楽事情」第8回 キズナアイ、ミディ、かしこまり……バーチャルYouTuberと音楽の関係性を考察


バーチャルYouTuberの歌い手化


 生配信中心のバーチャルYouTuberが目立ち始めてきたころから、「歌ってみた」の投稿も増えてきたように思う。その中でもやはりボーカロイド楽曲の投稿は多く、一時期は「シャルル」や「ロキ」を歌ったものが大流行していた。


 無論、その背景には音源の入手しやすさがあるが(ボーカロイド楽曲は作曲者によってカラオケ音源が配布されていることが多い)、いつごろからか、バーチャルYouTuberは「生放送」と「歌ってみた」をメインコンテンツとしているかのような錯覚を起こすほどにまでなった。事実、歌ってみた動画の再生数は普段の動画の平均値を大きく上回っているように見えるし、そこに明らかな需要がある以上「供給」が活発になるのは間違いない。


 歌い手というコンテンツを否定はしないが、もしバーチャルYouTuberを名乗る存在が歌い手とほぼ同質化してしまう現象がこのまま増えていくのであれば、それは流石に「もったいない」と言わざるを得ないだろう。バーチャルYouTuberとして「やりやすいこと」を押し進めるのではなく、「バーチャルYouTuberとして次に何ができるか」「バーチャルYouTuberだからこそできることは何か」という可能性を常に探していくことにこそ真の意義があるように思える。


オリジナル楽曲を広めることの意義


 歌ってみたの流行の中で、いや流行の中だからこそ、キズナアイを始めとする上位陣は積極的に「オリジナル楽曲」を打ち出している。キズナアイは現在も9週連続リリースのまっさ中であり、また先日活動1周年を迎えた輝夜月は2曲目となる「Dirty Party feat.エビーバー」をリリースした。


 特にキズナアイに関しては、「キズナアイ新曲リリースフェス」を開催し、キズナアイの楽曲を用いた歌ってみた・踊ってみた動画の投稿を広く推奨している。


 バーチャルYouTuberが投稿する普段の「歌ってみた」はボーカロイドなど別コンテンツから引っ張ってきているのに対し、「キズナアイ新曲リリースフェス」は「バーチャルYouTuber」という一次創作に対する二次創作を推奨する。


 このような形でバーチャルYouTuberのオリジナリティが含まれた制作物が広まっていくことは非常に重要であり、なにより「バーチャルYouTuber」という言葉の始祖であるキズナアイがそういった方向での発展を願っているのを見ると筆者個人としては安心する。バーチャルYouTuberは彼女たちのおかげでオリジナルコンテンツとしての立場を維持できているようにすら思える。


 そして最近の『ときのそら』の活動にも注目しておきたい。


 ときのそらはここ2ヶ月の間に、ボーカロイドPを起用したオリジナル楽曲を2曲投稿している。そこにはボーカロイドという文化とバーチャルYouTuberを融合させた新たなオリジナルコンテンツを発信しよう意思を感じる。


 特に「Wandering Days」のMVはボーカロイド楽曲のMVに通ずるものがあり、オリジナルでありながらボーカロイドのファンにも親しみやすい動画になっている印象だ。彼女自身も歌ってみた動画は多く投稿しているが、同時に「夢色アスタリスク」などのオリジナルファンソングをいちはやく取り込んできた存在でもあり、バーチャルYouTuberにおける音楽シーンのオリジナリティを非常に活発化させた一人であることは間違いない。


音楽と個人バーチャルYouTuber


 ここまでバーチャルYouTuberの歌ってみたや上位陣のオリジナル楽曲について多く触れたが、それ以外のオリジナル楽曲もほんの少しずつ盛り上がりを見せつつある。それこそが本連載で今まで紹介してきた個人バーチャルYouTuber達の楽曲である。


 悲しい話だが、個人バーチャルYouTuberのオリジナル楽曲に対する注目度はまだまだ高くない。そんな現状でも楽曲が増え続けているのは、「バーチャルYouTuberとして大成すること」以前に、「自分の制作物の発信手段」としてバーチャルYouTuberになることを選んだ個人バーチャルYouTuberの存在が大きい。


 楽曲の中には作曲まで全て自身で行っているものもあれば、歌唱のみを担当しているものもあるが、どちらにせよ元々クリエイター気質である彼らの作品はどれもオリジナリティに富んだ素晴らしいものばかりだ。そしてそれは「バーチャルYouTuber」という枠が無ければ観測されなかったかもしれない。だからこそ、筆者は彼らの楽曲をより一層多くの人に知ってもらいたいという気持ちがある。筆者自身も一人の作曲家として活動しているが、音楽を多くの人に聴いてもらうのは非常に難しい。


 バーチャルYouTuberというコンテンツがそれを打破する手段の一つになると同時に、彼らがいつかバーチャルYouTuberの音楽シーンを担う存在になることを祈っている。いや、実質的にはもう担っているのかもしれないが、それが多くの人に認知されることを願うばかりである。


 バーチャルYouTuberの音楽事情に対する筆者の所感を2回にわたって書かせて頂いた。次回からは楽曲紹介に戻ろうと思う。


(じーえふ)