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FORWARD ISHIYAのアメリカツアー体験記 現地のパンクシーンから学んだ伝え続けることの重要性

2018年12月16日 20:12  リアルサウンド

リアルサウンド

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 筆者のバンド・FORWARDが、2018年の10月31日から11月24日まで、5度目となるアメリカツアー『BURNING SPIRITS NOTH AMERICAN TOUR2018』を行ってきた。今回のツアーは、西海岸北部のオレゴン州ポートランドから始まり、一度ワシントン州シアトルに北上、そこから西海岸をカリフォルニア州ロスアンジェルスまで南下、内陸部のアリゾナ州フェニックス、メキシコとの国境の街エル・パソやオースチンなどのテキサス州4都市、ニューオリンズ、ナッシュビル、アトランタ、リッチモンドなどの南東部を経て東海岸のワシントンD.Cやニューヨーク、フィラデルフィアを周り、中東部のピッツバーグ、リーブランド、シカゴ、トロイトから、国境を超えたカナダのトロントまで、ほぼ全米とカナダの25都市を25日間連日休みなしで周るツアーとなった。


(関連:北欧最大級パンクフェスで世界各国のバンドが共演 DEATH SIDE ISHIYAによる現地レポート


 今回のアメリカツアーは、各地域ごとに帯同するバンドが変わるものとなった。2004年に初めてアメリカツアーを行った際も同じような形のツアーであったが、その間に多くのアメリカツアーの経験を経ているため、今までとは違ったツアーになったように思う。


 大きく分けると、西海岸は4年前の前回全米とカナダを一緒に周ったLONG KNIFEがサポートしてくれ、南部テキサスをOBSTRUCTIONとCRIATURAS、東海岸をHEAD SPLITTERがサポートとして一緒に周ってくれる形となり、北中東部のシカゴ、デトロイト周辺とカナダ、各バンドとの引き継ぎの間はFORWARDだけで行う4つのツアーを合わせたような形となった。


 2004年の初めてのアメリカツアーでは、各地域ごとに運転手が変わり、地域によってはサポートしてくれるバンドがつくこともあったが、初めてのアメリカであるために右も左もわからず、アンプやドラムセットなどの機材もその日ごとに借り、場合によってはレンタカーも借りに行くというようなものであったが、今回はツアー全体をオーガナイズしてくれたLONG KNIFEのドラムでもあるキースが全てを整えていてくれたため、演奏にも集中することができた。


 過去4回のアメリカツアーで、過酷なスケジュールであることは理解していたが、25日連続休みなしのライブというのは初めてである。2006年の2度目のアメリカツアーの際に、23日間で26回ライブというものがあったが、それと同等、もしくはより過酷なスケジュールになった。


 ツアーで周る範囲としても4年前と同じ規模で、ほぼ全米とカナダというものなので、移動距離も半端ではない。しかし今回のツアーは、今までのアメリカツアーのようにニューアルバムを発売し、そのプロモーションと販促のために周るだけではなく、日本のバンドとして、アメリカに対してメッセージを伝えることを趣旨とするツアーにしたいと思っていた。そのために筆者の拙い英語ではあるが、MCでは毎回必ず歌詞の内容に関することを伝えるようにしてライブを行なった。どの街でもそれが観客に伝わっていると思えたことは、今回のツアーでの最大の収穫であったように思う。


 必ず観客たちに投げかけていたことは「アメリカよ、戦争を作り出すのをやめてくれ」「アメリカ政府の言う正義とはなんだ? 俺には理解できない。アメリカの正義は胸糞悪い正義である」「日本の憲法には重要なものがある。戦争の放棄だ。アメリカよ、戦争を放棄するんだ。人類共通の敵は戦争そのものである」といった内容のものの他にも、放射能汚染の現状や無関心でいることは人を殺すことになるといったことなども伝え、最後にFORWARDの代表曲である「WHAT’S THE MEANING OF LOVE?(愛とはなんだ?)」を投げかけることで、今までのアメリカツアーとは違った観客の反応があったように感じた。ライブ終了後にも様々な観客から「驚いた」「その言葉は心に沁みた」など、今までにない反応が返って来たことで、思いが伝えられたという実感があった。


 アメリカツアーといえば、ライブをやりパーティーで馬鹿騒ぎというのが定番である。いわゆる「HAVE FUN」の感覚であると思うのだが、同じ英語圏で隣り合うカナダとアメリカでは「HAVE FUN」の意味が全く違ったようにも感じた。パンクスという反社会的な立ち位置であるにも関わらず、政府や国家がすすめてきた政策が、子供の頃から住み続けている環境によって染み付いてからなのではないか? そしてそれは日本でも同じように起こっていることなのではないか? 自らを見つめ直す良い機会にもあった。


 ツアーの途中からはMCで「アメリカよ。違うということを理解してくれ。違うということは新しいということなんだ。違うものがあることを理解してくれ」というようなメッセージも付け加えるようになっていった。


 これはクリーブランドでのライブ終了後、会場のバーで呑んでいるときに、たまたまやって来たアフリカ系アメリカ人と話していて「俺の英語はひどいものなんだ。何か英語を教えてくれないか」」と言ったところ教えてくれた「DIFFERENT(違う)ってわかるか? DIFFERENT is NEW(違うってことは新しいんだ)」という言葉がきっかけになったものである。彼が笑顔で教えてくれたこの非常に深い意味を持つ英語は筆者の胸に突き刺さり、頭から離れない言葉となった。


 ルイジアナ州ニューオリンズでのライブ終了後に、腹が減っていたので夜中に街にあるワッフルやパンケーキ、ハンバーガーなどを提供するチェーン店に行ったところ、店員も客も全員アフリカ系アメリカ人で、アジア人の筆者たちと運転手であるスパニッシュで入って行くと、客が露骨に「出て行け」というようなことを呟いている。なぜ、自分たちが受けた迫害や差別、偏見を他の人間に対して向けるのだろう。それがアメリカでの実情なのかもしれないが、非常に悲しく暗澹たる気持ちになった。


 そんなこともあったツアーの道中で、テキサスを一緒に周ったCRIATURASのベーシストでありメキシカンであるエディーが、筆者がライブ時に着ていたEZLN(メキシコサパティスタ人民解放軍)のTシャツとMCに反応してくれ、こんなことを言ってくれた。「お前はYA BASTA!(スペイン語で“もうたくさんだ”の意)と書かれたEZLNのTシャツを着て、アメリカに変われと言っているが、アメリカにそれは無理だ。俺はメキシカンでアメリカに住んでいるが、それは無理なことなんだ」と。しかし、それは諦めと取れる言葉ではなかった。何よりも、こんな日本から来たちっぽけなバンドの人間が言っていることや体現しているメッセージに反応してくれたことに感動し、バックヤードでエディーと二人きりのそのときに涙がこぼれた。


 そして、こういう人間がいるからこそ諦めてはいけない、何か別のやり方を提示するべきだと思い、翌日からは「違う世界を作り上げて、みんなで認め合い、繋がり合わないか」とMCで伝えるようになった。


 今回アメリカで伝えて来たメッセージが理解されたかどうかは、また次回行ったときにわかることだろう。新しいことというものは、こうした積み重ねの上に出来ていくのではないだろうか。無理をする必要などない。信じてやり続けることで、新しいこと、新しい価値観は自然と生まれていくのだと実感できるツアーでもあった。


 音楽以外にも大きな経験があった今回のツアーだが、今までの経験と今回の経験により、ひとまわりもふたまわりも大きく深くなれたような感覚がある。それはサポートしてくれたアメリカの友人たちや、ライブに来てくれた観客たちのおかげだというのは言うまでもないが、お互いを受け入れ合い助け合う精神が「常識」であるアメリカ・パンクシーンは、多くの人が思い描くものとは全く別のものだ。


 音楽で何かを変えようなんて、馬鹿げたことだと思う人間はたくさんいるだろう。しかし、本気でやっている人間がいることを理解しても、悪い人生にはならないと思う。人生が音楽で変わったことがある人もたくさんいるはずだ。少しでもいいから認めること。受け入れること。それは人生に劇的な変化をもたらす。そんなことの手助けをできるのが音楽ではないだろうか。それは日本もアメリカも変わらない。音楽をそういった感覚で受け止めるのも「HAVE FUN」なのではないだろうか。(ISHIYA)