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『けもなれ』は“名も無き関係性”を描く 野木亜紀子が「ラブかもしれないストーリー」に込めた思い

2018年12月12日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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「それでも……愛されたいな、私は」


参考:なぜ田中圭にモヤモヤし、松田龍平に惹かれるのか 『けもなれ』正反対の男性が描かれる意図


 『獣になれない私たち』(日本テレビ系)では、あらゆる問題が同時多発的に起こっていたが、その憤りや悲しみ、恐れ、不安、言葉にならないモヤモヤ……それらが全て、この言葉に帰着するように感じた。誰もが、誰かに必要とされたくて、必死に生きている。自分の道をひた走る獣と、周囲と共生していく人間は相反するもの。完全に両立する答えなどない。だからこそ、人生は面白いのかもしれない。


 晶(新垣結衣)も、京谷(田中圭)に愛されたいという気持ちから、いろんなモノを飲み込んできた。会社にも、必要とされたくてどんな無理難題にも応えていく。結果、京谷からは「晶を愛してる」と、会社では「誰も深海(晶)さんみたいになれない」と必要とされる存在になれた。どんなに不甲斐ない彼氏でも、どんなにブラック企業でも、そこに自分を頼ってくれる人がいるという1点が、とどまる理由になっていたのだろう。


 しかし、「人に必要とされる」他者承認と共に「理想の自分になっている」自己承認が伴わなければ、承認欲求の渇きは消えない。「相手に都合よく使われている」「自分を見失っている」という焦燥感。周囲にとっての理想の存在になれたとしても、自分自身にとってそれが望んでいる姿でない違和感は「幸せなら手を叩こう」と、いくら自己暗示をかけても拭えないのだ。


 誰からも好かれる容姿に、結婚を考える恋人、正社員の仕事……条件面だけを見ると、晶は恵まれているという人もいるだろう。だが、一般的に良い条件といわれるものを満たしていても、その場所が、その相手が自分にとって心地いい居場所になるかは、また別なのだ。それは、間取りや築年数、階層、家賃……と物件情報の前で、様々な希望条件を並べながらも、最終的に譲れないものは住んでみなければわからない「住み心地」なのと同じように。自分にとって何が正解かは、生きてみないとわからない。


 相手の理想通りになることを手放した晶の周りには、自分らしくいられる人が増えてきた。それは飲み仲間? 恋敵? 同志? そんな名前を付けるには難しい、名もなき関係性。恒星(松田龍平)との間には、男女を超えた“壊すには惜しい関係性”が。京谷の元カノ・朱里(黒木華)との間にも友情に近い何かが。京谷の母(田中美佐子)との間には、血の繋がらない母娘“みたいな”形も。


 ふと、「どういう関係ですか?」と、マスコミに追われる呉羽(菊地凛子)を思い出す。誰がどんな関係を持っていようが、他人がどうこう言う必要があるのだろうか。周りが「え?」となるような状況であっても、本人が満たされていることもあるということ。その人が理想とするものが、既成概念とは異なっていても「ありかも」と思えれば、それでいいのだ。きっと、それを受け入れるのが、価値観の多様化というものなのだろう。


 名もなき関係性といえば、ツクモ・クリエイト・ジャパンで任命された「特別チーフクリエイター営業部長」も、九十九社長(山内圭哉)なりの晶との向き合い方だったのかもしれない。これまでの営業アシスタントとも、秘書とも、単なる営業とも、異なる特別な存在として、この会社にいてほしいという願い。だが、どう思っていたとしても、言い方が自分よがりでは気持ちは相手に通じないのだから、あの人も不器用な人だ。


 誰もが、正解や、マニュアルのない人生を生きている。慣習に沿って安定して生きたい人もいれば、しがらみを取り払って革新的に生きたい人もいる。それぞれの異なる欲求を吠えて、噛み付き合っていても、互いに血を流すだけだ。いつだって“その人”という新種と出会っていることを念頭に置き、新しい意見を尊重し、その人と自分だけのオリジナルの関係性を築いていくことが、これからの時代に求められているのではないか。


 もちろん、ときには「間違えた?」と立ち止まることもあるかもしれない。飲み仲間でも、恋人でもない、居心地のいい存在を、なんと表現すればいいのか、と頭を抱えることも。だが、そんな新たな概念の構築そのものを一緒に楽しむことができる人と出会えたら、人生はもっと生きやすくなるのではないか。このドラマが「どんなドラマ?」と言われても、うまく説明できないのも、そこにつながっているように思う。しいて言うなら、これまで名前がつかなかった愛を発見する“ラブかもしれない”ドラマ。そして、そんな一つひとつのラブを大事にすれば、「生きていける」「ひとりじゃない」と提示してくれるドラマ、ということになるのだろう。(佐藤結衣)