2018年シーズンをもって、一度F1から離れることを決めた2度の王者フェルナンド・アロンソ。2001年のデビューからタイトル獲得、インディ500出場、そして今年の最終戦アブダビGPまでをF1ジャーナリストの今宮純氏が振り返る。
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■国王も祝福、アロンソの最大功績とは?
2006年スペインGPは前年初王者となった凱旋レースで、民族大移動のような光景に出くわした。バルセロナ市内からカタロニア・サーキットへの高速道路は大渋滞。普段40分なのに2時間かかった。動かない車列の間からは子供たちの「アローンソ、アローンソ!」の声、お父さんもお母さんもつられて一緒に……。
レースのチケットはとっくに売り切れ、スタンドが増設されても席が足りない。4年前の2002年にはアロンソはいなかった。2001年デビューの翌年はルノーのテストドライバーだった。それでもスペインGPにはアロンソを目当てに23万人の観客が来た。
2003年は25万人、2004年、2005年はそれぞれ27万7300人、27万6800人。2006年になると、その数は34万2000人にまで到達。一挙に7万も増えたのだ。周辺道路は早朝から完全にマヒ状態、だから25kmの距離に2時間かかった。
大観衆の期待に応えてこそスーパースター、2006年はポールポジションから完全勝利。「みんなの前でもっと走り続けていたかった」と胸を張った王者。
フェルナンドは世界で数々の名勝負レースを戦い、スペインの一般市民に<サーキットのドラマ>を振りまいた。最も若くしてチャンピオンに、それもドイツのあのミハエル・シューマッハーとフェラーリを打ちのめして。余談だがタクシーに乗った際、老運転手が自慢げに笑いを浮かべ話しかけてきた。
「俺のこの古いルノーだって、フェルナンド様が乗ったら、フェラーリなんかより速いぜ(笑)」
彼ら国民の日常に、簡単に入り込んでいったアロンソ。フットボールや闘牛の国にフォーミュラ・ワンを知らしめたのである。ファン・カルロス国王もフェルナンドのいちファンで、勝つたびに国際電話で祝った。最終戦アブダビGPにも80歳の高齢ながら駆けつけている。
アロンソに熱狂したよき日々はもう帰って来そうにない。この国の『フェルナンド・ロス』の心情を国王も胸に抱いていたに違いない……。
■2001年は才能の集中。スター街道を駆け抜けた三人のドライバー
スポーツの世界ではある年に、凄い新人たちが同時に出現するときがある。どうしてそうなるのか、理屈ではなく才能が集中して“配置”されるように。
2001年がそうだった。ウイリアムズのファン・パブロ・モントーヤ、ザウバーのキミ・ライコネン、ミナルディのアロンソ。三人の新人は傑出した存在感を示し、それから実力を極めていった。
ジャガーのルチアーノ・ブルティやアロウズのエンリケ・ベルノルディもデビューしたが、5人のうち彼ら3人がスター街道を駆け抜けた。
南米コロンビアから、北欧フィンランドから、そしてスペインから。それぞれ個性的なキャラクターでファンをひきつけた。『動のモントーヤ』と『静のライコネン』。ではアロンソはというと、このふたりとはやや違う。ドライバーとして戦績をとり上げると、無冠と1冠と2冠王であるのが異なる。王冠をひたすら求め、野心を持ち続けてきたのがアロンソである――。
■記録と記憶に刻み込まれた14の闘い
314グランプリ参戦、32勝、表彰台97回、ポールポジション22回、最速ラップ23回、獲得ポイント1899点。これが17シーズンの公式記録だ。カーナンバーにちなみ<14の闘い>を選抜してみよう。
*2001年オーストラリアGP:12位【最年少完走記録19歳218日】
*2003年マレーシアGP:初PP&3位【最年少PP記録21歳237日/同表彰台記録21歳238日】
*2003年ハンガリーGP:優勝【最年少優勝記録22歳26日】
*2005年サンマリノGP:優勝【0.215秒差でシューマッハー完封】
*2005年ブラジルGP:3位【当時の最年少チャンピオン記録24歳59日】
*2005年日本GP:3位【予選16番手からのオーバーテイクショー】
*2006年スペインGP:優勝【母国凱旋初勝利】
*2008年日本GP:優勝【2回目開催富士、非力ルノーで逆転】
*2011年イギリスGP:優勝【予選3番手からウエット/ドライレース逆転】
*2010年イタリアGP:優勝【フェラーリ移籍初年度に聖地でポール・トゥ・ウィン】
*2012年ヨーロッパGP:優勝【バレンシアでグリッド11位から逆転に涙】
*<2017年インディ500>:24位【27周ラップリードも450マイルでストップ】
*2018年アゼルバイジャンGP:7位【1周目事故ダメージ後にピットへ戻り追走】
*2018年アブダビGP:11位【グリッド15位からの『惜別ラン』】
PS.彼のレースには凡戦などほとんどなかった。生粋のレーサーに『Hasta luego(じゃあ、またね)』と言おう。