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野木亜紀子が生み出すドラマが教えてくれること 『けもなれ』ほか新垣結衣主演作から読み解く

2018年12月05日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『空飛ぶ広報室』『重版出来!』『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』(いずれもTBS系)、『フェイクニュース』(NHK総合)等々。野木亜紀子が脚本を務めたドラマは傑作がずらりと並ぶ。


 観る者を画面に引き寄せ、決して“ながら観”を許さないテンポと空気感。描かれる人々の暮らす世界は違っても、それぞれの作品の中で、登場人物たちは多かれ少なかれ何かの壁にぶつかり、葛藤し、思い悩む。自分なりの“答え”を見つけようとするもなかなか上手くいかない。そんな人間たちの姿を観て、私たちは幾度となく心を揺さぶられてきたものだ。


 とりわけ、新垣結衣が主演を務める野木ドラマは、現在放送中の『獣になれない私たち』(日本テレビ系、以下『けもなれ』)で4作目。2人のタッグは『空飛ぶ広報室』に始まり、『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)、『逃げるは恥だが役に立つ』(以下『逃げ恥』)と続く。これら4作品は世界観も、新垣結衣の役どころも異なるが、そこには繰り返し語られてきたテーマがあるように思われる。そこで、野木ドラマの中でも新垣結衣とのタッグ作を振り返りながら、『けもなれ』に至るまでの軌跡を見ていこう。


●“誰がやってもいい”仕事を描くことで見えるもの


 世の中には、“誰がやってもいいのだが、誰かがやるべき仕事”がある。最初のタッグ作品の『空飛ぶ広報室』は、そうした仕事の価値が丁寧に描かれる。ヒロインの稲葉リカ(新垣結衣)は、記者を目指してテレビ局に就職。念願の報道局で働くことになったものの、ある出来事をきっかけに情報局に異動となってしまう。情報局での仕事は、街角グルメ特集や“働く制服シリーズ”といった、それまでの仕事とはタイプが違うものばかり。作中の表現を借りれば、“あってもなくても世の中に何の影響もない番組”なのだ。リカにしかできない仕事とは、必ずしも言い切れない。


 ここで興味深いのは、本作の舞台となる空幕広報室での取材も、当初は“働く制服シリーズ”から始まったものであることだ。それでも、広報室での密着を続けるリカは、決してその仕事をいい加減にこなそうとはしない。彼女なりにプライドを持ってつぶさに取材を重ねるのだ。たとえ“バラエティーみたいな仕事”であっても、与えられた環境でひたむきに汗を流す。本作で特筆すべきは、そうした姿勢で仕事を続けていく中で、いつしか“誰がやってもいい”仕事から、“稲葉リカでなければできない仕事”に変わっていくことかもしれない。


 さて、話は変わって『けもなれ』の主人公・深海晶(新垣結衣)もまた、仕事で多くの壁にぶつかるヒロインである。ただ、稲葉リカの“壁”や“悩み”とは質的にだいぶ異なる。通常業務はもちろん、社長の秘書的仕事や、至らないところの多い部下の手伝いまでこなす。社長に改善を促すが、すぐに状況は好転するわけではない。おまけに、オフィスのゴミ出しからコーヒーメーカーのセットまでをもこなす晶の背中からは、リカにはないストレスが漂う。


 晶の仕事の中にも、他の“誰かがやってもいい仕事”はある。周りは「深海にしかできない」「深海さんだからこそできる」とみなしているものの、その気になって探せば、他に担う人がいてもおかしくない仕事だってあるはずだ。晶が思わずオフィスで延々と「幸せなら手をたたこう」を鼻歌するのも無理はない。彼女だって周りの社員を困らせたいわけではない。だから、やらなければならないと思うと笑顔で引き受けてしまう。


 ところで、誰かがこなされなければならない仕事について、村上春樹は『ダンス・ダンス・ダンス』の中でそれを“文化的雪かき”と表現した。“文化的”なものに限らず、現代を生きる私たちの周りには、そんな“雪かき”仕事に日々向き合う人々がたくさんいる。それは職場の仕事とは限らない。家事だってそうだ。本来は夫がやっても、妻がやってもどちらでもいいものであって、家庭内の誰か1人が背負い込む必要があるものではないはずだ。その点、『逃げ恥』の中でヒロインの森山みくり(新垣結衣)が、家事労働について「賃金」や「搾取」という考えを持ち出してあれこれ考えを巡らせるのは、ある意味では当然のことなのだ。誰がやってもいい。でも誰かがやらなくてはならない。


 稲葉リカも、森山みくりも、深海晶も、抱えているものも置かれた状況もみんなバラバラ。晶の抱えるストレスと、リカの抱える葛藤を単純に比較することはできない。ただ、3人は各々の物語の中で、誰もが羨む“大活躍”を果たすヒロインというよりも、むしろ地道に、ひたむきに、そして丁寧に日々の仕事に向き合う主人公として描かれている。だからこそ、そんな彼女たちの姿を観ると、「これは“私たちのあり方”について書かれた物語だ」と思えるのかもしれない。私たちは人生の中で、多かれ少なかれ、“雪かき”仕事に勤しむときがある。その時、人は何を抱え、どう対処していくのか。それらを様々な視座から見つめていくことが、これらの作品の意義の一つと言えよう。


●人との出会いにこそドラマがあるということ


 そんな中、4作品の中でも比較的趣向が異なるドラマが、『掟上今日子の備忘録』である。新垣結衣演じる掟上今日子は、推理力抜群で、多くの知識を持ち、次々と事件を解決していく名探偵。ところが、彼女の記憶は1日でリセットされてしまうために、体のいたるところに大切なことをメモしているのだ。確かに、このキャラクター像だけを見ると、先に触れた3作品の主人公のいずれともタイプが異なる。少なくとも、私たちの日常の中で見かけそうなヒロインではないかもしれない。ただ、本作の見かけはいわゆる“探偵ドラマ”であるが、実際は極めて人間について掘り下げたドラマである。


 本作を語る上で欠かせない要素の一つに、岡田将生演じる青年・厄介との出会いがある。厄介は今日子に好意を抱いているのだが、せっかくアプローチしても1日で忘れられてしまうために、毎日振り出しに戻る。来る日も来る日も、今日子からしたら厄介はいつも初対面。ただ、今日子がたとえ記憶を失おうと、周りの人々の記憶には残り続ける。厄介は彼女との出会いの意義を、そんなふうにして見出すのだ。


 同様に、『空飛ぶ広報室』では広報室の人々との出会いが、『逃げ恥』でも平匡との出会いが、それぞれ価値あるものとして位置づけられている。テレビドラマの中には、ヒーロー/ヒロインの活躍ぶりを華麗に描く作品もあり、そうした作品も当然描かれる意義はある。ただ、野木ドラマの多くは作中での人間同士のかかわり合いに比重がある。私たちは人生を通じて、“何を”成し遂げたか、“何を”生み出したかを気にすることがある。でも、それだけではなく、私たちは“誰と”語らい合ったか、“誰のために”思い悩んだかにもっと目を向けてもいいのではないか。日常の中でドラマが生まれる瞬間の多くは、人との出会いの中にある。当たり前のようなことであるが、私たちは人と人との緩やかなつながりの中で生きていることを何度も忘れる。いかに意味のある仕事をなしたか、結果を出したかの方が、自分が「生きている」ことの確認もしやすいし、シンプルだからだ。


 『けもなれ』に登場する人物は、晶も含めて、誰かが大発見をするとか、大きな目標を達成するということは極めて少ない。まさしく、“堂々巡り”なのである。そう簡単に答えは出ないし、前にも進まない。ぎりぎりまで身をすり減らすこともある。翌日には憂鬱な仕事が待っている。そんなサイクルに絶望する方もおられよう。でも、仕事から帰ってくれば、クラフトビールを飲む場所があれば、話を聞いてくれる相手もいる。タクラマカン斎藤(松尾貴史)もまた、同じ世界に生きているのだ(もちろん、彼にも悩みはあるのかもしれないが)。人生をポジティブに考えられるきっかけは実は、私たちが普段意識しない人々が隠し持っていたりして……。野木ドラマが教えてくれることの一つは、やはり“人間同士の出会い”にほならない。(國重駿平)