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戸田恵梨香が小池徹平に届けた救い 『大恋愛』が描く“対等じゃない”を受け入れること

2018年12月01日 16:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 病にかかって最も苦しいのは、愛する人のためにできることが少なくなってしまうことなのかもしれない。『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)第8話、尚(戸田恵梨香)は真司(ムロツヨシ)との幸せな結婚生活を送る。自分が真司と愛し合った証を残したいと、子どもを生むことにも前向きに。だが、その背後には公平(小池徹平)と共に若年性アルツハイマー病のやるせなさが忍び寄っていた。


 かつては真司の小説について、いちばん理解しているのは尚だった。なのに、今は担当編集の水野(木南晴夏)がついている。新作のタイトルも、約束通り真司は最初に尚に相談したにも関わらず、まったく覚えていない。ドア越しに真司と水野のタイトルの打ち合わせを聞いて、まるで自分を差し置いて真司が水野に教えているように感じてしまう。


 愛されていると感じる記憶ばかりがこぼれ落ち、足手まといになっているような感覚ばかりが残っていく。そんな虚しさが尚を包み込んだとき、「対等じゃない」と、同じ病と向き合って生きる公平の囁きが、まるでマイクのハウリングのように脳内に響く。病によって、かつての自分ではなくなってしまう感覚。病ではなくとも、人は変わっていくのだ。目の前には子どもを作ることに反対していた母親の薫(草刈民代)が急に賛成することもあるように。変わらないものなんてない。「どんな病気でも尚と一緒にいたい」といっていた真司だが、彼のお荷物になってしまうんじゃ……そんな気持ちばかりが募っていく。


 『大恋愛』が、私たちを夢中にさせるのは、テンポよく対比で描かれるからだ。尚と真司の仲睦まじいやりとりと、ひとりぼっちの公平。忙しい真司と、時間をかけて尚の声に耳を傾ける公平。そして、見ているこちらがニヤけてしまうほどのイチャイチャからの、相手を想えばこそのすれ違い。この幸せを壊さないで、と祈ってしまう。愛や幸せを知ることは、手放す悲しみと背中合わせだ。それは生まれた瞬間、死に向かっているのと同じように。すべては、いい面とそうではない面が同時にやってくる。


 だったらいい面を見ていくのだ、と尚は公平を諭す。「忘れられることが、この病の救い」なのだ、と。病だから対等じゃなくなったわけじゃない。もともと持って生まれたものも、生きていく上でのチャンスも、同じ病だって症状も進行具合も人それぞれだ。対等じゃないを受け入れることは、とても酷だけれど、その理不尽さを忘れさせてくれるのも、この病の唯一の救いだと。


 そもそも人と人とが対等なんてことはないのかもしれない。考えてみれば、真司と尚も出会ったときから対等なんかではなかった。贅沢に育った尚と、慎ましく暮らしていた真司。そんな対等ではないふたりが出会い、惹かれ合ったからこそ“大恋愛”と称されたのだし、みんなが同じではないからこそ、お互いの凸凹しているところを面白がれる。大事なのは、優劣のない“対等“さよりも、それぞれの力量の差を尊重して偏りのない行動を取ること。そのさまを日本語では“公平”というなんて、対等さに固執していた公平に対して、なんて皮肉なことだろう。


 「これが私たち夫婦の形なの」。人生はいつだって思い描いたようにはいかない。予期せぬ大きな変化に見舞われて、“あの人にはあるのに私にはない”、“なんで私ばかり”と対等ではない現実に、悲しい気持ちになることもある。愛する人にしてあげられることは変わったとしても、それを「これが私の幸せの形」だと言えるように試行錯誤する。それが精一杯生きるということなのではないか。


 尚は病を言い訳にせず、いつだって前向きに自らの手で人生を切りひらく。その姿に、真司も現状を受け入れるところから創作活動につながった。きっと公平も。そして私たちも。尚の生き様に、自分のできる範囲で生き抜く希望を見せてもらっているのだ。(文=佐藤結衣)