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涙堪える松田龍平を笑顔にしたもの 『獣になれない私たち』が描く“他者と生きていくこと”

2018年12月01日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 生きていくと、背負うものが増えていく一方だ。積み重ねてきた人間関係、努力してきたキャリア、愛しい思い出たち……気づけば心のキャパシティがパンパンになってしまう。まるで実家の押入れだ。何かを捨てないと、新しいものが入れられないのはわかっている。でも、一つひとつが人生の軌跡。大事に取っておきたいものもあれば、手放すかどうかを判断するのを先延ばしにしたいもの、そして捨てられたら楽なのにと思えるものもある。


参考:松田龍平のセリフに込められた“人生を取り戻す”ヒント 『けもなれ』晶と京谷の別れが意味するもの


 『獣になれない私たち』(日本テレビ系)第8話では、恒星(松田龍平)が背負ってきたものが、紐解かれていった。いつも優等生でいようとする晶(新垣結衣)と似ている、兄・陽太(安井順平)を嫌っていた恒星。聞き分けのいい兄に対する単純なコンプレックスかと思いきや、そこには“どこにもぶつけることのできない怒り”が含まれていた。恒星の人生は、震災によって大きく狂わされた。兄が父から継いだ家業は窮地に追い込まれ、なんとかしたいと思った恒星は不正に手を染める。だが、その甲斐もなく会社は潰れ、兄は失踪。実家は取り壊されて更地になった。変わり果てた実家の写真に、思わずこみ上げるものがある恒星。


 「なぜ自分が」「あんなことさえなければ」と、打ちのめされ、大人だから泣くまいと1人でこらえた結果、心で血の涙を流す。人生の不条理は、誰にでもある日突然やってくるものだ。恒星や陽太のように天災のみならず、呉羽(菊地凛子)のように病もそうだ。私たちは、いつもすべてをコントロールできるような気になっているが、自然の強大な力や理不尽さに無力さを痛感するのだ。


 ふと、私たちが日々接している人間そのものも、ある意味で自然の存在であることを忘れていたような気がする。地震や病気が、決して意のままにならないように、本当は人を自分の思い通りに動かすなんておこがましいことなのに、私たちはなぜかコントロールできるような気になっている。それは何かにコントロールされている自覚があるからなのか。獣から人間になったように見えて、実は社会の家畜になっているだけなのかもしれない。


 天災も、人災も、病も、老いも、死も。逃れられない自然的な力を前に、自分なりになんとか心の整理をしながら生きていくしかない。だが、一気に流れ込んできた理不尽な怒りや悲しみは、ときに楽しい記憶さえ色褪せさせ、夢やワクワクが入り切らないほどに膨れ上がる。心のキャパは圧迫され、余裕のなさから連鎖的な理不尽を引き起こす事態にもなりかねない。失踪していた陽太も、元彼氏・京谷(田中圭)の家に引きこもった朱里(黒木華)も、もはや1人で抱えきれなくなって、どこから整理したらいいのかわからなくなっていたのだろう。おそらく、第1話の晶も。


 誰かに一度、感情を預けること。そのキャパの共有こそが、私たち人間が手に入れた知恵かもしれない。橘カイジ(飯尾和樹)が作るゲームだったり、タクラマカン斎藤(松尾貴史)が経営するバーだったり、そして脚本家・野木亜紀子が紡ぐドラマや、それについて語り合うSNSだったり。きっと私たちにはどんな形であっても、抱えきれない何かを一旦置く空間が必要なのだ。


 もちろん、そこではうまく伝えられない人が、ビールをぶっかけてくることもあるかもしれない。さっきまで怒ってた人が、のんきにラーメンをすすっている姿に肩透かしをくらうこともあるだろう。いつだって、人間はわかり合えないのが自然なのだから。人生の不条理は決してなくならないけれど、コントロールできないものへの怒りや悲しみに支配されるより、抱えきれない何かを一緒に背負ったり、更地になった心に何かを一緒に築いてくれる存在に感謝しながら生きていこう。「ゲームなんて」と言っていた恒星が、晶と思い出のボードゲームで笑顔になる姿を見てそんな気持ちになった。(佐藤結衣)