■今年の『エミー賞』で最多5冠のコメディーシリーズ
2018年9月に発表された『第70回エミー賞』。『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ストレンジャー・シングス』といった日本でも人気のドラマが多くのノミネートを受ける中、『プライムタイム・エミー賞』のコメディシリーズ部門で最多5冠を受賞する栄冠を手にしたのはAmazon製作のオリジナル作品『マーベラス・ミセス・メイゼル』だった。
『マーベラス・ミセス・メイゼル』は今年のコメディーシリーズ部門をほぼ独占し、作品賞、主演女優賞、助演女優賞、監督賞、脚本賞の5冠を達成した。2017年3月に配信がスタートして以来、New York Timesは「(本作は)スーパーヒーロー物語である」と評し、TIMESは「マーベラス・ミセス・メイゼルは現代のヒロインだ」と賛辞を贈る。待望のシーズン2の配信が12月5日に迫る中、ラブコメファンから批評家までを夢中にさせる本作の魅力を探っていきたい(12月5日から日本で配信がスタートするのは字幕版のみ、吹き替え版は2019年2月配信予定)。
■1950年代ニューヨーク。夫の浮気に直面した世間知らずの主婦がコメディエンヌに
あらすじはこうだ。舞台は1958年のニューヨーク、主人公はアッパーウエストサイドの豪華な家に住むユダヤ系の専業主婦ミリアム“ミッジ”メイゼル。ミッジは企業の副社長である夫と2人の子供と共に絵に描いたような幸せな日々を送っている。
そんなミッジの日常はある日、突然崩れ始める。密かにコメディアンの夢を追う夫のジョールが舞台で大失態を演じ、その原因だとしてミッジを責めたてた挙句に秘書との浮気を告白して家を出て行ってしまうのだ。自暴自棄になって酔っ払ったミッジは、夫が大スベりをしたクラブ「ガスライト」のステージにワインボトル片手で乱入し、マイクの前で夫への不満をぶちまける。ミッジはそこで胸を露出したことで警察に連行されるのだが、客は大ウケ。ガスライトで働くスージーはミッジのコメディエンヌとしての才能を見抜き、彼女のマネージャーになることを申し出る。
全8エピソードにわたってミッジがコメディエンヌとして成功しようと奮闘する様や、夫、両親とのいざこざに振り回されながらもたくましく生きる姿がコミカルにテンポよく描かれる。クリエイターは2000年から2007年まで7シーズンが放送された『ギルモア・ガールズ』を手掛けたエイミー・シャーマン=パラディーノと夫のダニエル・パラディーノだ。
■レイチェル・ブロズナハン演じるミッジの放つ明るい魅力
『マーベラス・ミセス・メイゼル』の魅力はなんといっても主人公ミッジのキャラクターだろう。演じるレイチェル・ブロズナハンは本作で『ゴールデングローブ賞』ミュージカル・コメディ部門主演女優賞、『エミー賞』コメディーシリーズ部門主演女優賞を受賞した。
ミッジは『ギルモア・ガールズ』に登場した3世代の女性たちのように、パワフルで明るいエネルギーに溢れた人物だ。本作は女性の社会進出の物語でもあるが、ミッジのキャラクターに悲壮感はなく、発するエネルギーは夫に逃げられる前も後も常にポジティブだ。専業主婦が夫に逃げられて新たな才能を開花させるストーリーというと、家庭内で抑圧され、窮屈な思いをしていた女性が解き放たれるような展開を想像する人もいるかもしれない。だがミッジは決して抑圧されていた人物としては描かれていない。
夫のジョールが出ていくまで、ミッジは「完璧な妻」だった。家の中でも外でも常に美しく着飾り、メイクを落とすのは夫が寝入ってから。夫が起きる前に起きてメイクをして再びベッドに入り、夫の起床を待つ。プロポーションも完璧で、毎日ウエストと太もも、足首のサイズを測ってはノートにつけている。そして働きながらコメディアンを目指す夫の出番を勝ち取るためにクラブに手作りのブリスケット持参で頼みこみ、夫のネタ改善のための研究にも余念がない。
これだけ見ると夫のために自らを犠牲しているようだが、レイチェル・ブロズナハンも過去にインタビューで語っているようにミッジは理想の女性でいること、夫のために尽くすことを純粋に楽しんでいる。好きな人のために献身することやメイク、ファッションを楽しむこと――そういったことを必ずしも抑圧の象徴やつまらないこととして否定しないのも本作の魅力のひとつだと言えよう。
■「女を捨てなきゃ社会で成功できない」への反論
またエイミー・シャーマン=パラディーノはRolling Stoneの取材に対し、「この女性(ミッジ)は違う道を歩き始めるまでそこに檻があるなんて知らなくて、それで初めて『ここに壁があったんだ』って気づく。その時点で彼女はもう『まあこれは取っ払わなきゃね、私がこれからここに座るんだから。だって私はミッジだし』っていう感じになっている」とミッジのキャラクターを説明している。
世間知らずのお嬢様であるミッジは、家庭に閉じ込められているという意識はない。だが自分の世界の中心だった家庭が崩れて初めて、外の世界があったことを知る。そしてかわいい洋服とコスメで着飾った姿のままステージに上がり、無意識的にも本音をぶちまけることで社会の古い考えやステレオタイプに抵抗し始める。
TIMEのインタビューでシャーマン=パラディーノは「きれいに着飾って女性らしさにふけっていたいミッジと、ステージの上で言いたいことを言いたいミッジの両方がいるんです。異なる2つの生き方の両方に引き寄せられているのが彼女で、それこそ私たちがこの作品が続く限り描きたいことなんです」と語っている。ミッジの生き様は「女を捨てなきゃ社会で成功できない」というような考えへのアンチテーゼのようにも映るのだ。
■痛快なネタの数々。「なんで女は馬鹿のふりをしなくちゃいけないの?」
『マーベラス・ミセス・メイゼル』は全編にわたってとにかく痛快な物語である。その痛快さを支えるのは前述したミッジのポジティブなキャラクターに加え、彼女がスタンダップコメディーのステージで披露するネタの数々だ。
ミッジのネタは基本的に自身のパーソナルな出来事に基づいている。自分の身に起きたことや目で見たことを下ネタも交えてあっけらかんと話して聞かせ、時には気分を害して席を立ったり野次を飛ばしたりする男性客も登場する。
「ガードルやコルセット、ブラジャーで締め付けられて脳に血が回らないせいで夫の言うことを信じちゃう」
「こんな本(有名な育児書)を買わずに口紅を買えばよかった」
「私が母親になるべきじゃなかったとしたら? 女は自然に母親になれるはずでしょ? オッパイもあるし素質も備わってる。例外もあるの?」
彼女がステージ上で放つ言葉はユーモラスでありながら辛辣で、1950年代のニューヨークに生きる女性の本音を代弁するものでもある。そこで語られる不満や疑問の多くは現代の女性が抱える葛藤と通じる。男性社会のコメディー業界でミッジが直面する困難もまた同様である。
ネタバレになるので多くは触れないが、シーズン1の後半でミッジとは対照的なもう1人のコメディエンヌが登場する。彼女はキャラを作っていわゆる「自虐ギャグ」のようなネタで人気を博し、国民的コメディアンにまで上り詰めた。その人物は「自分自身」としてステージに立っているミッジに「男はそのままでも良いが、女はキャラがないと笑いは取れない」「男たちはただあなたとヤリたいだけ。成功したいなら色気は隠して」と忠告する。
ミッジはこれにステージ上で反論し、後にトラブルに発展するのだが、そこでミッジが発した言葉はこうだ。
「なんで女性は何かのふりをしなくちゃいけないの? なんで馬鹿じゃないのに馬鹿のふりをしなくちゃいけないの? なんで困ってないのに無力のふりを求められるの? なんで何もしてないのに謝ることを求められるの?」
女を捨てなきゃ女性芸人は笑いをとれないのか? 女は馬鹿なふりをしなくてはいけないのか? 残念ながらこれらの問いは『マーベラス・ミセス・メイゼル』の時代から50年以上が経った2018年でも有効だ。
■実在のコメディアンやクラブも登場。当時のニューヨークの風俗に触れる
物語の内容だけではない。登場人物のファッションやミッジの家、勤務先の百貨店の内装など、全体的にカラフルで優しい色調に満ちた画面も見る者を楽しませる。
主に1つのカラーでコーディネートされたミッジのファッションは、当時のファッション雑誌に加えて、ソール・ライターなど当時の写真家の作品からインスピレーションを受けているという。衣装デザイナーのドナ・ザコウスカは、50年代の写真作品の色の使い方に大きな影響を受けたとDeadlineのインタビューで明かしている。
またミッジがスタンダップコメディアンとしてステージに立つニューヨークのガスライト・カフェは1950年代から実在したしたコーヒーハウスだ。劇中にはレニー・ブルースなど実在するコメディアンも登場し、1950年代ニューヨークの街の様子や風俗に触れることができる。
『エミー賞』で5冠を制したとあってシーズン2への期待も大きい本作。すでにシーズン3の製作も決まっている。女性が社会で直面する様々な困難を描いている内容でもあるが、堅苦しいところは全くなく、明日への活力を得られるような晴れやかな気分になれるコメディー作品だ。シーズン1でコメディエンヌとしての一歩を踏み出したミッジはどのような道を歩むのか。12月5日のシーズン2配信開始を楽しみに待ちたい。