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グランツーリスモ初の世界王者は日本育ち。モナコの現地で感じたレースゲームの未来と可能性【大串信の私的レポート】

2018年11月28日 12:12  AUTOSPORT web

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2018年FIA公認グランツーリスモ ワールドファイナルで優勝した
しばらく自分のレースに出場していないので、そろそろ復帰戦をと思ってあれこれ検討したがスケジュールが合わず今シーズンもサーキット再デビューは延期した。でもそれではなんとも心が収まらずどうしたものかと思っているとき思い出したのがグランツーリスモSPORTだった。

 1年ほど前、小林可夢偉がグランツーリスモSPORTの開発に助言していると聞き取材したことがあった。そのとき可夢偉がTOYOTA TS050 HYBRIDをドライビングする様子を見たのだが、その実感に驚いたのだった。ぼくは元々グランツーリスモのファンで、PS3時代は自宅のリビングルームでかなり走り込んだものだ。しかし最新のグランツーリスモSPORTは、はるかに進化していた。

 あれなら、サーキットをもう一度走りたいというぼくの欲求に応えてくれるだろう、このシーズンオフは自分へのクリスマスプレゼントとして改めて必要機材一式を購入しリビングルームで走り込みをしよう、と考えた。サーキットを実際に走る感触を知っている人間が、実走行の「代用品」として成立すると思えたのだからデジタルテクノロジーの進化は大したものだ。と、そのときは思っていた。

 そう思い立った直後、グランツーリスモSPORTによるFIA公認チャンピオンシップ『FIAグランツーリスモ・チャンピオンシップ2018』のワールドファイナルが11月17~18日にモナコで開催されると知った。今やグランツーリスモSPORTのオンラインユーザーは全世界に拡大して350万人に達したという。そのユーザーが世界3地域の予選を通して66人に絞り込まれ、モナコで一堂に会して世界一を競うという趣向らしい。

 幸運なことに機会を得たのでモナコまで出かけ、イベントを取材することに決めた。グランツーリスモを久しぶりに思い出した途端の話だ。何かの巡り合わせかもしれないではないか。

 競技会場はモンテカルロ・スポーティング・クラブだった。見覚えがある場所だなと記憶を探ったら、以前F1モナコグランプリの取材に来たとき、さまざまなチームが発表会やパーティーを開き、招かれて訪れたことのある由緒ある場所だった。

 そこに10基のグランツーリスモ用シートとディスプレイが並べられ、観客席やコメンタリーブースが設営され、ポルシェ919をはじめとする実車が展示されていた。世界各国から集まった選手たちはそこで勝敗を競うのだ。

 レースはドライバーズブリーフィングから始まり、フリー走行、予選、準決勝、決勝と現実のレースとまったく同じ手順で進む。それどころではない。走り終えた選手にコメントを求めると、ソフトタイヤ、ミディアムタイヤ、ハードタイヤの選択と交換タイミングで失敗しただの、レース序盤にタイヤを使いすぎてしまっただの、コーナーを争って当てられただの、現実のレーシングドライバーと変わらない感想を語るのだ。

 レースに勝った選手がシートの上で両手を握りしめガッツポーズを取る仕草も実際のレースとまったく同じ、様子を眺めているぼくはだんだん現実世界と仮想世界の区別がつかなくなってきた。

 きわめつけは、優勝候補としてぼくの取材に答えてくれたイゴール・フラガの台詞だった。ブラジルからやってきた彼は日本語が堪能だ。なぜかと聞くと子供の頃に日本でレーシングカート修行をしていたのだという。

 それを聞いてぼくの頭はくらくらとした。待てよ、ぼくは誰にインタビューをしているのだったっけ? ヨーロッパにやってきた若いブラジル人レーシングドライバーなのか? 今ぼくと彼がいるこの場所は、どこのサーキットで、何のレースが開催されているのだっけ?

 フラガのコメントはそれにとどまらなかった。「レーシングカート時代は、牧野任祐より年間で良い成績をおさめたこともあります」と彼は言う。

「いや待て。あんた、誰?」

 さらに目が回ったぼくは、その夜ホテルに帰ってから改めてフラガの経歴をインターネットで調べてみた。日系四世の彼はたしかにかつて日本に住み「(アイルトン)セナに憧れ、F1目指してレーシングカート修行」をしていた。その後はブラジルに帰り、昨年はブラジルF3ライトのシリーズ全16戦で10勝と勝ちまくり、今年はインディカーシリーズの下位カテゴリー、US-F2000でシリーズ14戦中3戦で表彰台に上がりランキング4位につけていた。これは、それなりに有望な若手レーシングドライバーと認められる経歴ではないか。

■現実のレーシングドライバーの技術がゲームでも再現される驚異の進化

 フラガには注目して眺めなければなるまいと気持ちを入れ替えて翌日からの競技を眺めることにしたが、ぼくが覚悟するまでもなくフラガはモナコでも大活躍してなんと総合優勝を遂げ、ワールドチャンピオンになってしまった。あのFIAが認定する正真正銘の「FIAワールドチャンピオン」である。当然ながら12月にロシア・サンクトペテルブルクで行われるFIAの年間表彰式に招かれ、F1やWRCやWECのワールドチャンピオンたちと肩を並べて表彰を受ける。

 王座を獲得したフラガは全身で喜びを表現し、観客や取材のカメラに囲まれた。その姿を眺めていたフラガの父上はうっすらと目に涙を浮かべていた。ぼくは自分の目前で何が起きているのか、うまく理解しきれずにいた。モナコから帰ってこの原稿を書いている今に及んでもまだしっくりと飲み込むことができないでいる。

 これまでもグランツーリスモのプレイヤーからは現実のレーシングドライバーが生まれている。たとえばルーカス・オルドネス。たとえばヤン・マーデンボロー。だがぼくはあくまでもレーシングドライバーが一方でグランツーリスモをプレイしていたに過ぎないのだ、と決めつけていた。以前レーシングシミュレータの取材をしたとき、「シミュレータはまだ現実と食い違う面が多く、シミュレータ独特のテクニックが存在するためレーシングドライバーがゲーマーに負けることは珍しくない」と聞いた。それを根拠にぼくは現実は現実、仮想は仮想と区別をしてきたのである。

 しかし350万人のゲームユーザーからレーシングドライバーが勝ち抜いて世界一になったとなると、仮想世界は現実世界の添え物、代用品だという位置づけは考え直さなければならないのではないか。敢えてグランツーリスモSPORTをゲームと呼ぶならば、とうとう「レーシングドライバーが現実のテクニックで勝てるゲームになった」と言うべきなのではないか。グランツーリスモSPORTのレースは「仮想」どころではなくもはや「現実」なのではあるまいか。

 ちなみにモナコの現場に設営されたスペイン向けコメンタリーブースでレースを解説していたのは、他ならぬオルドネスだった。何が仮想で何が現実なのやら、モナコから帰ってきても、ぼくの気持ちはグルグルとさまよったままだ。どうやらぼくがぼんやりと暮らしている間に世の中は着実に進歩して、ぼくの想像もしていなかった世界が生まれ広がろうとしているらしい。

 実はモナコでワールドファイナルが開催されている週末、鈴鹿サーキットではサウンド・オブ・エンジン、マカオではマカオGPが開催されていた。言ってみれば鈴鹿では過去、マカオでは現在のモータースポーツが繰り広げられていたのだ。ぼくは当初、鈴鹿へ出かけて過去に浸るつもりでいた。しかし急きょ予定を変更して出かけたモナコで、ぼくは未来のモータースポーツを見せつけられることになった。来年は開幕から「FIAグランツーリスモ・チャンピオンシップ」を意識せざるをえなくなったようだ。

 考えてみればぼく自身が、サーキットの実走行をグランツーリスモSPORTで置き換えようと自然に発想していたではないか。未来はぼくの古ぼけた感覚にも知らず知らずのうちにジワジワと浸透し始めていたのかも知れない。

 なんでも、将来的にはチャンピオンシップにシニアクラスを設けようかという話もあるらしいので、このシーズンオフは、真剣に走り込みをしてやろうと改めて思った。当然、現実の「代用品」としてではなく「現実」として取り組むつもりだ。ひょっとしたらこのぼくだって、この年齢にして世界を舞台に闘えるようになるかもしれないではないか。