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人が本当に死ぬ瞬間はいつ? 『A GHOST STORY』デヴィッド・ロウリー監督に聞く

2018年11月18日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『ピートと秘密の友達』のデヴィッド・ロウリーが監督を務める映画『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』が11月17日から公開されている。気鋭の映画スタジオA24が生み出した本作は、シーツ姿の幽霊が主人公の物語。不慮の事故死を遂げ、幽霊になってさまよい続ける夫をケイシー・アフレック、夫に先立たれる妻をルーニー・マーラが演じる。


 今回リアルサウンド映画部では、本作の監督を務めたデヴィッド・ロウリーにインタビュー。A24スタジオでの制作や、ロウリーが思う「死」などを語ってもらった。(取材・文=阿部桜子)


「A24では、映画を手作りしている感覚で仕事ができた」


ーー『セインツ -約束の果て-』以来、ケイシー・アフレックとルーニー・マーラを再起用した理由を教えてください。


デヴィッド・ロウリー(以下、ロウリー):これまで彼らとは2本も映画を作っているんだ。だから当然、2人の演技力は把握済みだったし、この映画で僕から彼らの演技について指導するつもりはなかったよ。2人の相性と演技には文句のつけようがないからね。何より、彼ら2人が共演している姿を見るのが一番好きなくらいさ。それに、僕らはすごく気があうし、友達としても大好きな2人だよ。実は最近もケイシーとは映画を作っていたんだ(※『オールド・マン・アンド・ザ・ガン(原題)』)。またルーニーとも映画を撮りたいと思っているよ。


ーー話題作が続くA24での制作は、他のスタジオと違うところはありましたか?


ロウリー:A24はすごく独創的な会社だね。映画を手作りしている感覚で仕事ができたよ。いわゆる商業的な映画としてではなく、僕が「作りたい」「やってみたい」と思った作品を作らせてくれたんだ。基本、すべてのスタジオで違いがあると思っているよ。それぞれ、その映画にあったスタジオがきっと存在するんだ。今回のような実験的な映画は、個性的なスタジオであるA24が合っていると感じたし『オールド・マン・アンド・ザ・ガン(原題)』もフォックス・サーチライトにぴったりだと思う。僕は、映画にとってのスタジオは、僕らが普段暮らしている家のように捉えているんだ。


ーー音楽も1人の登場人物のように印象的でしたが、あなたがダニエル・ハートの音楽を起用し続ける理由は?


ロウリー:ダニエルは、まるで手作りしているかのようなアプローチで音楽を作っていく人なんだ。僕はテキサス出身なんだけど、彼もダラス出身だから僕とも近い環境で育っているし、僕自身のことや僕が何をやりたいかと理解してくれる。映画をもっと良くするためには何をすべきか、というのを分かってくれるから僕にとっては必要不可欠な存在なんだ。


ーーこの作品の中では美しく広大な景色がたくさん出てきますが、どこか悲しみを含んでいるように感じました。


ロウリー:新しい映画を撮る度に、明るくて楽しい作品にしようとしているんだけど、なぜか作品を観た人には、メランコリックな雰囲気の映画だ、と言われることが多いんだよね。僕自身も、自分のことを明るい人間だと思っているんだけど(笑)。もしかしたら、自分でも気づかないうちに、自然にそういったものに惹かれてしまうのかもしれないな。それが作品に反映されているんだと思う。


ーーあなたは「『ピートと秘密の友達』で学んだことをもっと小さなスケールで試したかった」と言っていましたが、学んだこと、そして『A GHOST STORY』にも反映したことがあれば教えてください。


ロウリー:どんな作品でも、映画を作るときは、自分自身のことや新しい手法・技術について学んでいると感じるよ。『ピートと秘密の友達』でも、それを感じた。僕はいつも、自分の直感に導かれるように映画を作るようにしているんだけど、それを大きなスケールで実践できたという意味では、とても学びがあった作品だと言えるね。今回も同じく、自分の直感に耳を傾けて、スケールに拘らずに映画作りができたと思う。もしかしたら、映画がメランコリックな作品になるのは、その直感のせいかもしれないね。


ーー本作において、「死」は切り離せないテーマです。「死」は、肉体が魂から離れるときや、人の記憶から消えてしまったときなど色んな考えがありますが、あなたはどう思っていますか?


ロウリー:僕自身は、本当の「死」というのは人の記憶から消えてしまったときだと思っている。僕が育った家庭はとても信仰深い家だったんだけど、僕自身はあまり信仰深い方ではなくてね。信仰というものに対しての考えや信仰そのものを大切にしているという訳ではないんだけど、ただ、魂が肉体を離れたときに起こる何か、その先にある何か、というのは信じている。エゴのようにも思われるかもしれないけど、この映画では、「死」を乗り越えたその先にある何かを描いてみようと思ったんだ。