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『プレステクラシック』のラインナップは、なぜしっくりこないのか?

2018年11月13日 07:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 先日、『プレイステーションクラシック(以下、『プレステクラシック』)』の全収録タイトルが公開された。ラインナップ(日本版)は以下の通り。


(関連:【太ってみた】『レッド・デッド・リデンプション2』で限界まで太ったら戦闘力5のおっさんになった


・アークザラッド
・アークザラッドII
・ARMORED CORE
・R4 RIDGE RACER TYPE 4
・I.Q Intelligent Qube
・GRADIUS外伝
・XI [sái]
・サガ フロンティア
・Gダライアス
・JumpingFlash! アロハ男爵ファンキー大作戦の巻
・スーパーパズルファイターIIX
・鉄拳3
・闘神伝
・バイオハザード ディレクターズカット
・パラサイト・イヴ
・ファイナルファンタジーVII インターナショナル
・ミスタードリラー
・女神異聞録ペルソナ
・METAL GEAR SOLID
・ワイルドアームズ


 発表されたラインナップに不満とはいかないまでも、イマイチそそられなかった方も多いのではないだろうか。もちろん収録タイトルの選定は、「あちらを立てればこちらが立たず」な側面があり、権利関係が複雑なタイトルもあるため、文句を言っても仕方ない。


 だとすれば、今回の『プレステクラシックのラインナップ』を見て感じるモヤモヤはどこから来ているのだろうか。この記事ではプレイステーション(以下、PS)がどんな時代に生まれた、どんなハードだったのかを辿ることで、『プレステクラシック』について考察してみたい。


プレイステーションとはどんなハードだったかーー3Dゲームの到来


 初代『プレイステーション』が発売されたのは、1994年12月3日。開発元はSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)、今やソニーとゲームは切っても切れない関係だが、ソニーは『プレイステーション』からゲーム業界に本格参入した。


 94年末はセガサターン、PC-FXなど32ビットの次世代機が発売され始めていた時期であり、まさに「次世代ハード競争」の時代だったと言える(その後96年には『NINTENDO64』も発売)。


 この時代に注目された技術は、やはり3D描画技術だろう。『セガサターン』はアーケードで人気を博した、3D格闘ゲーム『バーチャファイター』の移植版をローンチタイトルに含めている。「ゲーム=2D」の時代は、もはや終わりを迎えつつあった(とはいえセガサターンは、「究極の2Dゲーム機」として、アーケードゲームを高いクオリティで移植していた)。


 プレイステーションは当時のハード(PC含め)の中でも、3D描画性能に優れたハードだった。これにはメインCPUに加えて、3Dポリゴン処理専用のジオメトリエンジンを搭載しており、ハードウェア上でグラフィックを処理できたという理由がある。


玉石混合のPSソフトと「カルトゲーム」


 結果的に次世代ハード競争に勝利したのは『プレイステーション』だった。『FFVII』も『ドラゴンクエストVII』も『プレイステーション』での独占販売であり、他にも『プレステクラシック』のラインナップに入っているような名作タイトルがPSの売り上げを後押しした。


 そして、『プレイステーション』というハードを語るときに、忘れてはならないのがカルトゲーム(※1)の多さだ。薬物によるトリップ感覚をゲームで味わえる『LSD』に、サイバーパンクのビジュアルを取り入れた『クーロンズゲート』、RPGの構造を逆手に取った『moon』。PSからはデザイン面でもゲーム性でも、これまでのゲームとは毛色の違う作品が数多く発売されている。


 では、なぜPSにはここまで個性的なタイトルが集中したのか。それにはいくつかの理由がある。


※1カルトゲーム……一部のファンに熱狂的に支持される映画を「カルト映画」と呼ぶように、本稿ではそのようなゲームをカルトゲームと呼んでいる。


なぜPSには個性的なゲームが多いのかーー90年代後半という時代


 1995年、それは世紀末に相応しい混沌とした時代だった。バブルは崩壊し阪神淡路大震災に続いて、地下鉄サリン事件の発生。97年には14歳の少年による連続殺傷事件『酒鬼薔薇事件』が世間を騒がせた。


 『プレイステーション』が発売されたのは94年の12月3日。不景気にショッキングな事件が重なった混乱の時代に、『プレイステーション』はゲーム市場に登場したのだ。


サブカルチャー狂い咲き


 90年代の日本のサブカルチャーは、上記のような時代の空気の影響もあってか、未だに語り継がれる名作・怪作が多く生まれている。


 アニメなら『新世紀エヴァンゲリオン』に『少女革命ウテナ』、漫画なら『ザ・ワールド・イズ・マイン』。また、自殺の方法が列挙された書籍『完全自殺マニュアル』が、93年に出版されミリオンセラーとなったのも非常に象徴的である。


 当然の『プレイステーション』のゲームにも、そのような影響があると考えてもおかしくない。『serial experiments lain』や『クーロンズ・ゲート』のアングラさは、90年代という特異な時代だったからこそ、はじめて生まれ得るものだったのではないだろうか。


サードパーティーの充実


 ゲーム業界には新規参入だったソニーだが、ゲームという分野で戦う上でソニーには豊かな資金力の他に、ある武器があった。その秘密がCD-ROMにある。


 SCEはそれまでのゲームの流通網を使わずに、自社の音楽CDの流通ノウハウを流用することで、より迅速でより柔軟な流通を実現した。またCD-ROMはカセットよりも遙かに原価が安いことも大きなメリットだった。


 流通の柔軟化はサードパーティー(※2)の充実にも繋がる。『現代ゲーム全史』(早川書房)のなかで、著者の中川大地はこのように記述している。


 “この流通特性は、対サードパーティー施策としても大きなアドバンテージで、体力のない中小ベンダーであっても、あまり大きな初期投資の負担や在庫リスクに悩まされずにゲームソフトが提供できることを意味していた。”(『現代ゲーム全史』p267より引用)


 また、SCEのサードパーティー充実戦略はこれだけではない。当時高価だったゲームの開発機を安価に抑えたことで、SCEはより多くのサードパーティーを集めることに成功した。


 サードパーティーの参入障壁を下げることは、アタリショック(※3)のようなケースを招くリスクもあった。だが結果的にサードパーティーの参入障壁が高い任天堂ではあり得ないような、尖ったタイトルが『プレイステーション』に集中することになった。


※2 サードパーティー…ゲーム業界においてサードパーティーとは、ハードウェア(ゲーム機)を取り扱わずに、ソフトウェアだけを開発・販売している企業を指す。


※3 アタリショック……アメリカ合衆国で家庭用ゲーム機Atari2600のヒットに伴いソフトが粗製濫造され、ビデオゲーム全体の市場が崩壊した事件。この時に発売された『E.T.』は伝説のクソゲーとして歴史に名を残してしまう。詳しくはドキュメンタリー映画『アタリ ゲームオーバー』を参照されたし。


プレステクラシックのラインナップがしっくり来ない理由


 これまでの論旨はこうだ。プレイステーションにカルトゲームと呼ばれるような個性的な作品が集中したのには、大きく分けて2つの理由がある。


・90年代後半の時代の空気が、サブカルチャー全体に大きな影響を与えていた
・サードパーティーの参入障壁が低く、小規模のデペロッパーが参入する余地があった


 このような要件がカルトゲームを生み出す土壌となり、数々の名(迷)作が誕生した。以上、プレイステーションの歴史と背景について触れたところで、今回のPSクラシックのラインナップをもう一度思い返してほしい。


 『ファイナルファンタジーVII』や『アーク・ザ・ラッド』、『バイオハザード』など『プレイステーション』を代表するようなゲームは収録されているものの、90年代のあのアングラ感を強く匂わせるようなタイトルはほとんど収録されていない。


 『プレステクラシック』はあくまでも『プレイステーション』の表の顔にしか過ぎない。『プレイステーション』にはカルトゲームの宝庫という、もうひとつの顔がある。今回のラインナップに「これじゃない」感を抱いている方がいるとすれば、それは一枚岩ではない『プレイステーション』のある一面しか捉えていないところに原因があるのではないだろうか。


 そういう意味で『プレステクラシック』は、『プレイステーション』から90年代の匂いをすっかり「脱臭」してしまったハードともいえる。あの匂いをもう一度味わうには、押し入れの奥からPSを引っ張り出してくるしかなさそうだ。


参考文献・リンク先
・『現代ゲーム全史』(中川大地著・早川書房)
・『僕たちのゲーム史』(さやわか著・星海社)
・電ファミニコゲーマー 「久夛良木が面白かったからやってただけ」 プレイステーションの立役者に訊くその誕生秘話【丸山茂雄×川上量生】(http://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3)


(脳間 寺院)