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ライブ演出を“総合エンターテイメント”にするための方法 空間演出ユニットhuezによる『CY8ER 4th ワンマンライブ』解説(後編)

2018年11月11日 09:21  リアルサウンド

リアルサウンド

 空間演出ユニットhuezによる連載「3.5次元のライブ演出」。テクノロジーの進化に伴い、発展を遂げるライブ演出は今後どのように変化していくのか。前回に引き続き、同ユニットのとしくに (ステージディレクター・演出家)に、最新事例を通して、先端技術のその先にある、ライブ体験のより本質的なキー概念について語ってもらう。ケース・スタディ「CY8ER 4th one-man live “SOUND OF ME”」(新木場STUDIO COAST) 後半は、これまでに語られたことのない「ライブ演出の教科書」ともいえる実践的な技術に踏み込む内容となった。(編集部)


(関連:連載:空間演出ユニットhuez「3.5次元のライブ演出」 『CY8ER 4th ワンマンライブ』の仕掛けを解説


15秒毎に飽きない画が延々とつづく


 ワンマンライブは、だいたい20曲ほどで組まれる。今回は22曲。そうすると、見た目の画が飽きないというのはかなり重要。自分はお笑いをやっていたから、ということもあるが、漫才だと10秒から15秒に1回、コントだと15秒に1回笑いをとるのが基本で、ライブでも「15秒にどれだけ情報を詰め込めるか」をすごく意識している。


 こういった構造を、ライブ演出に取り入れるとき、影響を受けたのが映画監督の中島哲也さんだ。中島さんは元々CMの監督さんで、『下妻物語』や『嫌われ松子の一生』は特にそうだが、15秒毎に飽きさせない画が延々とつづく、という演出を効果的に使う。


 今回、自分はそこまでの秒数は切ってない。しかしそれでも、1曲1曲で飽きないようにと。例えば、「明るすぎる」と「暗すぎる」の使いかた。メンバーが、閃光で見えないぐらい明るいとか、見えないぐらい暗いとか。色味が、かなりあちこちに移動するつくり方をしている。


 もちろんワンマンライブだから、ファンの人たちは、演者をちゃんと見たい。そのために、ベタに言う「サービス映像」という、演者が見える状態もつくる。メンバーの顔が後ろにどんと映る、この「見えるシーン」で重要になるのは、なるだけシンプルにやることと、人間味を出すことだ。余計な光は出さないし、本人に焦点がいくように、例えば照明はスポットライトだけというのを意図的にやる。この状態になるのは、このライブでは2曲だ。


1曲に3、4コのギミックが最低条件


 それ以外の部分で、ギミックをどれだけ詰め込められるか。今回のライブは、細かいギミックをかなり入れているケースだ。最低条件は、1曲に3、4コで、必ず違うギミックを入れる。1曲のためだけの演出をいくつも用意して入れていく、という。これはつくり方のコツでもあるが、「法則を決める」というのが重要になる。


 演出のギミックは、分かりにくいものもある。それは、「この曲のこの部分はキックだけ全部レーザーがとってください」「ミドルハイの音は全部映像がとってください」「照明はここだけは全部引いてください」みたいなものだ。


 基本的に音楽、曲には、すごくざっくり言えば、「1番、2番、ラスサビ」という構成がある。そこに「A、B、C」というギミックを入れる。ただ、次の曲も同じように「A、B、C」とやると、曲並びで飽きてしまう。だから、今度は曲並びのなかでも違うことをやらなくてはいけない。ただ、「変えてく、変えてく」というのを毎回やると、今度は「変えること」にお客さんが飽きる。次は、それをブロックレベルで考えなければいけない。


 だから何も変えないブロックや、「これしかやらない」というブロックを意図的に入れることで、今度はブロックのなかで演出を変えていく。自分の体感だと、ライブのなかで繰り返しが1回でもあると飽きられてしまう。


 今回は、ギミックが変わりまくるブロック、ギミックがちょっとしか変わらないブロック、意図的にギミックという概念がそもそもないブロック、一つのギミックがだんだん変化していくブロック、そして、最後のアンコールのブロックは、全ギミックが1曲ずつで見られるというブロックになっている。


物量というギミックを当てる


 機材のギミックで、今回、これは当たったというのを挙げると、まず単純に、これは思いっきり自分の作家性なのだが、物量というギミックがあり、入れた量が当たった。機材は1つでも、ギミックが10コくらい入っているようなもの。つまり、ほぼ無限にギミックが使えるようになるということだ。


 例えば、照明だったら、色、動き、つけるタイミング、数とか、あとは光量、明るいかとか、めっちゃ濃いかとかーーそれはレーザーでも同じくらいある。映像を出すというのでも、CGを出す、実写を出す、アニメーションを出す、ただそれが光ってるだけ、真っ白にパーンと閃光するだけ……など、各機材でできることは何コも何コもある。


 あとこれは、小道具という部類だが、ハンドレーザーは1コのギミックしかなくて、それしか出せない、というのも1ギミックになる。それを、本当にたった一瞬のために使うと。それに、小道具はつくることもできる。例えば、衣装がいきなり突然光るというものも、光ることしかできないけど、つくれば、1ギミックにできる。


 また、自分がよく使っている、大切にしているギミックに「暗転」がある。闇をつくったとき、その闇にプラス1コ何か入れると、それが完全に勝つ、というのをかなり使う。暗転は、ノンストップで次々に変わっていくものから、1回時間を止める効果がある。そうすると空気が変わって、観客のテンションを瞬間的に落ち着かせることができる。


 今回で言うと、暗転は、3ブロック目のピーク盛り上がり、DJの最後のシーンがあり、それが終わったときに1回。そして、その後の4ブロック目に、「演者を見せる」というシンプルなシーンがあり、この終わりでも、暗転を入れて、お客さんのテンションと空間を1回ゼロにしている。


 また今回はお立ち台があり、これも1ギミック。お立ち台に乗るか、乗らないかという違いを出すことができる。お立ち台自体は、よくアイドルのライブで使われてはいるが、うちがつくったお立ち台は、メンバーが乗る天板が透明だ。この天板の下に灯体を仕込んで、真上に照明をあてると、メンバーをそれぞれの色で光らせることができる。


 お立ち台が光るとなると、「光るお立ち台」自体がギミックとなり、そこに人が存在してるから、「光るお立ち台オン人」「光るお立ち台ノー人」「光ってないお立ち台オン人」「光ってないお立ち台ノー人」と、1コ1コパターン分けできる。これも重要なのは、多用はしないということ。今回、お立ち台を光らせたのは2曲だ。


トラックメーカー目線とファン心理で組む


 セットリストを決める上でも、やはりギミックが重要になる。今回はhuezのYAMAGEとあなみーというクルーで組んだのだが、これには2人の作家性が思いっきり出ている。自分が一つ注文したのは、「今回、極端に振り替わっていく演出をとりたいから、派手な曲は派手な曲で、エモい曲はエモい曲で、一カ所にまとめてほしい」ということだった


 YAMAGEは、フェスや音楽のライブ自体がすごく好きで、セトリのギミックを本当によく知っている人。セトリの並びの美しさ、音の並びの美しさにこだわる。特に、各ブロックの頭、真ん中、最後の曲を何にするかにこだわる。そして、その最後の曲がちゃんと次のブロックに行くときに違和感がないか。これは曲調を先行させた、トラックメーカーの目線に準じたセットリストの組み方だと言える。


 あなみーもバンド畑から出てきていて、セトリのギミックをすごく知っている。それにプラスして、CY8ERの照明をいちばん最初からやっている人。だから、いろんなライブをやってきて、いまこう来たぞ、という大きな流れを知っている。あなみーが言っていたのは、「本編ラストの曲は、今回は絶対にこれがいい」ということ。「最後にこの曲で終わるのは感動する」と。これは活動としての「物語」を考えた、ファン及びメンバー心理を重視した構成だ。


 そして2人が出した提案に対して、自分が「はくちゅーむ」の3連続を加えた。自分の「はくちゅーむ」の演出は、そことはかち合うものになるから、全部アンコールに倒した。本編はもう完成していたから。


1曲1曲でワンマンライブに


 演出の構成を考えるときは、頭のなかに、心電図のような波を思い浮かべる。その波で言うと、今回は6ブロックある。


 大まかに言うと、最初に、正常値を一線決める。自分の演出は基本的にやや高めからスタートだ。1部から3部までは上がりっぱなし、そして、4部でいきなり落としてゼロに。そこから、5部でまた上げて、やや高めのスタート状態に戻して、6部のアンコールで1部から5部の波を高速で再現する。


 もちろん、それぞれのブロック内でもアップダウンがあり、その解像度を上げると、曲単位になり、曲単位の解像度が上がると、曲内の構造になって、それをさらに細かくすると曲のなかの音になる。


 極端に言うと、解像度を限界まで上げると、1曲1曲でワンマンライブをやっているようになるということだ。全体でワンマンライブにする。ブロック単位でワンマンライブにする。曲単位でワンマンライブにする、という。


 細部のアップダウンは、曲が条件になる。そもそも曲のなかに上がり下がりがあり、それに合わせたり、無視したりする、というのをとる。ただそれが意図的に、ただただ真っ平らになっているときもある。


6部の波のさらに中身


 さらにその中身について話すと、まずオープニングSEは、ド派手。オープニングだからインパクトをつける。そして1部目は、入口としてのド頭3曲で、今回、演出の光り物は、ムービングがある、レーザーがある、映像がある、というのをお客さんにわかりやすいように見せる。極端に見せず、ただ普通に出す、という。


 2部目は、もう見えなくてもいい、というド派手状態。「お客さんが気絶してもいい」という光の演出をする。3部目は、DJのYunomiさんが単体で15分ほど出演するブロックで、DJは鳴っている音と空間がおもしろければいいので、人間への意識を完全に抜いて、さらにド派手を拡大させる。 


 4部目は、バラードというようなゆっくりした3曲で、演出を一切使わないで、しっとりさせる。要はただ照明がついていて、本人たちが綺麗に見える、という人間にフォーカスを当てるブロックだ。


 5部目になると、その人間が人間を見ているという見方から、人間がカメラ映像を通して人間を見ると、より鮮明に見えるーーという演出をかける。そして、だんだんその映像にエフェクトをかけたり、演者に残像をつけたり、ノイズがはしるというのをやって、だんだん人間が人間じゃなくなっていく。映像に映ってるのは人間なのに人間に見えなくなる、という演出をして、本編が1回終わりを迎える。


 そして、6部のアンコールは全部で5曲で、前に言ったように、そのうちの3曲は「はくちゅーむ」という曲を3回連続でやる。アンコールが5曲なのにも、意図があり、6部目は、アンコールの1曲目から5曲目で、それまでの1部から5部の演出のテイストを、1曲毎に再現するからだ。


 いまこのCY8ERというグループは、ここから一緒に上がっていこう、もっと大きなところへ、もっと壮大に、そして、いろんな人と見たい、聴きたい、やっていきたい、というすごくいい状態だと思う。だからそういった意味で、自分たちもCY8ERの人たちと、同じ気持ちでやっているので、会場に対して一歩先の演出を組むようしている。


 会場の広さに対してありえないぐらい詰め込んだと思う。「もっと大きな会場で見たい。これがもっと壮大になったらすごいんじゃないか」と思わせる密度の高い空間をつくったということだ。「この会場内で納まってないんだよ、この人たちは。および自分の演出は」と。


 お腹いっぱいになるくらいに、いろんなものを入れたが、完結するつくりにはしていない。CY8ERはここから上がっていくわけだから、「To be continuedだよ」というつもりで、もう一度見たいと思わせる構成をかなり意識した。


 自分は、huezのなかにいる人間も、CY8ERにいる個々人全員も、スタッフさんも、全員アーティストだと思っている。その全員がアーティストとして作家性を出せている上で、かち合っていない状態というのが、完成形の作品だと。


 それぞれプランをつくるときに得意な専門家がいて、それは舞台美術でもあるし、セトリでもあるし、レーザーに照明と、担当している部分があって、それぞれがかち合わないように、交通整理した状態の全体に、それにほんと1%か、2%ぐらい自分の演出はまぶされている。


 それが演出のパッケージングの仕方で、本来、演出やディレクションってそうするべきだと思って、そうしている。「総合のエンターテイメント」っていうのは、そういう意味だと思うから。


(渋都市)