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海外ではドキュメンタリーが公開間近 ゲーム実写化で酷評を浴び続けたウーヴェ・ボル監督とは?

2018年11月08日 08:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 唐突だが、『Fuck You All: The Uwe Boll Story』(18年)というドキュメンタリー映画が出来た。「Fuck You All」である。中学レベルの英語しか分からない私だが、凄まじいタイトルだ。しかし、これこそが相応しい。あの男、ウーヴェ・ボルのドキュメンタリーを作るなら、このタイトルがベストだろう。彼は非常に複雑な人物だが、「Fuck You All」という言葉が相応しいのは間違いないのだから。ウーヴェ・ボル。それはゲームと映画を語る上で避けて通れない映画監督であり、今だ評価が定まらない怪人である。今回はドキュメンタリーの完成を機に、ウーヴェ・ボルという男について振り返っていきたい。


【動画】Fuck You All: The Uwe Boll Story (Official Trailer)


 特定の世代において、ボルの名は悪い意味で有名だ。“マスター・オブ・エラー”つまり“失敗の達人”。かつて彼はそう呼ばれた。幾多のゲームの映画化を手掛けたが、その殆どが失敗作だったからだ。彼は世界中のゲーム/映画ファンから非難の声を浴びた。しかし何故かゲーム映画を作り続けた。普通、評判が悪ければ仕事が無くなるものだし、あるいは自らその世界から遠ざかるものだ。しかし彼は挫けることなく、驚くべきハイペースで映画を撮り続けた。あまりの仕事の途切れなさに「ウーヴェ・ボルは恐るべき権力を持った大富豪の息子」など、信じがたいが微妙にありそうな噂が流れたほどだ(ちなみにウソだった)。


 確かにボルが手掛けたゲーム映画は厳しいものがある。ゲームと映画は根本的に「面白さ」の質が異なるものだ。恋愛ゲームで考えると分かり易い。主人公(プレイヤー自身)がキャラクターと触れ合うのがゲームだが、映画では主人公(プレイヤーとは他人)がキャラクターと触れ合うのを観客として眺めるだけである。物語に介入するのがゲームの醍醐味であり、映画には真似できない点だ。だから映画に沿った形に設定や物語を変更するのは仕方がない。しかし、それにしてもボルは手を入れすぎた。元々の設定を平気で無視するし、何なら原型すら残っていない場合もあった。また、妙に実験的な演出が多いことも特徴的だ。『ハウス・オブ・ザ・デッド』(05年)は、原作のゲーム画面が入るという演出で観客を困惑させた。彼がゲームの映画化において「やらかした」点は擁護できない。


 ゲームファンを積極的に敵に回した点も問題だ。自ら観客や映画人を挑発する言動を繰り返し、遂には映画評論家やファンとボクシング対決を敢行。こうした数々の蛮行で世間を騒がせ続けたが、2016年、彼は映画監督を引退すると発表。現在はレストランを経営している(なお経営は順調らしい)。悪名は無名に勝ると言うが、彼はその実例だと言えるだろう。マスター・オブ・エラーにして、映画業界にケンカを売りまくった怪人。ここまでの事実だけでも「Fuck You All」を冠するに相応しいが……。しかし、皆さんはご存知だろうか? ボルがゲーム映画以外で、どういう映画を作ったかを。この点を踏まえると「Fuck You All」というタイトルに、また異なった意味が付与される。


 ボルは先に書いた通り迷作を作り続けたが、ある時期から彼は良い意味で大きく変化した。具体的には『T-フォース べトコン地下要塞制圧部隊』(08年)、そして『ダルフール・ウォー/熱砂の大虐殺』(09年)からだ。どちらも戦争映画なのだが、ここでボルは徹底的に救いのない地獄絵図を描き切った。特に『ダルフール・ウォー』は凄まじい。実際の民兵組織による虐殺を映像化したもので、目を覆いたくなるほどの凄惨な光景が繰り広げられる。エンタテイメントの基本である勧善懲悪も完全否定され、わざわざヒロイックな展開が用意した上で、それを完膚なきまでに叩き潰す念の入りようだ。鑑賞後の気分は最悪で、戦争の悲惨さを痛感すること必至である。また、本作では実際に虐殺に遭った人々をエキストラに起用したり、主要キャスト陣には即興で演技させるなど、大胆かつ実験的な試みが行われている(カメラの揺れが凄く、画面酔いが激しいのは頂けないが)。実際、それまでのボルの映画からは信じられないほどの高い評価を受けた。さらに同年、彼は更なる衝撃の問題作を放つ。『ザ・テロリスト』(09年)である。


 『ザ・テロリスト』は、狂った思想を持った若者が完全武装して大虐殺を起こす物語だ。主人公は無抵抗な人々を手当たり次第に撃ちまくり、さらにカメラに向けた独白という形で、たびたび観客に自身の思想を語りかける。不穏な間の取り方、荒っぽい画質が相まって、まるで本物の犯行声明ビデオを見ているようだ。虐殺と狂った説教で構成された不道徳なこと極まりない映画だが、目が離せない凄みと狂気があった。同作はボルのキャリアで最も支持を集め、2・3と続編が作られることになる。しかし案の定と言うべきか、予算はドンドン減っていった(裁判沙汰になってもおかしくない内容だから、そりゃそうだ)。


 その一方で、作中のメッセージは更に過激化。3に当たる『ボーダーランド』(16年)はボルの引退作品にして、狂い果てた映画だ。主人公は「こんな社会はクソだ!」「『アベンジャーズ』や『トランスフォーマー』に洗脳されるな!」「金持ちを撃ち殺せ!」「行動(テロ)を起こせ!」と狂気の演説をブチかまし、最後はアメリカ中で彼の思想に共感した者たちがテロを起こして、テイラー・スウィフトもリアーナもマーク・ザッカーバーグも殺されてしまう。予算不足で全て台詞で説明されるだけだが、もうメチャクチャである(しかし現実のアメリカと重なるのが恐ろしい。個人が銃乱射事件を起こすのも、狂った犯行声明を出すのも、今や珍しいことではないからだ)。エンタテイメントと真逆の世界、つまり夢も希望も道徳もない、観客に怒りと絶望をぶつける「Fuck You All」な映画こそ、ボルが才能を発揮できる居場所だったのだ。


 駄作を連発するマスター・オブ・エラーか、過激な孤高の映画作家か。あるいは批評家とボクシングで戦う面白おじさんか……。いったいウーヴェ・ボルとは何者なのか? 彼をどう評価すべきなのか? それはまだ分からない(監督業に復帰するかもしれないし)。しかし『Fuck You All: The Uwe Boll Story』は、その答えを窺い知る糸口となるだろう。何らかの形で日本公開されるのを待ちたい。


(加藤よしき)