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相模原殺傷事件、宙に浮いた再発防止策…議論に欠けていた「視点」

2018年10月29日 10:52  弁護士ドットコム

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神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月に起きた「相模原障害者殺傷事件」。逮捕された元職員の植松聖被告人は、職員や入居者らを包丁で襲い、19人を殺害、27人に重軽傷を負わせたとして殺人罪などで起訴された。


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植松被告人に措置入院歴があったと報じられたことから、事件後、精神障害者を強制的に入院させる「措置入院」制度の運用をめぐる議論も活発化した。二度と同様の事件が起きないよう、社会全体で何ができるのか。障害者福祉や精神障害者の支援に取り組む姜文江弁護士に話を聞いた。


●「同じ人間」という意識の欠如が招いた、被告人の差別意識

ーー身動きがとれず意思の疎通が難しい障害者ばかりが狙われた事件は、社会に衝撃を与えました。植松被告人は逮捕後も「意思疎通がとれない人間は安楽死させるべき」などと身勝手な主張を続けています。事件の背景をどのように考えますか


「事件の背景や根底には、植松被告人が持ってしまった『差別意識』があったように思います。相手を『自分とは違う人間』として位置づけ、死んでもよいと思ってしまった。この差別意識の対象は障害者に限らず、外国人への差別などあらゆる差別につながるものです。


本来、『同じ人間』という意識が根底にあれば、障がいの有無や民族などの細かい違いは気になりません。被告人にはその意識が欠け、障害者を特別視していたのかもしれません。皆が互いに同じ人間なんだ、と思える環境づくりが欠かせないと感じました」


●相模原事件と関連付けることなく、医療福祉制度の改善を図るべき

ーー犯行に及ぶ前に、被告人に措置入院歴があったことが、事件後の報道で明らかとなりました。厚労省が設置した有識者検討チーム(相模原事件の検証及び再発防止策検討チーム)によって提案された再発防止策は、措置入院制度の見直しに議論が集中しました。


「この判断は非常に残念だったと思います。相模原事件と措置入院制度が関連付けられると、措置入院患者があのような危険な行為をするという誤解を与え、精神障害者への差別や偏見を助長してしまうのではないかと危惧するからです。精神障害者福祉の充実や措置入院患者に対する支援策は現状、不十分であり、早急に改善する必要があります。しかし、その議論は相模原事件と関連付けるべきではありません。


被告人は、事件よりも前に措置入院歴があることが報じられました。しかし、措置入院時の精神障害が犯行に影響を与えたかどうかは不明です。ところが検討チームは最初から『措置入院制度の見直し』を念頭に置いて議論が進められたように見えます」


ーーそもそも検討チームの方向自体に問題があったということでしょうか


「被告人の事件直前の様子を詳細に検討することなく、『措置入院制度を見直す』という結論ありきで議論が進められたのではないでしょうか。その結果、被告人が優生思想を持ってしまった背景、障害者差別をどうなくしていくかなどのテーマが、主要な論点から置き去りにされたのではないかと思います。


検討チームの再発防止策の素案に基づき、精神保健福祉法の改正法案が提出されました。結果的には、当事者団体や日弁連などから『監視の強化につながる』と反発を受けたため、法改正は断念され、この点はひと安心ですが、代わりにガイドラインが出されたので、今後の運用は注意すべきです」


●精神障害者福祉に法律家の視点を

ーー精神保健福祉法改正案には、どんな視点が欠けていたのでしょうか


「法律家の視点が不足していたように思います。措置入院は知事が強制的に入院させる制度ですが、強制入院させる要件を満たさない状態になったら、病状は普通の患者さんと同じなので、退院後は地域住民の一員として、自治体からの支援は他の患者さんと同じようにすべきです。


しかし改正案で検討されたのは、本人が望まなくても『自治体からの継続支援』という形で監視できる、措置入院からの退院患者のみ色眼鏡で見ることになりかねないものでした。


検討チームのメンバーの1人である松本俊彦医師は、退院後も、丁寧な声かけによって関わりを持つという『おせっかい』が薬物依存症者の今後に役立つという考えから、改正案の措置入院患者の退院後支援には意味があると話されていました。患者と信頼関係を築こうとする医師としては理解できる見方です。しかし、改正法案にはそこまで書かれていません。


法律家は、『人権侵害の可能性』がないかどうかを念頭において条文を読みます。改正法案の退院後支援によって医師等が患者と深い信頼関係を築ける保障はどこにもなく、むしろ本人の意思に反してでも情報共有が可能になるなど監視が強まる危険が否定できず、地域の医療・福祉関係者と患者との信頼関係を失わせるおそれもありました。


退院後の支援を否定するわけではありませんが、人権侵害を最小限に食い止めようと考えるのが法律家の視点です」


●強制入院患者に弁護士をつける制度が必要

ーー再発防止策のあるべき方向性や、措置入院制度の課題を教えてください


「先程も申し上げましたが、そもそも検討チームで『この事件がなぜ起きたか』ということを白紙の状態から調査する姿勢が欠けていたために、議論が変な方向に行ってしまい、再発防止策もきちんと出せなかったのではないか、と思います。


報道から知る限りでは、色々な人がいるけれども、みな同じ人間だと受け止め、お互いに助け合うのは当然と思える社会にすることが大事なように思います。被告人がなぜ、障害者を殺しても良いと考えるようになってしまったのか。そこをしっかりと考えてなくてはいけません。


措置入院制度については、改正案が審議された際に、現行の制度に警察が介入する場合があるグレーな部分(他害の恐れが精神障害によるものか判断が難しい場合)があることが前提とされていました。


しかし、現行法上は、精神障害による自傷・他害のおそれがあれば、措置入院の対象として『医療』の分野に任せ、精神障害と関係なく自傷・他害のおそれがあれば、警察が『刑事事件』として捜査するという形で明確に区別されています。この前提を曖昧にすることは、措置入院を保安処分のように使うことにつながりかねず、とても危険です。


また、現在の措置入院や医療保護入院といった強制入院については、医療だからという理由で医師の判断だけで強制的に入院させることが可能になっています。しかし人の意思に反して人身の自由を制限する以上、要件がきちんと満たされているかチェックするためにも法律家が関与すべきだと思います。


少なくとも強制入院直後に弁護士が駆けつけたり、退院を希望する患者には必ず弁護士が付くなどの仕組みが必要です。そのために、国が強制的な入院を認める以上、国が責任を持って予算をつける必要もあります。


そもそも精神障害者だけ強制入院させることが許されるのか、これ自体差別ではないかという議論もあり、今後抜本的な検討がなされる必要がありますが、当面、現行法上の強制入院制度を維持するのであれば、少なくとも強制入院時の患者の人権が保障されるように制度を手当てすべきです。きちんと人権が保障された環境で治療が行われなければ医療に対する不信感も生じかねません。精神障害者が安心して医療を受けられるよう、制度の改善が望まれます」


(弁護士ドットコムニュース)



【取材協力弁護士】
姜 文江(きょう・ふみえ)弁護士
神奈川県弁護士会所属。京都大学法学部卒、2000年弁護士登録。外国人の人権問題や精神障害者の支援に取り組む。
事務所名:法律事務所ヴェント