F1第18戦アメリカGPで、「アメリカGP以降の終盤戦で、コカ・コーラと新たなパートナーシップ契約を結んだこと」を発表したマクラーレン。低迷打開に向けた動きは、それだけではなかった。
すでに9月上旬にチームに加入していた大物エンジニアのパット・フライが、今回アメリカGPから現場に姿を現したのだ。
フライは1987年に電機メーカーからベネトンに移籍し、92年からマーティン・ブランドルのレースエンジニアを担当。93年にベネトンからマクラーレンに移籍し、95年からミカ・ハッキネンのレースエンジニアを担当。2002年にチーフエンジニアに昇格した後、ティム・ゴスと隔年でマシンの開発を指揮してきた。05年のMP4-20、07年のMP4-22、09年のMP4-24はフライが手がけたマシンだった。
フライは、2011年のマシン『MP4-26』のプロジェクトの責任者だった10年の5月にマクラーレンを離脱。同年7月にフェラーリへ移籍し、11年にレースエンジニアリングディレクターとして、その後シャシー部門のディレクターとして活躍したが、14年のシーズン終了後にフェラーリを離脱。16年からマノーでコンサルティング業務を行なっていたが、マノーの消滅とともに一時、F1界から姿を消していた。
2010年以来、8年ぶりにマクラーレンのウェアを着て、サーキットに現れたフライの新しい役職は、エンジニアたちを統率するエンジニアリングディレクターだ。
マクラーレンは今年、成績不振の責任を取る形でティム・ゴス、マット・モリスといった技術部門のトップにいたスタッフを相次いで更迭し、トロロッソ・ホンダでテクニカルディレクターを務めていたジェームス・キーに接触を図っていた。しかし、これを知ったトロロッソ側が「キーとの間には長期的な契約がある」として、マクラーレンの計画は頓挫していた。
今回のフライの獲得が、キーの獲得断念の次善の策なのかどうかは不明だが、大物エンジニアの獲得は、ウイリアムズに復帰したパティ・ロウを見てもわかるように、必ずしも成功することは限らない。果たして、マクラーレンに復帰したフライはどうなのか。まずはアメリカGPの週末のお手並みを拝見しよう。