人生は壮大な暇つぶしである、という言葉がある。人生って一体何なんだろうと考えたとき、僕は「これだ!このために人は生きている!」みたいな激アツフィーバーな答えをすんなり見出すことはできない。偶然生まれ、成長して老いて死ぬ。これが人生の大まかな流れなので、そんなものに意味を強く求めても、あんまり意味がないように思えるのだ。
そりゃ生きてることは楽しいけど、発端は自分の意思じゃない。自分の意思でスタートさせたわけでもないものに、そこまで愛着も執念も抱けない。(文:松本ミゾレ)
「人生」という身も蓋もない答えも
先日、2ちゃんねるに『大人になって「意味がない」って気付くこと←何が浮かんだ?』というスレッドが立っていた。スレ主はその例をいくつか知りたいようだ。
そんなことして何になるんだろう、これもまた意味がないことの一つだとも思えるが、愚痴ばかり吐いていてもしょうがない。スレッドには大人になって気付く無意味なことについての声がいくつも挙がっていた。
「親切」「方向の間違った努力」「無償の奉仕」「プライド」
「後悔。反省はするべき」
どれもこれも、ぶっちゃけそこまで必要じゃないのに、妙に神格化されているように見受けられる。
方向の間違った努力は、今の時代、そんなものしなくても不自由はない。苦手なことをがむしゃらに努力して頭角を現せば、サクセスストーリーとして持て囃される。でも、苦労して苦労してやっと人並み程度に持っていければ良い方、多くはぱっとしないで終わる。努力そのものが無駄だというつもりはないけれど、徒労に終わりそうな努力に使う気力や時間は、別のことに使ったほうがリターンも大きい。
人生、と答えた人もいる。そうだ。これも実際全く意味がない。この手の質問で僕が考える答えも「人生」だ。人なんて生まれてから死ぬだけ。ただ、人間は社会から完全に隔絶されると生きていけない弱い生き物だから、無理から意味を見出して生きている。それが負担になっている人もいるけど、目的があるからやっていけるという人も、随分多いことだろう。僕の周囲にも結構いる。
でも、若い世代の子とかを見ていると、ここ最近はそれすら持ち合わせていない人も散見されるようになってきた。意味がないことには徹底して向き合わないというのも一つの選択肢。案外彼らは、賢い生き方をしているのかもしれない。