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PS4『スパイダーマン』に漂う“親愛なる隣人”感! オープンワールドと地域密着型キャラクターの相性

2018年10月10日 07:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 スパイダーマンのゲームを遊ぶと、いつもズルいと思う。だって移動するだけで面白いのだから。クモの能力を持つスーパーヒーロー、スパイダーマン。もはや詳しい説明は不要だろう。アメリカン・コミックを代表するヒーローであり、マンガは勿論、アニメや映画、MCU以前から日本でも知名度が高い。今回ご紹介する『Marvel’s Spider-Man(スパイダーマン)』でもオープニング&チュートリアルでキャラクターや設定の説明は特にない。「みんなスパイダーマンの設定は説明しなくても知っているでしょ?」という意識に裏打ちされた強者のチュートリアルである。問答無用でゲームは始まり、「とにかくヤベェことが起きたから現場に来て!」的なテンションで、すぐさまスパイダーマンらしいアクロバットなアクションを楽しませてくれるのが嬉しい。


(参考:“麻薬取締部”題材に、バトル漫画を彷彿とさせる恋愛ゲーム!? 『スタンド マイヒーローズ』の秀逸なシナリオに迫る


 思えば2002年に公開された映画『スパイダーマン』は本当に衝撃的な作品だった。高層ビル群を自由自在に跳び回るスパイダーマンの爽快感は唯一無二、「こんなものは初めて見た」当時本気でそう感動したものだ。監督のサム・ライミは過去に『ダークマン』(1990年)でその雛形となるアクションを撮っていたが、潤沢な予算と当時の最先端技術による映像体験は、唯一無二の手触りがあった。その後、ライミ版のシリーズは3まで続き、リブート作『アメイジング・スパイダーマン』(2012年~)2部作を経て、アベンジャーズと会社の壁を超えて共演した『スパイダーマン・ホームカミング』(2017年)へと繋がっていくわけだが、作品のトーンやディティールに違いはあれど、アクションに関しては1作目を踏襲している。すなわちビルの間をビュンビュン跳び回ること、これこそスパイダーマンの醍醐味だ。ゲームでも勿論、このアクションをしっかり楽しませてくれるわけだが……ところで、スパイダーマンには、もう一つの大きな魅力がある。そして、それは映画ではなかなか表現し辛い。それは何か? “親愛なる隣人”感である。


 スパイダーマンには“親愛なる隣人”という異名がある。怪しい宗教の勧誘感を覚えるかもしれないが、これはスパイダーマンの地域密着型のキャラクター性、そして愛され具合から来ている異名だ。ライミ版でもエレベーターで普通の人とコスチューム姿で乗り合わせて変な空気になってしまったり、バイトの関係で必死にピザを届けると言った、スーパーヒーローでありながら妙に生活感を見せてくるシーンを覚えている人も多いだろう。『アメイジング~』や『ホームカミング』も同様の要素は必ず入っている。ユーモアを忘れず、親しみやすい性格を持ち、地域の皆さんに愛される“親愛なる隣人”。これもスパイダーマンの大切な魅力だ。


 ゲームでも勿論、この“親愛なる隣人”感を存分に堪能できる。本作はいわゆるオープンワールド・ゲームだ。ニューヨークを舞台にスパイダーマンを操って有名なヴィラン(悪役キャラクター)たちと戦う。ゲームの進行は提示されるストーリーミッションをクリアしていけば良いわけだが、オープンワールド・ゲーム名物のサイドミッションも存在する。もちろん街中を特に目的もなくウロウロすることも出来るし、たまたま遭遇した犯罪を止めに入ることもできる(無視もできる)。この典型的なオープンワールド・ゲームの形式が、“親愛なる隣人”というキャラクター性と非常に相性がいい。今まで発売されたスパイダーマンのゲームも同様のオープンワールド系のゲームだったが、もちろん技術は日進月歩しているわけで、本作ではグラフィックや演出面が大いに進歩しており、ゲームへの没入感は高い。本当に“親愛なる隣人”になった気がすると言っても過言ではない。


 ただ、こうした“親愛なる隣人”感を楽しむ分には何のストレスもないが、戦いに関しては中々シビアなバランスである。最初のボスからけっこう強く――単に私の腕前というか、アクション・ゲームが下手くそなせいもあるが――しっかり考えながら戦うことが求められる。また“親愛なる隣人”感が強いゆえに、名のあるスーパーヴィランならまだしも、そこらのチンピラに殴り殺されると「親愛なる隣人が今まさに殺されたんですよ! これが花の都・大ニューヨークの無関心か!」と脳内に長渕剛の『とんぼ』は流れる悲しい気持ちになるのも事実だ(これは没入感がそれだけ強いという証でもある)。


 アクションの難易度はシビアながらも、スパイダーマンの需要な要素、すなわち爽快感のあるアクションと、何より“親愛なる隣人”感を楽しめる作品であることは間違いない。さぁ君も、ゲームを遊んで“親愛なる隣人”になろう!


 ……こう書くと、やはり怪しい宗教勧誘感があるが、それはもう和訳の問題だと割り切ってほしい。ほら、『ランボー』(82)の最後で爆弾で吹き飛んだ仲間の死に際の言葉を回想するランボーが「アイツは言ったんだ! うちに帰ってあの車を運転してぇよぉ!」と叫ぶけど、あんまり「運転してぇよ」とは言わないだろうと思うのと一緒で、この辺は言葉の壁がある以上は仕方がないものである。


(加藤よしき)