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WEC:「やっと勝てた。30年載っていた肩の荷が降りたよう」。今だから明かせる汗と涙のル・マン挑戦記

2018年10月09日 11:01  AUTOSPORT web

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フェルナンド・アロンソ(左)、セバスチャン・ブエミ(右)とともに笑顔を浮かべる村田久武TMG社長兼チーム代表
トヨタのレーシング・ハイブリッド開発を2006年から牽引してきた、村田久武チーム代表兼TMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)社長。1987年のトヨタ入社直後からル・マン用エンジンの開発に携わってきた村田氏は、数々の困難を乗り越えてル・マン制覇という悲願を達成した2018年、「30年、肩に載っていたものが降りたような気がした」という。熱き指揮官の、心の内に迫った。

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 ル・マン24時間レースを制した瞬間、村田久武は燃え尽き、灰になった。

 1987年にトヨタ自動車に入社した村田は、その年からル・マン向けのエンジン開発に携わった。途中ブランクはあるが、村田個人としては足かけ31年におよぶ挑戦だった。ル・マン制覇に燃えた火は途中からますます強くなり、嵐に吹き消されそうになりながらも勢いを保ってきた。
 
「本当に勝ちたかった」と村田は、トヨタとしては20回目の挑戦となる2018年のル・マン24時間レースを振り返った。

「ゴールして勝った瞬間にどういう気持ちになるのか、自分でも分からなかった。号泣するのか、喜びが爆発するのか。でも実際にはホッとしました。『あぁ、やっと勝てた』と。

この30年、自分に載っていたものが肩から降りたような気がしました。自分を育ててくれた先輩たちの思いを成し遂げることができた、という思いが大きかったかもしれません。本当に、『ホッとした』のが正直な感想です」

 村田には祝福のメッセージがあらゆる手段で届いた。その中には2019年の連覇を願う内容も多かったが、「燃え尽き感が強くて」そこまで考える余裕はなかった。
 
 実際のところ、感傷に浸っている暇も将来についてじっくり考える暇もなかった。勝っても負けてもいろんなことをひっくるめた後片付けをしなくてはならない。

 その最中、ドイツ・ケルンにあるTMGに戻った村田は、そこでもル・マン24時間に勝ったことを実感した。
 
「TMGに帰ったら、会社中が笑顔であふれていました。みんな、心の底からうれしそうな顔をしていた。社長報告などのために帰国したら帰国したで、日本でもみんな同じ反応でした。自分自身がどうこうというより、みんなの喜んでいる顔を見ることができて幸せでした」

 勝っても負けてもこなさなければいけない業務と、ル・マン24時間に勝ったからこそ身に降りかかる案件でドタバタした日々を過ごし、2週間ほど経ってようやく落ち着いた。そろそろ勝利の実感が湧き上がってもよさそうなものだが、実際には「そこで完全に灰になった」。
 
「(ドイツの家の)ベランダに出てハンモックに乗り、空を見ていました。何もやる気が起きないし、身体は疲れている。昨年までは疲れていながらも、次に打たなければいけない手をずっと考えていました。今年は思いが叶った達成感で、空っぽでした」

 高い空の向こうに、村田は何を見ていたのだろうか――。

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 組織を率いるリーダーとしてさまざまな困難に立ち向かい、それを克服して成果を出した村田氏のルーツは、“坂本龍馬”であり、“反射望遠鏡”であり、“登山”でもあった――。

 10月11日発売のautosport特別編集『TOYOTA×Le Mans 24h トヨタ ル・マン挑戦の軌跡』では、そんな村田氏の劇烈なる半生も明らかにしています。
 
 ル・マンの頂点に立ったからこそ見える景色がある。その景色を少しだけ共有するための一冊です。