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シリーズの魅力を再確認! 懐かしさも漂わせる『ザ・プレデター』の“B級”映画らしさ

2018年10月05日 14:51  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『プレデター』との出会いは、小学生の頃。プレデター=宇宙人ということは知らずに、「アーノルド・シュワルツェネッガーがジャングルで超強い敵と戦う」という情報だけで、父親と劇場に足を運びました。当時は現在のような各回入れ替え制ではなく、いつでも場内に入れるシステムで、『プレデター』も始まって1時間ぐらいしたところから観たような気がします。もちろん、プレデターが登場後でした(笑)。ただ、途中から観たにもかかわらず、これがめちゃくちゃ面白い。プレデターがなんだか分からない武器を使って、人間を次々と攻撃していく。プレデターがいつ襲ってくるか分からないという恐怖、そんな強大な敵に立ち向かう人間たちの姿が、ガキんちょの心に強く焼き付きました。


参考:プレデターvs究極のプレデター【動画】


 全く未知の生物で何考えているのか分からないというプレデターの恐さが面白かったのに、その次の『プレデター2』では、プレデターが敵対する人間に対して「お前を認める」と急に“人間らしく”なってしまいました。その後の『エイリアンVSプレデター』も正直期待ハズレで。でも、『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』は大好きです。物語に無理に人間側の倫理を持ち込もうとせずに、ひたらすらプレデターとエイリアンが戦って、そこに人間が巻き込まれていく。そんな人間が最後に何をするかというと、敵だけではなく自ら町ごと爆弾で吹き飛ばすというアンハッピーエンド(笑)。で、シリーズ3作目にあたる『プレデターズ』ですが、これは1作目を本当に好きな方が作ったのが伝わるものではあったのですが、映画として突き抜けたものはあまりなく、うんまぁ……というところでした。


 前置きが長くなりましたが、結論から言えばシリーズ最新作と謳う『ザ・プレデター』は改めてこのシリーズの魅力を再認識させてくれる映画でした。本シリーズのもっとも重要な点は、プレデターではなく、相対する人間たちの“死に様”にあるんだな、と。その描写が突き抜けていることは間違いないです。


 これは褒め言葉として言うのですが、本作は生死の倫理観がどこかおかしいんですよね。それに抵抗がある方はまったく受け入れることができないと思うのですが、誤解を恐れずに言えば、こんなにも人が死んでいく描写が魅力的な作品はなかなかないと思います。子供の目の前で殺しが行われているのに、それをギャグにしてしまうセンス。でも、80年代後半から90年代のハリウッドアクション映画って、びっくりするぐらいに映画の中で人が死んでいくんです。本作を観ながらあの時代の懐かしさも感じましたし、それが孤独な映画少年の心を救ってくれるような癒やしにもなっていたなと、ふと思い出しました。退役軍人チーム・ルーニーズを率いることになるクイン・マッケナ(ボイド・ホルブルック)の息子・ローリー(ジェイコブ・トレンブレイ)が、ハロウィンにプレデターのマスクを付けて練り歩くシーンがあります。このカットにも無性にこみ上げるものがありました。いじめられっ子の少年が、プレデターの武器を使い(本人の意思ではありませんが)あっさりとお菓子を拒否した家を破壊する姿に、『プレデター』を劇場に観に行ってた頃の孤独な自分を重ね合わせてしまったんです。


 本作の監督を務めたのは、『プレデター』に役者として出演していたシェーン・ブラック。最初に殺されるメガネの軍人ですね。脚本を手がけた『リーサル・ウェポン』が大ヒットして以降、ハリウッドの売れっ子脚本家となるわけですが、2000年代は初監督作の『キスキス、バンバン』(2005)以外はほとんど表舞台に姿を表していません。コテコテのアクション映画が求められた80年~90年代から、2000年代はマイケル・マンや、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』など、“クール”なアクション、現実に根付いた映画が求められていたことが要因かと思います。そんな状況の中、ロバート・ダウニー・Jr.が、マーベルの超大作『アイアンマン3』の監督に引っ張ってくる。でも、あれだけの大作なのに、シェーン・ブラックがやっていることはまったく変わっていませんでした(笑)。結局、この人は“時代に合わせる”ということをしていないんですよね。でも、それがいい。『ザ・プレデター』でも、ルーニーズたちが繰り広げる卑猥な会話とか、本当にくだらないです(笑)。決して善人ではない、でも悪人でもない。そんな登場人物たちが、強大な敵を前にどうやって一矢報いるか、そこに人間らしさが垣間見えるんです。


 プレスでは、「親子の絆やルーニーズたちの関係を大切にした」とシェーン・ブラックは述べていましたが、それは建前で、あくまでアクションシーンありきで作ったように感じます。ストーリーの整合性や、リアリティよりもとにかくアクションが最優先という気概が見えるんです。アメコミ映画は面白いと思う一方で、作品の世界観を大事にし過ぎるあまりに、どうしても映画が停滞する時間があるんです。情報を整理しないといけないから。でも、それが本作にはない(笑)。象徴的なのがルーニーズたちが自己紹介をするシーンで、彼らの会話は移動するバスの中で展開されていきます。文字通り、停滞がそこにはないんです。全体の尺も120分以下ですが、最初から最後まで一切飽きさせることがありません。


 本作のラストシーンには賛否両論あるようですが、僕が思ったのはシェーン・ブラック監督をはじめとしたスタッフ・キャストたちが、「面白ければ何でもありだ!」という思いを優先して作った証のように感じました。だから、何が出ても驚かない(笑)。『プレデター』シリーズは、そんな思いつきのようなネタを伏線としてこれまで扱っているんですよね。『プレデター2』のラストに宇宙船が映って、その中にエイリアンの頭があったから『エイリアンVSプレデター』になるとか。そういうノリで作ってるこの感じが僕はすごい好きです。


 過去の名作を“リブート”することが多い昨今ですが、そのほとんどが元の作品を好きだった方が監督を務めています。オリジナル作を愛しているからこその“オマージュ”が随所に散りばめられていて、それはそれで楽しいんですが、どこかベタッとしているんです。『スター・ウォーズ』の新三部作、スピンオフなんかもまさにそう。オリジナルへの敬意なのか、愛なのかが強すぎて、描きたいものが何なのか分からなくなっている印象です。でも、本作のようにオリジナルを肌で知っている監督だと、元ネタをこれみよがしな引用ではなく、あくまでカラッと取り入れて作品に活かせるんですよね。その意味では、かつて活躍した監督・脚本家たちが、今の技術を使ってどんなことができるのか、どんどん挑戦してほしいし、そんな映画が観たいなと思います。


 と、いろいろ語ってきましたが、『プレデター』シリーズは敷居が高いものでもなければ、襟を正して観るような作品でもありません(笑)。『エイリアン』と戦ってしまったばっかりに、そしてこれだけ続いたシリーズものだけに、どこか『プレデター』も“レジェド”扱いされていますけど、『エイリアン』が映画史に刻まれ続ける傑作だとしたら、『プレデター』はあくまでB級映画だと思うんです。でも、そんなB級映画だからこそ、たどり着ける境地があるということを本作を通して知ってもらえたらうれしいですね。(松江哲明)