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『2001年宇宙の旅』70mm上映はどう実現した? 国立映画アーカイブに聞く、その背景と役割

2018年10月05日 14:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 スタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』の70mm版特別上映が、10月6日より東京・国立映画アーカイブにて行われる。『2001年宇宙の旅』製作50周年を記念して、クリストファー・ノーラン監督の協力の元、公開時の映像と音の再現を追求して作成された70mmニュープリントが、今年5月に開催された第71回カンヌ国際映画祭クラシック部門での初お披露目、欧米での上映を経て、ついに日本に上陸する。


参考:価格設定はどのように決めたのか?【写真】


 前売り券が販売されるやいなや、ものの数分で完売し、早くも追加上映を望む声が上がっている本企画。今回リアルサウンド映画部では、本上映を主催する国立映画アーカイブの主任研究員・冨田美香氏にインタビューを行い、上映実現までの道のりや、本上映の見どころについて話を聞いた。(取材・文=安田周平/撮影=宮川翔)


ーーまずは『2001年宇宙の旅』70mm版の日本での上映が決まった背景を教えてください。


冨田美香氏(以下、冨田):今回の上映は私たち国立映画アーカイブとワーナー ブラザース ジャパンさんとの共催となります。今年の5月半ばにワーナーさんに共催のご相談に行きまして、そこから実現に向けて話が進んで行きました。なので、企画を持ち掛けたのはこちらですが、プリントの手配はワーナーさんにやっていただきました。


ーー日本の映画ファンが待ち望み、非常に期待を寄せている企画だと思います。チケットも即日完売となりましたが、その反響を受けていかがですか?


冨田:怖いぐらいうれしい反響でした。感じることは、大きく分けて2点あります。まず、70mmフィルムでの上映を今まで観たことがない世代の方々も、かつて観ていた世代の方々も、今70mmフィルムで観ることの意義を理解し、盛り上がってくださっているなというのがひとつです。それと、『2001年宇宙の旅』をスクリーンで観たことがなく、とにかくスクリーンで観たいという方々もたくさんいらっしゃる。今回はこの2つの波が押し寄せたという印象です。


ーーコアな映画ファンのみならず、ライト層も巻き込んだ盛り上がりが起きている印象です。


冨田:やはり『2001年宇宙の旅』という作品は、名前は知っていても観たことがないという方も含めて広く認知されていますよね。今回は、特別な70mmプリントなので、そういう意味では、70mmを観たことがある人にとっても特別な、70mmを観たことがない方には、70mmを観る“体験”として感じていただきたいです。これをきっかけに、70mmやフィルム上映はもちろん、映画館で映画を観ることの魅力を知ってもらえればいいなと思います。


ーーフィルム上映を広める目的でもあるんですね。


冨田:そうですね。上映素材やあり方に関心を持ってもらいたいと思います。例えば新作映画でも、海外では70mmで上映されたものがあるのですが、日本ではあまりそういった情報は紹介されませんよね。最近の作品だと、『ファントム・スレッド』『オリエント急行殺人事件』などは、欧米では70mm上映もされていたんです。今回の企画をきっかけに、当館だけではなく70mmで作品を観られる場所ができてくれるといいなと。


ーー70mmを上映できる映写機は日本ではこの施設にしか残っていないと聞いたことがあるのですが……。


冨田:当館では2014年に映写機を替えたのですが、1995年にこの建物ができた当時から使用していた映写機も、35mmと70mmの両方を映写できる兼用機だったのです。ただ、最近まで70mm映画を企画として上映をしたことはありませんでした。


ーー昨年行われた黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』の70mm上映まではしたことがなかったと。


冨田:はい。各地の劇場やホールに残っていた70mm映写機がデジタルプロジェクターに置き換えられたり廃棄されていく中で、『ヘイトフル・エイト』や『ダンケルク』の公開時には、欧米で70mm映写機を新たに設置して上映する流れがあったのですが、日本からは手が挙がらなかったようです。その状況を見て、少なくとも当館はできるようにしようと、当館の技術者やフィルムの専門家たちに力とエネルギーを注いでもらって、1年くらいかけていろいろと体制を整えました。去年の『デルス・ウザーラ』70mm上映は私たちにとって“一歩目”でした。今回の上映で、興行的に成り立ちそうなことがわかって、後に続いてくれる人が出てきてくれたらいいなと思ってます。


ーー日本で70mm映写機が再設置されないのはなぜなのでしょう?


冨田:設備導入という点で費用面の問題はもちろんあると思いますが、映写室に機材を置くスペースがあるかどうか、機器メンテナンスをできるかどうか、新作も含めて70mmフィルムを調達できるかどうか、というのが大きな問題な気はします。ただ、当館で今なんとかできていますし、今回の反響を見ると、500人くらいの大きなスクリーンで皆で一緒に観るなんてことも成り立つのではないかと思います。せっかく海外から重いプリントを空輸するわけですから、『2001年宇宙の旅』公開当時のように、東京と関西の2か所でできるともう、映画ファンとしては夢のようですよね。


ーー今回の料金は2,500円(一般)と、普段の国立映画アーカイブでの上映に比べると高いようにも感じますが、価格設定はどのように決めたのでしょう?


冨田:当館の通常上映料金は520円(一般)が多いので、比較すると遥かに高いです。ただ、私たちはこの値段設定でも安いと考えています。少なくとも当館としては赤字ですね。今回はユネスコ「世界視聴覚遺産の日」の記念特別イベントということもあり実現できましたが、上映権料、フィルム輸送費、機材も含めて諸々の準備に必要な技術費、日本語字幕投影費、映写技師さんの人数も通常の4倍必要ということを考えると、3Dや4Dといった特別上映の価格とほぼ同じ2,500円という価格は、高いとは思いません。私はこの『2001年宇宙の旅』70mm上映をノルウェーの国立のフィルムアーカイブで見ましたが、字幕なしで、2300円程していましたよ。


ーー今回チケットは即日完売となりましたが、その声を受けて追加上映を行う可能性はないのでしょうか?


冨田:非常に心苦しいのですが、追加上映はできないんです。一番大きな理由が技術的な面で、借用プリントであることも理由のひとつです。お借りするプリントは世界的にスケジュールが組まれていて、当館で上映後、海外の他の劇場に回されるので、上映期間を延長することはできません。そして昨年度から70mm上映を始めた私たちにとって、今回の上映そのものが技術的に挑戦尽くしなんです。


ーー具体的にどのような挑戦が?


冨田:去年上映した『デルス・ウザーラ』は、当館収蔵のもので70年代に作られたプリントでした。材質が今のニュープリントと異なっていて、アセテート製で、ちょっと映写トラブルがあるとフィルムが切れてしまうんです。フィルムを傷めてしまうことは大問題ですけれど、その分、映写機は傷めないんですね。一方で、今のプリントはポリエステル製で非常に丈夫なので、なにかトラブルがあってもフィルムが切れず、逆に映写機の方が壊れてしまうんです。もしも映写機が壊れてしまったら、上映スケジュールが全て飛んでしまうほどのリスクがある。このプリントは世界中いろんなところで上映されているので、そのような事故は滅多に起こらないと思いますが、当館の映写機の調整具合も問題になってくるわけです。調整が、今回のプリントと少しでも合わないとトラブルになりかねません。また、今回のようにニュープリントの70mmフィルムの場合は、フィルムには音情報が一切入っていなくて、フィルムの端に入っているタイムコードと同期して、ディスクから音が出るというDTS方式なんです。この信号の読み取りが少しでも外れると、音がなくなってしまいます。劇映画の70mmプリントをDTS方式でフルに上映すること自体、今まで日本でなかったことかもしれません。当館でも、様々な不安材料があるんです。なので、まずは最初の2日間に向けて万全の準備をして、3日間の休映期間に再調整をかけるというのが今回のスケジュールです。


ーー何か問題が起こった場合のリスクヘッジの面もあると。


冨田:デジタル上映と違って映写技師が回すので、そちらの負担も考えなければなりません。2台の映写機で交互に上映していくのですが、リール1巻きの重さは10キロから15キロ強です。1巻が15分強程の映像ですから、上映し終わったリールを巻き取り、新しいリールをかけるといった作業を上映中、ピントや映写状態を常にチェックしながら、絶えず行うので、体力勝負になります。疲労が映写トラブルに繋がることもあります。しかも、いま日本に70mmを回したことがある、そして当館の映写機で映写できる現役の映写技師は非常に少ないんです。映写トラブルが絶対に起きないよう、映写技師に無理を強いない体制こそが、万全の映写につながるという点から、全12回が限度かなと判断しました。実際、今回の上映で映写技師たちが背負っている物凄いプレッシャーは、精神的にも本当に厳しいものがありますからね。


ーーフィルム上映からデジタル上映へ移り変わる中で、そういった技術はどんどん失われてしまっているように感じます。国立映画アーカイブとしては、技術継承にも取り組んでいるのでしょうか?


冨田:今回は70mmですが、35mmの映写をできる人も少なくなっています。特に当館の所蔵プリントは1950年代から70年代だったりニュープリントだったりと多岐に渡るため、1本1本特質が違います。そのため、各作品に合わせて調整ができる映写技師が必要になってくるのですが、そういう方自体、少ないんですよね。なので、当館ではベテランの映写技師と一緒に若い人にも入っていただいて、技術継承を含めて上映をしてもらっています。


ーー今回の上映に集まる観客はプロの方も多いでしょうし、ハードルが高いですね。


冨田:そうですね。やはり、プロの方々は今回の上映にかける期待が大きく、映写の問題もそうですが、さきほどの音の問題についても何件か問い合わせがきています。いろんな事情で「DTSです」としか答えられず、あまり詳しくは説明していないのですが、「12回もDTSで70mmニュープリント再生とは、日本で初めてですよ。応援してます」とメッセージをいただきました。映画業界の方々にもかなりの期待を寄せていただいているので、満足していただける上映をするのが私たちの使命と感じております。一点残念なのは、当館のスクリーンが昔の70mm時代のように大きくない点です。本来の音と画を体験してもらえる鑑賞機会というのが本企画のコンセプトにもなっていますが、本来であれば、目を覆いつくす巨大な146度の湾曲スクリーンでシネラマ上映しなければいけないんです。しかし、もう日本にはその設備がないので、そこはサイズをイメージしながら観ていただければと。今回のフィルムは、ノーラン監督とワーナーが昔のタイミングデータをキューブリック本人のメモを基に再現したものなので、色や艶が素晴らしいんです。当館のスクリーンは大きくはないが故に拡大率が低いので、密度がそのままスクリーンに映し出されます。


ーーデジタルとの比較は難しいでしょうが、非常に高精細ということですね。


冨田:精細度は、メディアが変わると特徴が変わるんです。ノーラン監督もインタビューで、「フィルムで上映される前提で作られたものをデジタルにすると、その時点でフィルムの持っている様々な感性情報が失われてしまう」と言っていました。フィルムの場合、1コマ1コマの映像はランダムに並ぶ銀粒子でできているので、そのランダムな粒子が空気の層を感じさせるような、ある種の空間的な奥行き感や、冷気や暖気まで感じられますが、それをデジタルにする場合、0と1に整理されたクリアでフラットな映像に感じることがあります。ノルウェーで観た上映では、ノーランが監修したこの70mmはそのフィルムの特質がよく出ていて、冒頭の「人類の夜明け」のシーンから未開の荒涼たる埃っぽい雰囲気が、スクリーン全面からシャワーのように降ってくる感覚があって、圧倒的でした。『2001年宇宙の旅』は今の時代であればいろんなメディアで享受できますが、作られた当時の70mmの画や色の再現を試みたプリントで観ることは、非常に重要だと思います。


ーー私も昔『ダークナイト』や『インターステラー』の70mm上映を海外で観たことがあるのですが、言葉では表現できない美しさがありました。


冨田:観れば、フィルムが放つ黒の艶や立体感から、何かが違うというのが感覚的にわかるんですが、言葉で説明すると陳腐になってしまうのが悔しいですよね(笑)。そういった“画が持つ力”を感じることは、実際に体験しないとわかりません。今回の上映には、自分たちが若い時に得た同じ感動を、今の若い世代の方々に体験をもって感じてほしいというノーラン監督の想いも込められています。研ぎ澄まされて整備されたデジタルがいいんだという価値観が一般的にある中で、別物としてオリジナルを知るというのは貴重な体験になると思います。もっと言ってしまえば、選択肢がなくなっている現状はつらいですよね。デジタルしか上映環境がないために、フィルムで観たい人はわざわざ海外まで観に行っている。なので、選択肢を持てるように、優劣ではなく両方を紹介できるようにするというのは、私たちのひとつの使命ではないかと思っています。今回の企画が、次の一歩に繋がると一番いいですね。


ーー今後も70mm上映は続けていくということですね。70mm上映を集めた映画祭なんかもぜひやっていただきたいです。


冨田:映画祭となると、プリントのチェックや映写技師さんの確保もさらに必要になってくるので、まだ現実的ではないのが正直なところです。まずは1作品ずつ丁寧に自信をもって紹介していきたいなと。70mm映画祭をやっているところは、ノルウェー、アメリカ、オーストラリア、ドイツなど、いくつかあるんですよ。欧米ではそういった映画祭も実現しているので、課題は山積みですが、将来的にはできるといいなあ、という夢を持ちたいですね。まずは今回の上映がトラブルなく成功してからかなとは思います。お客様に満足していただけるか、そして私たち自身が技術的課題をクリアできるかにかかっています。