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F1日本GP 木曜会見:記者との受け答えでも分かる、一流ドライバーとしての対応力

2018年10月05日 00:31  AUTOSPORT web

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2018年F1第17戦日本GP 木曜会見 セバスチャン・ベッテル
2018年のF1第17戦日本GPは鈴鹿で開催される30回目の記念大会。ということで、木曜日に行われるFIAの共同会見の出席者は、鈴鹿に馴染み深いドライバーと行きたかったところだが、メンバーはセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)、ストフェル・バンドーン(マクラーレン)、エステバン・オコン(フォース・インディア)、ランス・ストロール(ウイリアムズ)と、鈴鹿が大好きなベッテルと2年前にスーパーフォーミュラを戦っていたバンドーン以外は、あまり馴染みのないメンバーとなった。

 しかも、会見の最初の質問は「今回、登壇した4人のうち、3人のドライバーは、まだ2019年の去就が決まっていません。何か来年に向けて進展はありましたか?」という内容だったため、会見は重苦しい雰囲気でスタートした。

 まずオコンから。
「そうだね、ご指摘の通り、まだ来年のことは決まっていない。もちろん、来年をあきらめたわけじゃないけど、いまは2020年にカムバックすることに集中していかなければならない時期にきていると思う」

 ストロールはひと言。
「まだ5レースも残っているからね。様子を見てみようよ」


 バンドーンは方向性は固まったようだ。
「いまのところ、皆さんにお伝えできる新しい情報は何もない。これまでも言ってきたように、いまはほかのカテゴリーのシリーズと話し合っている。あと2、3週間後には、なんらかの発表をしたいと思っている」

 この後、ベッテルには、前戦ロシアGPでメルセデスが行なったチームオーダーの件についての質問が飛んだが、「それは非常にデリケートな質問だし、やるとしたらそれはドライバーのは僕じゃなく、チームだから、チームに質問してほしい」と肩透かし。

 ということで、筆者が直接、鈴鹿での日本GPについて質問した。「初めて見た日本GPはいつですか?」と。

 するとバンドーンは「覚えていない」だった!! その後、なんとか記憶をたどってくれて、「唯一、覚えているのは、カムイが表彰台に上がった年。あれ何年だっけ?」と答えをひねり出してくれたが、小林可夢偉の表彰台って、わずか6年前の2012年のこと。

 バンドーンは92年生まれだから、20歳のとき。それが最初の記憶だなんて……。日本GPをあまり見ていなかったことがバレてしまった。

 オコンは「何年だったかあまり覚えていないけど」と前置きしつつも、「最初の記憶はアラン(・プロスト)とアイルトン・セナがファイトを繰り広げたときかな。最初はシケインで接触して、翌年は1コーナーでクラッシュしたあの年かな」と、少し踏み込んだ答え。

■セバスチャン・ベッテルが初めて見たF1日本グランプリは?


 ミハエル・シューマッハーが大好きなストロールは「最初に見たのはシューマッハーが勝っていた時代。でも、その後セナとブロストが争っていたときのレースをビデオで見たよ」という答えだった。

 そんな中、「鈴鹿は神が作ったコース」と言うだけあって、ベッテルの鈴鹿での記憶は鮮明だった。

「テレビで見ていた鈴鹿の記憶といえば、マイケル(・シューマッハ)がフェラーリで勝っていた時代だった。でも、見ていたのは最初の数周で、あとは寝ていたね」

 しかし、これはベッテルが最初にテレビで見た鈴鹿ではなかった。

「初めて見たのは、確かアイルトンが勝ったレースだった。あれは何年」と筆者に聞くので、「88年」と答えると、「88年? じゃ違うね、だって僕はまだ1歳だから。その次にアイルトンが勝ったのはいつ?」と聞き返してきた。

 そこで、「93年」と言うと、「それだね。年齢的にも合っている。確か、表彰式でカッコよく、トロフィーをつき上げていたよね」

 やっぱり、鈴鹿を愛するだけでなく、世界一を争うトップドライバーというのは、こういう記者との受け答えも一流だった。