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『クレイジー・リッチ!』が米映画史に起こした革新 “アジア”を巡る2人の女性の物語を読み解く

2018年09月28日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』、『ブラックパンサー』、 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』、『クレイジー・リッチ!』……この4つは、2018年アメリカのBox Officeで3週間連続首位を獲得した作品だ(2019年9月21日現在)。MCU作品の推定製作費が2億ドル以上とされる一方、この恋愛映画のバジェットは3000万ドル。ロマンティック・コメディとして2010年代トップの興行収入も記録している。オールアジア系キャストの『クレイジー・リッチ!』は、なぜここまでアメリカを熱狂させたのか?


 本作には、製作費よりも驚きの数字がある。元々、原作はベストセラー小説だが、その作者が映画化にあたって設定した自分の報酬は、わずか1ドルだった。


■なぜ原作者の報酬は1ドルだったのか


 『クレイジー・リッチ!』の主人公は、ニューヨーク大学で教鞭をとる中国系アメリカ人レイチェル(コンスタンス・ウー)だ。恋人ニック(ヘンリー・ゴールディング)の帰郷に同伴することになるも、そこで彼がシンガポールを代表する大富豪であることが発覚する。ニックの母エレノア(ミシェル・ヨー)は息子の恋人を気に入らない。レイチェルは突然の危機を乗り越えられるのか……。


 このように、本作は王道のラブロマンスである。超富裕層との格差恋愛ということで『花より男子』と比較する声も上がっている。


 原作者ケビン・クワンは、映画化にあたる自分の報酬を1ドルに設定した。元々原作小説はベストセラーで、多額のオファーが舞い込んだにも関わらずだ。なぜか。ハリウッドの映画会社がホワイトウォッシュを求めたためである。主人公を白人女優に演じさせようとしたプロデューサーもいたという。ゆえに、クワンは自身が映画のキャスティングに関わることを条件に据え、代わりに報酬を1ドルとしたのである。この決断によってオールアジア系キャスティングがなされ、「アジア系でないと成立しないヒット作」が生まれた。映画『クレイジー・リッチ!』は「男女のラブロマンス」であると同時に「2人の女性の物語」である。作品の核となるこのテーマは、主演をホワイトウォッシュしたら絶対に成り立たない。


■アジア系アメリカ人とアジア系アジア人の壁


 『クレイジー・リッチ!』で中心となるテーマは2つ。レイチェルとニックの恋路、そしてその障壁となるレイチェルとエレノアの衝突である。ニックの母であるエレノアは、初めからレイチェルを気に入っていない。理由はレイチェルの出自だけではない。中国系シンガポール人のエレノアは、その人生を子供と家庭に捧げてきた。彼女はこう語る。「ニューヨーク大学の教授であるレイチェルにこの生き方はできない。アメリカ人からしたら私の人生は『古い』でしょう」と。


 レイチェルとエレノアが表す作品テーマは、この発言から見てとれる。つまり、「アジア系アメリカ人とアジア系アジア人の壁」。中国系移民2世のレイチェルは、シンガポールでアイデンティティの危機に直面する。


 アメリカの移民2世だからといってレイチェルを否定するエレノアの態度は偏見だが、確かに、多くの女性ニューヨーカーからしたら彼女の人生は「古い」とされそうだ。言葉を変えれば、エレノアの人生は、アジアに根づくとされる「家父長制」、そして「女性の自己犠牲」の結晶とも括ることができる。ここ数十年、ハリウッドの恋愛映画では「家父長制に縛られない女性」が肯定されがちだ。Box Office史上もっとも興行収入が高いロマンティッ ク・コメディは『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』だが、この2002年の映画でも「“女は人生を家庭に捧げるべき”と考える父親に抗う女性の挑戦」が美とされる。大げさな言い方をすれば、エレノアの人生と誇りは、21世紀のアメリカ映画が「古い」と否定してきたものなのかもしれない。


 中国系マレーシア人であるミシェル・ヨーは、本作の契約の際、エレノアを「悪役」として描くなら出演しないと宣言した。当時ヨーがジョン・M・チュウ監督に語った言葉がIndieWireで紹介されている。


「私はエレノアを一人の人間として演じる必要がある。そして、できる限り中国系の文化を守る。あなた(監督)の役目はアメリカ側のカルチャーを守ること。判断は観客に委ねましょう」


 『クレイジー・リッチ!』の重要な点は、伝統的家族観を誇る中国系女性を単純な悪役、または紋切り型な被害者として描かなかったことだ。本作のアジア系女性表現が評価された一因はここにある。エレノアは、弱さを持ちながらも自分の意志で決断していく女性として描かれている。ゆえに、アイデンティティを揺らされるレイチェルとのドラマが意義深いものとなっているのである。本作は2人の衝突をどう描いたのか。鑑賞の際にぜひ注目してほしいポイントだが、ひとつだけ話題となったシーンの解説をしたい。


■レイチェルはわざと負けた? エレノアとの麻雀シーン


 『クレイジー・リッチ!』で重要なシーンは麻雀が担っている。興味深いのは、この日本でも人気な中国発祥のテーブル・ゲームのルールや戦況が、作品内では一切説明されないことだ。つまり、アメリカ映画における野球やポーカーと同じようにアジア文化を描く姿勢をとっている。もちろん、ルールを知らなくても楽しめるシーンに仕上がっているが、この対戦が持つ意味は、ルールを知らないと理解できない。


 ゲーム序盤を説明しよう。麻雀のプレイヤーにはそれぞれ東西南北の位置が割り当てられる。劇中、レイチェルは西家、エレノアは東家となる。この西と東は、両者の立ち位置、つまりアメリカとアジアを象徴している。また、1局目において東家は「親」、それ以外の家は「子」にあたる。これも2人の関係そのままだ。さて、麻雀は駒である牌を揃えていくゲームだ。牌の種類は複数あるが、レイチェルは索子(ソーズ)を集めて手札を完成させようとする。索子に描かれているのは「空洞の竹」。Voxによると「空洞の竹」は広東語で「西洋化された海外のアジア人」を指すとされる。劇中で、レイチェルは親友であるペク・リン(オークワフィナ)に「あなたはバナナ。外見はイエロー(アジア系)でも中身はホワイト(白人)」と言われるのだが、その例えと同じく、「空洞の竹」はレイチェルの境遇ーー彼女が向けられる偏見ーーを指すのかもしれない。


 ゲームが進むと、レイチェルは索子の8番を捨て、エレノアが「ポン」と鳴いてそれを拾う。ポンは対戦相手が捨てた牌を手に入れられる技。エレノアは、レイチェルが捨てたことによって索子の8を3つ揃える役を完成させた。実は、ここでのレイチェルの選択はとても不可解である。Vultureにて監督自ら語っているが、 持ち札的に、索子の8は重要な「勝つための駒」だった。この奇妙な選択は、映画の幕開けで、彼女が語ったゲーム理論にも反している。「勝負において攻めを失ってはいけない」と主張した人物なのに、なぜ重要な8を捨てたのか? それは、レイチェルにとって、そして彼女とエレノアの関係性において何を意味するのか? 対戦中、レイチェルが語る言葉に耳を貸せば、この奇妙な選択の意味がわかる。彼女の母によると、麻雀は人生において重要なスキルを育む。交渉、戦略、協力。レイチェルが打った麻雀は、この3要素すべてが入っている。


 最後に、8牌の重要性について。中国文化において、数字の8は「冨、繁栄、幸福」の象徴とされる。冨と繁栄、つまり“クレイジー・リッチ”な番号というわけである。しかしながら、レイチェルとエレノアにとって、8の牌はさらに重要な意味を持つかもしれない。2人に共通する「幸福をもたらす存在」とはなにか。答えは一つしかないだろう。(文=辰巳JUNK)