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傷口は鈴愛のところにまで クライマックスの『半分、青い。』は東日本大震災をどう描く?

2018年09月26日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2011年3月11日、東日本に未曾有の大地震が襲ったことは記憶に新しい。いよいよ最終回に向かっていく『半分、青い。』(NHK総合)でもその時は訪れ、第150話では東日本大震災の発生が描かれた。大きな災害があったとき、人々は、日常的には当たり前だと思っている家族や友人の存在を強く意識するようになる。


 鈴愛(永野芽郁)も例に漏れず、仙台で看護師をしている友人の裕子(清野菜名)と連絡が取れなくなり、彼女の安否が気になって仕方がなかった。しかし、鈴愛が胸につっかえたものを感じる一方で、娘の花野(山崎莉里那)も問題を抱えており、学校での粗相やいじめのことを鈴愛に隠し続けていたことが発覚するのだ。


 鈴愛は花野から相談されなかったことにショックを受けるが、律(佐藤健)は「あの小さな頭の中で、整理がついていたかどうかはわかんないけど、カンちゃん(花野)はカンちゃんなりにこれ以上、ママに心配かけちゃいけないって思ってたんじゃないかな」と鈴愛に伝える。いじめは言うまでもなく、過酷な経験である。それでも花野が黙っていたのは、震災をきっかけに友人を心配する母親のことを思った上での、娘としての気遣いなのだろう。そうだとしたら、律には粗相やいじめのことを話せたとはいえ、花野の板挟みな心情を思うとあまりにも心苦しい。


 鈴愛は「母親として失格や」と自責の念にとらわれる。自分の娘のことを守ってあげられなかった辛さを律に打ち明ける。ただ、そんな鈴愛に対して律は、「1人で頑張り過ぎんな」と声をかけた。こういう時に律の口から発せられる言葉は、いつも温かい。頑張りすぎるきらいがある鈴愛のことを理解している律の気遣いは、いくつになっても変わらない。


 裕子の安否を心配する鈴愛。そんな鈴愛を気遣う花野。そんな風に花野に心配をかけたことで落ち込む鈴愛を思いやる律。皆それぞれ、誰かに対して気を配り、思いを寄せる。もちろん、実際の震災では心配どころの騒ぎではなく、大切な存在を本当に失ってしまった人たちがいる。だからこそ、震災を安易に語ることはできないと思う。


 ただ、少なくとも言えるのは、大震災が起きたときには、裕子を気にする鈴愛のような、安否を知りたくてもどうすることもできない人々が全国で溢れかえっていたということだ。そして、そんな鈴愛のような人々の周りにはまた、その姿を気にかける人々もいる。天災に抗うことは決してできず、被災地のみならず各所にその被害は広がっていく。しかし、その大きくなる傷口を癒やすことが唯一できるのは、他人を支える力を持つ人間ではないだろうか。


 ボクテ(志尊淳)によれば、裕子の勤める仙台の病院から続く道は瓦礫で遮断されており、どこかの避難所にいる可能性もあるとのこと。裕子がいる東北の町はまさしく、2013年放送の『あまちゃん』(NHK総合)で映されたような、変わり果てた姿になっているのであろう。


 震災という要素が本作の最終週でどのような形で関わってくるのか。そしてその他にも、鈴愛と涼次(あるいは、鈴愛と律)の関係、そよ風の扇風機の今後など、最終週とはいえ、まだまだ見逃せない結末が目白押しである。どうやら、残りの数話もめくるめく展開のオンパレードとなりそうだ。(國重駿平)