トップへ

『拝啓 鈴鹿サーキット様』2019年以降、日本GPを大きく発展させるための私的提言【今宮純のF1日本GPコラム】

2018年09月25日 16:41  AUTOSPORT web

AUTOSPORT web

F1日本GP鈴鹿のファンたち
2019年はレッドブルとホンダがタッグを組み、さらなる盛り上がりが期待される来季のF1。各グランプリではオレンジ色に染まったマックス・フェルスタッペンのファンたちが大きく目立っているが、2019年のF1日本GPでもそんな光景を見ることができるだろうか。F1ジャーナリストの今宮純氏がF1日本GPが今後さらに発展していくために、いくつか提言を述べる。

----------------------------

■拝啓鈴鹿サーキット様、これからの3年新開催に寄せて……
 2019年以降の3年開催新契約が正式発表されてから1カ月、鈴鹿30回記念・F1日本GPチケットの販売状況は好調だという。1987年から29回行われ、のべ約776万人が来場。僕の記憶では2000年フェラーリでミハエル・シューマッハー初戴冠の第14回に、“400万人”を突破。それから第29回までにその数に近い376万人が来られたわけだ。マクロな見方をすれば、けして『鈴鹿F1人気』が急下落したとは思えない。そこで新しい3年に向けて私的なご提案を。

 ご存知のように年々、訪日外国人観光客数が増えており、とくに関西圏では1000万人を突破。全国“人気観光スポット”上位に京都、大阪、奈良、和歌山がランクイン。ちなみに鈴鹿サーキットがある三重県は31位というデータを見つけた。

「鈴鹿サーキットがあるじゃないか(!)」と言いたい。言うだけでなくてどうにかしたい。

 訪日外国人数を国別にみると、やはり上位は近隣アジア諸国が占めている。でもそこからさらに注目していくと……。7位オーストラリア(ダニエル・リカルド)、12位イギリス(ルイス・ハミルトン)、14位カナダ(ランス・ストロール)、15位フランス(ロマン・グロージャン、ピエール・ガスリー、エステバン・オコン)、16位ドイツ(セバスチャン・ベッテル、ニコ・ヒュルケンベルグ)、19位スペイン(カルロス・サインツJr.)、20位ロシア(セルゲイ・シロトキン)。


 F1ドライバー出身国が“ベスト20”に7カ国も入っている。1998年日本GPがシューマッハー対ハッキネンの決戦となったとき、ある取材でフィンランド大使館の方々が「総出で鈴鹿に応援に行く」と聞いた。総出といってもたしか20人くらい。在日フィンランド人にも声をかけたようだが、客席の国内多数“ミカ・ファン”に埋もれまったく目立たなかった。

 モビリティランドとしてまず、いまからドライバー出身国(現在15カ国)の大使館や領事館などに外務大臣を通じアプローチ。正式な招待状を大使に送り、同時に各国“観光局・部署”に2019年10月13日『第31回・日本GP』のPRキャンペーンを打診してはどうだろう。

 秋の鈴鹿周辺にいくつ観光名所が存在するか、僕はサーキットしか知らないが、ネットなどで話題のひそかな人気スポットも点在しているかもしれない。

 近鉄を利用すれば大阪、京都、奈良、名古屋はすぐ近く、クルマ移動も高速でスイスイ移動できる。鈴鹿の立地条件やアクセスはとてもいい。なんといっても秋の観光シーズンに、母国のF1ヒーローたちがワールド・イベントにそろうのだから……。

 いまこそ“YOUたち”を集客のメイン・ターゲットにしてはいかが。ついでに加えるなら、関空、中部国際空港からの鈴鹿直行シャトルバスを準備。これは2007年富士スピードウェイ開催時に、鉄道(御殿場線乗り換え)や道路(こみいった高速ルート)を使うのではなく、東京からなら御殿場インター行きの”高速バス“が簡単でいちばん便利と知ったから。

 海外からの観光客でも鈴鹿直行シャトルバスであれば迷わず鈴鹿へ行くことができるし、ビジネスホテルじゃない民泊に彼らはもう慣れているのだから……。

 皆さんも感じていると思う。どの国のGPもオランダ人のオレンジがひときわ目立つ。昨年痛感した。鈴鹿は世界でいちばんオランダ人ファンのいないGPだった。マックス・フェルスタッペンは2016年2位、2017年も2位、『ドライバー・オブ・ザ・デイ』を連続受賞している。でも花火も煙幕もなくて拍手のみ……。

 レッドブル・ホンダ国内初陣(凱旋レース?)になるはずの史上1014戦目の日本GP。荒っぽいがノリはいいオランダのF1“YOUたち”を西コースの席にまとめれば、お行儀のいい国内ファンも安全・安心してホンダのエースたるフェルスタッペンを応援できる。いまからなら遅くはない。お国柄の“応援コンテストGP”なんかもおもしろそう、さすがにオランダに日本は負けるだろうが……。

PS:余談です。僕が初めて海外旅行にひとりで取材に行ったのが45年前のオランダGP。すっかり圧倒され小さくなっていました。