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山手線をライブハウスにした、62分間のパーティトレイン 「62 MINUTES YAMANOTE LOOP」

2018年09月25日 10:52  リアルサウンド

リアルサウンド

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 東京の街全体を舞台に、9月22日から10月12日まで約1カ月間にわたって繰り広げられるレッドブルによる都市型音楽フェス『RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018』がスタートした。その幕を切って落としたのは、山手線を貸し切って走るライブハウスにし、62分間34.5kmを音楽と共に東京都心を一周する「62 MINUTES YAMANOTE LOOP」だ。


(関連:渋谷の中心で音楽の解放を叫ぶ 『RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018』のメッセージ


 指定時刻に大崎駅に集合した観客は、係員の指示に従い迅速に団体貸切の山手線車両に搭乗。車内で行き来できる場所は、2号車から6号車まで。2号車はちゃんみなのライブ会場、3号車はレッドブルを提供するドリンク車両、4号車ではLicaxxxのDJプレイが繰り広げられ、5号車は座席に垂れ幕などが飾り付けられたフォトスポットとして撮影を楽しめるように。最後列となる6号車は、Omodaka a.k.a 寺田創一のライブ会場となっており、それぞれが同時開催で行われた。音楽フェスのステージ毎のパフォーマンスが、車両毎に繰り広げられたと言い換えればわかりやすいだろう。


 出発までの間、車内を観察していくと、普段は広告が掲載されているスペースのすべてに本イベントのポスターが貼られ、車内ビジョンも関連映像が流れていた。車窓にはアーティスト名の書かれた幕や提灯が飾り付けられ、フェス感を演出。極め付けはDJ機材とサウンドシステムの設置だろう。スピーカー類はまだしも、DJ卓がどんと車内に鎮座している様はなかなか圧巻だった。


 発車時刻の13時18分になると、車両ががくんと動き出し歓声が上がる。Licaxxxのブースから大音量でクラブミュージックが流れ出し、低音が床と空気をズンと揺らす。通勤通学時にイヤホンで音楽を聴きながら電車に乗っている時とは比ではない迫力で、物理的にも心理的にも躍らされる。景気付けにドリンク車両に移動し、レッドブルを受け取って飲んでいると、警棒を持った男たちと、警官風の衣装を着たドラッグクイーンが、拘束されて目隠した女性を連行している。その後にぞろぞろと続く人の群れ。連行されている女性はよく見るとちゃんみなだ。そのまま人を引き連れて2号車まで移動してライブがスタート。「MY NAME」で初っ端から車内のテンションをピークに跳ね上げる。


 「みんな、普段山手線乗ってて、こんな体験ないでしょ? レッドブルさんとJRさんにありがとうって言わなきゃね! 音楽はあなたとわたしだけのものです。この時間を楽しみましょう!」とちゃんみなが煽り、ライブはさらに熱量を上げる。観客席からVIPとして数名選出し、ライブハウスではまずあり得ないほどの近距離で「FXXKER」を歌唱したり、「GREEN LIGHT」でダンサーと車両全体を使ってパフォーマンスを展開したりするなど、電車内であることを活かした演出で終始、観客たちを魅了した。


 車両を移動して4号車のLicaxxxへ。DJブース周辺には人が集まっていて、アッパーなビートを浴びながら体を揺らしている。ジューク、ウィッチハウス、ヒップホップなどを自由自在に横断しながらも骨太なプレイは、「音楽の解放区。」を標榜する本イベントの幕開けにぴったりのチョイスだろう。ぎゅうぎゅう詰めのフロアに関わらず、誰も不機嫌ではない。毎朝がこうだと出勤も通学ももっと楽しいものになるのではないかと想像してしまう。満員電車の新しいスタイルと言えるかもしれない。


 その人混みとフォトスポットを抜けて6号車へ。ここではOmodaka a.k.a 寺田創一が、巫女衣装と白い仮面を被った異形の姿でライブを繰り広げていた。8bitのチップチューンとハウスビートが融合した独自のサウンドと、ハイテンションなパフォーマンスに、オーディエンスが同じくハイテンションで応えている。「ひえつき節」「ギャラクシー刑事」などを披露した後には、観客にお菓子を配り、ペンライトのように振ることで、一体感を生み出したかと思いきや、おもむろに「特別ゲストを紹介します!」と言って、懐かしのゲームボーイカラーを掲げ、カオスパッドでトラックを鳴らし、オーディエンスにもそれを弄らせるなど、さらに混沌としたステージを繰り広げていた。


 一通り楽しんで、改めて車内を見回してみると、いつもはスマホを眺めたり、寝たり、ぼうっとして過ごしていた車内の風景がまるで違うものに見える。満員電車のように混雑している車両の行き交いも、皆が声を掛け合って穏やかに行き来している。大声で騒いだり、座席の上に立ってはしゃいでいても、誰も目くじらを立てるものはいない。通り過ぎる駅のホームの人々も、不思議な顔で見ていたり、手を振ったりしている。車内からもそれに応えて笑いながら手を振り返す。いつものストレスや疲労感はどこにもなかった。電車に乗ることが楽しく感じられたのは、東京の街がこんなに鮮やかに見えたのは、いつ以来だろう。


 62分間の山手線の旅は、間違いなく魔法にかかった時間だった。音楽とそれを介しての人と人のコミュニケーションが、日常とは違う感情を生み出していた。この時間を過ごした人は、明日からいつもの山手線に乗っても、車窓の先に違う風景を見るのではないだろうか。日常にレイヤーとして覆い被さった非日常が、その後の日常を塗り替える。そういう奇跡を感じられたパーティトレインだった。(石川雅文)