トップへ

テン年代の「ファンダム」の熱狂。SNSがファンとスターの景色を変えた

2018年09月19日 21:11  CINRA.NET

CINRA.NET

By Joe Bielawa from MInneapolis, USA (Justin Bieber -DSC_0323-10.20.12Uploaded by tm) [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
2017年、熱狂的なファンを示す言葉「Stan」がオックスフォード英語辞典に登録された。由来となったのは2000年のエミネムの同名楽曲。ファンレターの返事が来ないことに憤怒したファンが恋人を殺害する内容だった。なんとも恐ろしい話だが、このようなスターとファンの距離感は、今やすっかりかたちを変えている。その景色を変えたのはソーシャルメディアだ。

2010年代、セレブリティーは一気にファンと近い存在になった。ある意味、近くなりすぎて、後半にはトキシックファンダム(有害なファンダム)問題が深刻化した。今振り返ると、SNSはセレブとファンダムをどう変えたのだろうか?  アメリカのポップカルチャーを中心に振り返っていきたい。

■SNSがセレブに授けたパワー――赤ちゃんはどこに行った?

ソーシャルメディアはセレブリティーにパワーを与えた。代わりに影響力を弱めたのは既存の大手メディアだ。セレブたちは、SNSを自己所有のメディアにしたのである。InstagramやFacebookでは、広告掲載費を払わなくても新作やセルフイメージを宣伝できる。意見の発信も容易になった。報道を即座に否定できるし、なんならリアーナのように差別的記事を出した編集長を解雇に導ける。

セレブとメディアのパワーシフトは2018年現在も続いている。「スターの赤ちゃん」について考えてみよう。2000年代、人気セレブの赤ちゃんのお披露目場所といえば有名雑誌だった。『People』誌は2008年にジェニファー・ロペスに約6億円、ブランジェリーナ(ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー夫妻、2016年に破局)に約14億円を支払って「感動の生誕」を表紙にしている。この高報酬のスタービジネスは、今や下火になっている。赤ちゃんはどこに行ったのか? セレブリティー自身のSNSだ。2017年から18年にかけて、ビヨンセもカイリー・ジェンナーもドウェイン・ジョンソンも世界待望の赤ちゃんを自身のInstagramで発表している。『People』を含む大手メディアはSNS投稿を後追いするかたちで報道した。

■2010年代、SNSが築いたファンダムというユートピア

もうひとつ、ソーシャルメディアがセレブリティーに授けた大きな力がある。ファンダムだ。セレブたちは、世界中のファンといつでも交流できるようになった。

インターネットを手に入れて、ファンたちは集いやすくなったし、お目当ての商品も簡単に手に入るようになった。オンラインファンダムは活性化していき、その規模と存在感を増していった。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を筆頭に、元々はファンフィクションだった作品のヒットも目立っていく。

更には、SNSによって、ファンは家の中でも憧れのセレブから反応が貰えるチャンスを手にした。ニッキー・ミナージュはTwitterのリプライをきっかけにファンに学費を寄付した。リアーナはDMでゲイのファンのカミングアウトを応援した。ロジックとXXXテンタシオンはSNSでファンのメンタルヘルス相談に乗ってファンダムを築いたと言われている。「セレブとファンのSNSいい話」は、毎日のように供給される。SNSは、ファンとセレブが簡単につながれる素敵なユートピアを築いたのだ。その影響か、アメリカで求められるスター像も変化していった。

■ロード、アレッシア・カーラ、BTS……SNS時代のスター像は「肩を貸せる英雄」

「セレブの贅沢なんて関係ないし興味ない」と歌ったロード“Royals”は衝撃だった。この楽曲がビルボードHOT100首位を記録した2013年は、レディー・ガガやマイリー・サイラスが裸に近い格好で派手に踊っていた頃だった。2016年に入ると、ガガもマイリーもナチュラルルックに転向する。“Royals”をひとつの転換点として、アメリカで求められるスター像が変化したためだ。SNSの普及や政治経済の動向が影響し、アメリカの若者は「共感できるスター」を求めていった。

2010年代の「共感できるスター」ブームはアレッシア・カーラ“Scars to Your Beautiful”(2015年)に詰まっている。PVには一般人たちが出演し、容姿コンプレックスを告白していく。カジュアルな身なりのカーラは「私たちはみんなスターで美しい」と歌いかけ、一般人たちと声を重ね合わせる。このヒットソングは、ミレニアル世代を対象にしたマーケティングで定番とされる「共感できるスター像」、および「個性と多様性の肯定」を見事に象徴している。

「共感できるスター」需要は今現在も続いている。代表格は、K-POPグループとして異例の国際ヒットを遂げたBTSだ。北米ヒット要因として頻出されるのは「共感される社会的メッセージ」、そして「強力なSNSファンダム戦略」。BTSは若者が抱える悩みを表現し、ファンの連帯を重視し、ファンが喜ぶコンテンツを大量供給する。世界中のファンたちは彼らの言葉を自国語に翻訳し、SNSでファンダムに拡散していく。「SNSありきのポップスター」のひとつの完成形だ。

企画当初に提唱された彼らのコンセプトは、2010年代のポップスター像そのものを象徴している。「今の若者が求めるヒーローは、上から独善的に教えを説く誰かじゃない。言葉もないまま、もたれかける肩を貸せる英雄だ」

<I love myself, I love my fans
(俺は自分を愛してる 俺のファンを愛してる)>
BTS“IDOL”

美談を生むセレブリティーの「親密なイメージ」だが、その需要が上がるにつれ商業性も帯びていく。

■「幸福なファンダム」幻想の崩壊。セレブは嘘をつく?

「セレブとファンをつなぐユートピア」として称賛されたSNSだが、2010年代中盤にはその幻想に亀裂が生じる。「セレブのSNSのビジネス面」が露呈していったのである。まずステルスマーケティング問題。企業から報酬を受けたスポンサード投稿に広告表記をつけなかったことで、キム・カーダシアンやジェニファー・ロペス、ゼンデイヤらが連邦取引委員会から警告を受けた。Instagramフォロワー数トップ50セレブリティーのうち、93%が規約違反を犯していたとする調査も存在する。「セレブとファンの純粋なつながりの場」と賛美されたSNSだが、そこで多くのスターがファンを騙すかたちで報酬を得ていたのである。

ソーシャルメディアマネージャーという職業も知られるようになった。彼らはセレブリティーの「親密な像」を演出し、エンゲージメントを稼ぐ投稿を指南する。つまり、SNSにリアルタイムで投稿されたように見える「セレブのナチュラルな姿」は、プロフェッショナルの審査を通過した代物の可能性が「それなりに」存在する。こうした戦略の知名度が向上したためか、キム・カーダシアンは「すべてのSNS投稿を自分で執筆していること」を強調し、信頼性アピールに務めている。

このようにして「スターとファンが『本音で』つながれる」SNSへの幻想は、SNSビジネスの拡大と共に弱まっていった。セレブのSNSビジネスを追った『Vanity Fair』の記事は、エミリー・ラタコウスキーのこんな言葉で終わっている。

「ソーシャルメディアとプライベートの人生には距離がある。それは全員にとっての真実。人生のすべては投稿しないし、編集してキュレーションしたイメージをそこに出す。最終的には、みんな想像してるほどつながってはいないと思う」

■セレブへの信頼低下と、それでも強固なファンダム。テイラー・スウィフト帝国のいま

<We play dumb But we know exactly what we're doing
(私たちはバカみたいだけど 自分が何をしてるかわかってる)>
<I could build a castle Out of all the bricks they threw at me
(彼らが投げつけてきたレンガでお城だって建てられる)>
テイラー・スウィフト“New Romantics”

セレブリティーによるSNSの商業性──またはスターがファンについた嘘──が知れ渡ったからといって、ファンダムが崩壊したわけではない。むしろ、世間や外部の悪評に影響されないファンたちの強さを示す例もある。

『Vanity Fair』が『SNSがセレブのPR媒体となった』としたのは2016年だが、この年の主役はテイラー・スウィフトだった。「SNSでファンと絆を結ぶスター」代表格として喝采されてきた彼女は、この年に評判を落とす。嘘をついてカニエ・ウェストを貶めた証拠とする動画を公表されたのだ。スウィフトのパブリックイメージは「ファンを大切にするスター」から「名声の為に人々を騙す嘘つき」へと暗転した。例えば、WIREDは2015年に「テイラーとファンのインターネット帝国」を賛美する記事をリリースしている。2017年になると、姿勢を一転させ「テイラーは嘘っぽく寒々しい」と批判する記事を出した。当時のスウィフトは、映画俳優との交際すら「金目当てのヤラセ」だと嘲笑される身となった。セレブリティーのSNSビジネスに注目が集まり、メディアでスターのヤラセ疑惑が頻繁に挙げられるようになったのもこの頃だ。

彼女のファンダム「スウィフト帝国」はどうなったのか? 帝国はいまだ健在だ。2017年にリリースされた新作『Reputation』の初週ピュアセールスは128万相当。2018年に始まったツアーは、女性アーティストとして史上最高の全米興行収入を記録している。世論がどうなろうとファンは応援を続けているのだ。

テイラー・スウィフトのオンラインにおける栄光と転落は、2010年代中盤の「セレブリティーへの信頼」の降下を表しているかもしれない。ただし、同時に「世の中の評判に左右されない強靭なファンダム」の存在も立証したと言えよう。『ファンダム・レボリューション:SNS時代の新たな熱狂』(ゾーイ・フラード=ブラナー、アーロン・M・グレイザー著、早川書房刊)では、多くのファンは自分の愛する対象が商業的であることを理解していると説かれている。ファンオブジェクトの「物語」に「リアリティー」を見出し、あえて「騙されること」を楽しむのがファン活動である、と。頼もしい話だが、一方でファンの愛情は歪んだ攻撃性も生んでいく。

■2010年代後半に露呈したファンダムのダークサイド――トキシックファンダム

2010年代の後半、セレブリティーのSNSトレンドは「デトックス」だと言われるようになった。この流行に関しても、マーケティング戦略が指摘されている。投稿を全削除してからの新作宣伝は注目を集めやすい。世間の「SNS疲れ」に合わせた、共感されやすいイメージでもある。

ただし、本当に「インターネットの毒」に疲弊してソーシャルメディアから離れたセレブもいるはずだ。SNS使用を減らしたマリーナ・アンド・ザ・ダイアモンズは、ネガティブなオンライン投稿が影響してうつ状態になったことを告白した。同時に「本当のファンだとしても人を侮辱するようなファンカルチャーには同意できない」旨をツイートしている。マリーナを傷つけたのは、彼女の“本当のファン”だった。

一部のファンは、思い入れの強さを原動力に攻撃へ向かっていく。例えば、愛する対象が自分の思い通りに行かなくなった時。愛するものの「敵」を見つけた時、人を貶める態度が「面白い」と感じた時に。

2010年代後半のファンダム最大トピック。それは、加害行動に出る「トキシックファンダム」だ。この問題の注目度を上げたのは、2018年の『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』事件。新作に不満を持った『スター・ウォーズ』ファンたちが、同作でローズ役を務めたケリー・マリー・トランのInstagramに攻撃的・差別的コメントを投稿したという出来事が報道されている。トランはアカウントを削除した。こういったトキシックなファン行動は、定期的に報道される事象となった。

攻撃的なファンは昔から存在している。アーサー・コナン・ドイルが『最後の事件』でシャーロック・ホームズを殺し、ファンから脅迫の手紙が届いたのは19世紀だ。しかしながら、TwitterやInstagramで罵倒を送る行為は、手紙を書くよりずっと簡単だ。インターネットは攻撃的な人々に団結と発信の術を与えた上、彼らの欲望を盛り上げる機能を持っていた。そして、ソーシャルメディアを通し、セレブとファンは近くなりすぎた。

■ファンダムの「毒」に立ち向かうには?

ファンとして、個人として、我々はなにが出来るのか。インターネットでネガティブな意見を発してはいけない、ということではないだろう。ただし、差別的な言動はもちろん、直接だれかに罵詈雑言をぶつけるようなオンラインハラスメントは控えるべきだ。

PEN AMERICAが公開している『オンライン・ハラスメント・フィールド・マニュアル』の一部を紹介する。

<目撃者ができること:攻撃の種類や度合いの調査/プラットフォームへの報告/同じプラットフォームで非難の声明を出す/サポートするコミュニティを集め連帯声明の発表/メディアへの報告を検討する >

ネガティブなイメージが広まったオンラインファンダムだが、ポジティブな面が失われたわけではない。2018年の『コミコン』では、ローズのコスプレをした『スター・ウォーズ』ファンが集い、トランへのサポートを示した。

インターネットは、少数派の意見がマジョリティーかのように錯覚する「多数派幻想」現象を起こしやすい。『Washington Post』よる調査では『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』関連ツイートにおける攻撃的ポストの割合は6%に過ぎなかった。攻撃的なファンが目立つ時こそ、同意しないファンたちは対象へのサポートを表明し、ファンダムのライトサイドを率先的に発信するべきなのかもしれない。『最後のジェダイ』で深刻化したトキシックファン問題だが、奇しくもその対応策は劇中ローズが放った言葉にある。

「We're going to win this war not by fighting what we hate, but saving what we love!

(私たちは憎いものとの争いでこの戦いに勝つんじゃない、愛するものを救うことで勝つのよ!)」

(文/辰巳JUNK)