シンガポールGPでは苦戦するだろうという下馬評を覆したメルセデス。その快進撃はハミルトンが予選でポールポジションを獲得したところから始まった。
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「トト(・ウォルフ)だ、今まで見てきた中でもっとも素晴らしいアタックラップだった。まさしくEPICだったよ」
予選が終わった瞬間、普段は無線で話すことはないトト・ウォルフが思わずインターコムのボタンを押してルイス・ハミルトンに語った。EPIC、歴史に残るようなアタックだったと心から感動していたからだ。
金曜からフェラーリが速さを見せ、レッドブルにも勝てるかどうか分からないという状況だった。予選が極めて大きな意味を持つマリーナベイ・ストリート・サーキットにも関わらず、ハイパーソフトを6セットしか持ち込まない選択ミスをしでかし、ハイパーソフトのグリップを引き出すための準備が充分にできたとも言えなかった。
だからこそ、Q3最初のアタックで一気に1.3秒もタイムを縮めたハミルトンのアタックは驚異的だった。
メルセデス(以下:MGP)「ルイス、素晴らしくEPICなラップだった。P1。3セクターともパープル(最速)、P2のVER(マックス・フェルスタッペン)に0.3秒差、P3のVET(セバスチャン・ベッテル)に0.6秒差だ」
1回目のアタック直後、レースエンジニアのピーター・ボニントンが言った。そのEPICという言葉が、次々とチーム内に伝染していった。
勝ち目がないと思っていたシンガポールGPだったが、これで勝利は大きく近付いた。ハミルトンはスタートでホールショットを奪い、後方ではマックス・フェルスタッペンをセバスチャン・ベッテルが抜いて2位に上がってきた。
MGP「後ろはVET、その後ろがVERになった」
セーフティカーを挟んで5周目のリスタートでは、いつものようにターン1、ターン5とオーバーテイクを仕掛けられる可能性のある箇所で細やかにボニントンが後続とのギャップを知らせる。
MGP「VETとのギャップは0.7秒(ターン1)……ギャップは1.1秒(ターン5)」
あとはタイヤを労ることが勝負の鍵になることは分かっていた。パワーユニットのモードを変えることでタイムを稼ぎ、そのぶんタイヤは労って走るというのがメルセデスAMGの戦略だった。
MGP「ストラットモード3。タイヤではなくPU(パワーユニット)を使って(タイムを稼いで)走るんだ。VETは1.4秒後方だ」
ライバルたちがタイヤを労るために前走車とのギャップを空けて走り始めた6周目にはその指示が出され、デフの調整でリヤのオーバーヒート対策をするようにも念押しされる。
MGP「VETのペースは48.4。デフを使ってサポート(リヤのグリップ)を上げることを考えろ。HPP3、ポジション3」
その甲斐あってか、11周目のハミルトンはまだまだ余裕があった。
ルイス・ハミルトン(以下:HAM)「このタイヤはまだまだライフが残っているよ」
MGP「了解。バランスチェック」
HAM「バランスは良いよ」
■ベッテルのピットインを予期していたメルセデス
13周目、フェラーリ勢はハミルトンの無線を「ライフが残っていない」と聞き違えてベッテルに伝えるが、「僕は信じない!」「あぁ、我々もだ」と信じなかったため大勢に影響はなかった。
後ろでハミルトンの走りを見ているベッテルには、そのタイヤがタレていないことははっきりと分かっていたのだ。逆にメルセデスAMGは14周目にベッテルがピットインするのを予期していた。
MGP「第1スティントはもうそんなに長くないと思われる。ギャップは2.2秒、VETのペースは45.3だ」
HAM「タイヤはまだGoodだ」
MGP「ストラット10、VETがピットレーンに入ってきた」
ここでハミルトンはペースを上げて対抗。タイヤはまだタレてこなかったが、メルセデスAMGは確実にベッテルの前でコースに戻って前後関係を確定させるために翌15周目にピットインを指示した。
HAM「タイヤのフィーリングはまだ良いよ」
MGP「BOX、BOX。PER(セルジオ・ペレス)の前、フリーエアでピットアウトできる」
セルジオ・ペレスに引っかかったベッテルを尻目に、ハミルトンは悠々と実質トップでピットアウト。ベッテルは17周目にピットインしたフェルスタッペンにまでオーバーカットされ、完全に作戦は裏目に出た。
それどころか、ここで選んだウルトラソフトが数周で「最後まで保つとは思えない」というフィーリングで、2ストップ作戦のプランCを検討しつつもペースを抑えて最後まで保たせるという守りのレースを余儀なくされることに。この時点で優勝のチャンスはなくなってしまった。
ハミルトンはソフトタイヤのフィーリングがあまり気に入っていなかったが、2位フェルスタッペンも同じタイヤだった。
HAM「このタイヤはあまり良くないよ」
MGP「VERがVETをアンダーカットした。まだ2台がピットインせず前を走っている。RAI(キミ・ライコネン)は46.2」
HAM「タイヤは?」
MGP「VERはソフト、VETはウルトラソフトだ。VERは45.9、ギャップ4.6秒」
25周目、メルセデスAMG勢は「必要ならストラット6を使っても良いぞ」とペースを上げるための支援策を提示する。ソフトタイヤはフロントの熱が逃げやすく、それがグリップ不足の原因になっていた。
しかしセーフティカーが導入された場合にはリスクなくピットストップができる状況だったが、ハミルトンはソフトタイヤのままで大丈夫だとチームに伝えた。
MGP「もしSCが入ったら新品タイヤに交換する? そのまま行く?」
HAM「今のところバランスは悪くない。今だったらステイアウトだ」
MGP「了解。また後で改めて話そう」
HAM「リヤが少しナーバスだ」
MGP「了解。データ上は全てOKだ」
36周目、改めてボニントンは確認をするが、ハミルトンの気持ちに変化はなかった。
MGP「まだステイアウト? 気持ちは変わっていない?」
HAM「タイヤが冷えていなければとても上手く機能してる。ステイアウトするよ」
MGP「了解。トラクションマトリックスに注意しろ。ホイールスピンがその(リヤが不安定という)感じを与えている」
HAM「僕はフロントタイヤもセーブして走っているよ」
MGP「OK、良い情報だ。前の周回遅れは争っているから注意しろ。トラフィックに当たるからストラット3」
■「なんて素晴らしいドライブ、本当にEPICだった」
38周目にはセルゲイ・シロトキンとポジション争いを繰り広げる周回遅れのロマン・グロージャンがバックストレートで譲らず、ハミルトンはターン7~8で詰まって2位フェルスタッペンとのギャップを失ってしまった。ターン9~10ではフェルスタッペンがスリップストリームに入って仕掛けるほどに接近されてしまったが、冷静に抑え込んだ。
HAM「こいつら、馬鹿げているよ」
MGP「タイヤは大丈夫?」
HAM「あぁ、大丈夫だ」
ハミルトンは「タイヤの温度をキープするためにプッシュし続けなきゃいけない」とストラットを変更しながらハイペースでの周回を続け、再びフェルスタッペンを引き離していった。
MGP「やったなルイス! なんて素晴らしいドライブ、素晴らしい週末だ。本当にEPICだった」
HAM「本当になんて週末だろう。チームのみんな、ファクトリーのみんなのおかげだ、ありがとう。このままプッシュし続けよう、プッシュし続けるんだ、これをやり続けるんだ。EPICだったよ!」
予選Q3のEPICなアタックで一気に引き寄せ、決勝でもチーム一丸となって勝ち取ったシンガポールGPの勝利。まさかの敗北を喫したフェラーリとは対照的に、メルセデスAMGの総合力とハミルトンの驚異的なドライビング能力の全てが合わさった歴史に残る名レースだった。
見る者には退屈なレースだったかもしれないが、本当に歴史に残るようなパフォーマンスというのはそういうものだ。危機を危機と感じさせず自分たちの手で勝利を手繰り寄せたメルセデスAMGとハミルトンがそれほどまでに優れていたということだ。