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野宮真貴×小西康陽「東京は夜の七時」が色褪せない理由 25年歌い継がれる様々なバージョンを解説

2018年09月17日 14:52  リアルサウンド

リアルサウンド

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 10月31日発売の野宮真貴のニューアルバム『野宮真貴 渋谷系ソングブック』にて、「東京は夜の七時」が小西康陽プロデュースによって新たにカバーされる。


参考:「少女A」を生んだ作詞家・売野雅勇に訊く、キャリアの転機と“昭和歌謡リバイバル”


 野宮は2013年から「野宮真貴、渋谷系を歌う。」というプロジェクトで渋谷系楽曲を歌い継ぐ活動を続けている。過去5作のアルバムから選曲されたベスト盤が『野宮真貴 渋谷系ソングブック』である。そして数ある渋谷系楽曲の中でも抜群の知名度を誇り、代表曲ともいわれるピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」のオリジナルリリースは1993年なので、今年で25周年。このタイミングで、ピチカート解散後初となる小西康陽編曲およびプロデュース、野宮真貴が歌唱という「ピチカート・ファイヴ(実質)再結成(?)」という顔合わせが実現した。


 本曲カバーのアーティスト名義は「野宮真貴と少林兄弟」で、これは小西が21世紀に入って最初に好きになったというロックバンド・少林兄弟とのコラボレーションになる。本曲は11月3日に7インチアナログ盤『東京は夜の七時 c/w ハッピー・サッド』としてもリリースされる。


 そして本日9月17日12時から21時48分にテレビ朝日系で放送の『ミュージックステーション ウルトラFES 2018』に野宮真貴が出演し、「東京は夜の七時」の“25周年特別バージョン”をテレビ初披露するとのこと。


 渋谷系ムーブメントの代名詞とも称されている「東京は夜の七時」(作詞・作曲:小西康陽 編曲:福富幸宏)は、これまで多数のアーティストによりカバーされてきた。2016年にはリオデジャネイロパラリンピック閉会式のセレモニーBGMとしてもカバーされ、あらためて注目された。本稿では、そういったカバーバージョンを一挙紹介していくことで、この楽曲の魅力について考えてみたいと思う。


【ピチカート・ファイヴ】


 まずはピチカート・ファイヴ活動時に発表されたオリジナルバージョンを見ていく。全部で6つのバージョンがある。


■オリジナル・シングル・バージョン


 1993年12月1日にピチカート・ファイヴの5枚目のシングルとしてリリースされたのが『東京は夜の七時』。フジテレビ系番組『ウゴウゴルーガ2号』テーマ曲(表記は「オープニングのうた」)のタイアップ付きだった。


 『ウゴウゴルーガ』は1992年10月から1994年3月、月曜から金曜の30分帯番組として早朝に放送されていた子供向けバラエティ。CGを駆使した画面構成や番組内に漂う独特なユーモアセンスなどにより、当時のフジテレビ深夜番組群と同様のカルト的な人気を集める。そして早朝の帯放送も続けつつ、スピンオフとして金曜夜19時から『~2号』のレギュラー放送が開始されたのは1993年10月のことだった。


 つまり番組タイアップありきで制作された楽曲なので、曲名も「東京は夜の七時」ということなのだろう。これは矢野顕子の1979年リリースのライブアルバム『東京は夜の7時』からの引用。同アルバムには「GOD’S LOYAL LOVE~東京は夜の7時」というタイトルチューンも収録されているが、引用されたのはアルバム名のみで歌詞やメロディは関係ない。


 また、「東京は夜の七時」には「the night is still young」という英題が付されている(ピチカート・ファイヴの楽曲は、ほぼすべてに和題と英題がある)。これも引用で、1972年のSha Na Naのアルバム名、1985年のビリー・ジョエルのシングル名がいずれも『The Night Is Still Young』。日本語に訳すと「夜にはまだ早い(浅い)/まだ宵の口だ」といった意味合いになる。


 さらにいえば、曲中サビの〈Yeah, yeah, yeah, fu〉というコーラスは、The Rolling Stones「ブラウン・シュガー」からの引用。ピチカートの人気曲のひとつ「万事快調」での〈Beep beep, beep beep, yeah〉という、The Beatles「ドライヴ・マイ・カー」からの引用と並ぶ大ネタ使いだ。


 このように「東京は夜の七時」は様々な引用で構成されているが、これは別にこの曲に限ったことではなく、ピチカートの他の楽曲でも多く見られる方法論であり、グループの音楽性でもある。フリッパーズ・ギターやオリジナル・ラブといった同じ方法論を共有するグループが同時代に多数出現したことにより、1990年代の日本の音楽シーンに渋谷系と呼ばれるムーブメントが形成されるに至った。


 「東京は夜の七時」の曲調自体は、簡潔にいえば四つ打ちリズムのハウス歌謡。1990年代初頭は、ディスコやフィラデルフィアソウルから発展した新たなクラブミュージックとしてのハウスが存在感を増してきた時期でもある。ピチカートも1992年のアルバム『スウィート・ピチカート・ファイヴ』でハウスを全面的に取り入れ、以降の音楽的支柱のひとつとした。『スウィート~』ではプログラミングとして坂元俊介の名前がクレジットされており、打ち込み曲における編曲者的な役割を担っていたが、「東京は夜の七時」でその役目を担当しているのが、ピチカート作品では初参加となった福富幸宏(クレジットは編曲)。国内クラブ/ハウス・ミュージックの先駆者と評されている福富の手腕が「東京は夜の七時」にもたらしたものは大きい、かもしれない。


 本曲がピチカート・ファイヴの代表曲と目されているのは、リリース的なタイミングも大きいだろう。1984年のデビュー以来大きなヒットに恵まれていなかったピチカートが、レーベルを日本コロムビアに移籍し、三代目ボーカリストとして野宮真貴を迎えたのが1990年のこと。アルバム『女性上位時代』を含む5カ月連続リリースなどで注目度を高め、1993年4月のシングル『スウィート・ソウル・レヴュー』がカネボウ化粧品CMソングに起用されスマッシュヒット。その直後にリリースされたのが、全国ネットのテレビ番組主題歌の「東京は夜の七時」だったというわけだ。東京の音楽=渋谷系というイメージとも結びついて、グループおよびムーブメントの代名詞的な一曲になったという捉え方もできそうだ。


■ talking toolbox mix


 シングル『東京は夜の七時』のカップリング曲だったのが「東京は夜の七時 (talking toolbox mix)」。福富幸宏によるリミックスで、オリジナルの5分に対し8分の長尺となり、若干落ち着いたトーンのハウスミックス。なお、同シングルには「instrumental」、つまり表題曲のカラオケバージョンも収録されており、これも一種のバージョン違いと考えることもできる。


■readymade mfsb mix


 前述『ウゴウゴルーガ』との企画ミニアルバムとして1994年2月にリリースされたのが『ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ』。ここではアレンジをフィリーソウル風にガラッと衣替えした別バージョンで収録(プログラミング:坂元俊介)。当初はクレジットが無かったが、1997年リリースのベストアルバム『ピチカート・ファイヴJPN』収録以降は「readymade mfsb mix」という表記が付くようになった。「mfsb」は、フィリーソウルの有名バンドであるMFSB(Mother Father Sister Brother)のことだろう。


■one year after


 1994年10月リリースのフルアルバム『オーヴァードーズ』収録バージョンも、やはり他とは異なるアレンジだった。アルバム全体のプロデュースは小西康陽だが、この曲では小西と福富幸宏の連名での表記。ハウス味は残しつつ、「talking toolbox mix」の8分からさらに長い11分のロング曲となり、歌詞も一部、というより大幅に変更されている。「one year after」というバージョン名は『オーヴァードーズ』では表記されてなかったが、12インチプロモーション盤『the night is still young; one year after』からこのような表記になった。


■アコースティック・テイク


 ピチカートは1994年にアメリカの<マタドールレコード>から海外盤アルバムをリリースし、翌95年にはアメリカおよびヨーロッパでツアーを行うなど、海外での活動も旺盛だった。その1995年にロサンゼルスのラジオ局KCRW-FMにプロモーション出演した際、「東京は夜の七時」を小西のアコースティックギターと野宮の歌唱で生披露したことがあった。1996年リリースのレアトラック集『グレイト・ホワイト・ワンダー』にその音源を収録。


■the last episode


 グループの解散日である2001年3月31日にリリースされたベスト盤『ピチカート・ファイヴR.I.P.』には「the last episode」バージョンを収録。小西の変名であるDJよしお名義でのリミックス。


【その他のバージョン】


 上記6つが通常作品で聴けるバージョンだが、その他にも細かなバージョン違いがあり、それらは主にプロモーション盤、アナログ盤、海外盤等に収録されている。


 例えば『東京は夜の七時』シングルリリース時の1993年に放送局などの関係者向けに配布された12インチプロモ盤(TRIAD TD-3105)には、「acappella」「tv version」が収録。前者は野宮のボーカルのみのトラック、後者は『ウゴウゴルーガ2号』オンエア用と同じように短く編集されたバージョンで、いずれもこの盤でしか聴けない。このようなバージョン違いを挙げていくと煩雑になるので本稿では省略するが、こういったマニア心をくすぐるレアトラックが、ピチカート作品には山のように存在している。


【メンバー関連】


 続いて、ピチカート・ファイヴ解散後にメンバーの小西康陽および野宮真貴が関わった音源について見ていく。


■野本かりあ


 ピチカート解散後は様々なアーティストのプロデュースやリミックスをこなしている小西康陽。彼が2005年に設立したレーベル<columbia*readymade>にてプロデュースを手がけた女性歌手のひとりが野本かりあだ。2006年1月、配信限定で「東京は夜の七時 (the first cut)」がリリースされた。かつての名曲が小西本人プロデュースにより再生されるということで大きな話題となる。プログラミングは吉田哲人。歌詞も〈留守番電話が突然 ひとりで廻り始める〉から〈携帯電話が突然 出かける間際鳴り出す〉に変わるなど、オリジナルと大幅に異なっている。


 続けて同年3月に「東京は夜の七時 (karly mix)」「東京は夜の七時 (kagami remix)」を配信リリース。前者は自身もクラブ好きだという野本本人によるリミックス、後者は日本テクノシーンで活躍していたが2010年に逝去したKAGAMIによるリミックスで、代表曲「Tokyo Disco Music All Night Long」から連想してのオファーと思われる。


 同年6月には前述3曲に「東京は夜の七時から七時十一分。 (extended version: karly to 524)」を加えた全4曲のシングルCD『東京は夜の七時』をリリース。「~夜の七時から七時十一分。」は、「karly mix」と「the first cut」をDJミックスのように連結したバージョン。同年9月には前述3曲収録の12インチアナログ盤もリリース。なお、「the first cut」は2007年リリースの野本かりあのアルバム『DANCE MUSIC』にも収録された。


■野宮真貴


 ピチカート解散後はソロアーティストとして活動中の野宮真貴だが、2012年にデビュー30周年記念アルバム『30 ~Greatest Self Covers & More!!!~』をリリース。数々のアーティストがプロデュースして野宮の過去楽曲をセルフカバーするという趣向のアルバムで、「東京は夜の七時」はRIP SLYMEのDJ FUMIYAプロデュースで歌われた。


 2013年には『「野宮真貴、渋谷系を歌う。」~野宮真貴“渋谷系”スタンダード化計画~』と題したライブを開催。1曲目にビブラフォンを取り入れたジャジーなアレンジの「東京は夜の七時」が披露された(編曲はspam_KASUGAI、坂口修の連名)。翌年にはこの模様を収録したライブアルバム『実況録音盤 野宮真貴、渋谷系を歌う。』をリリース。以降、ライブの毎年開催が恒例となり、関連アルバムも続くこととなった。


 2015年リリースの『世界は愛を求めてる。 ~野宮真貴、渋谷系を歌う。~』には、ライブ版「東京は夜の七時」と同アレンジによるスタジオ録音版を収録。


 2016年の『男と女 ~野宮真貴、フレンチ渋谷系を歌う。~』では、盆踊りアレンジによる「東京は夜の七時 (盆踊りVersion)」を収録(編曲は菊地昇二)。同曲はアルバム発売に先駆けて配信で先行リリースされている。また、アルバムDISC2は「野宮真貴、渋谷系を歌う-2015-。」のライブ録音盤で、ここでも1曲目に「東京は夜の七時」が歌われている(アレンジはジャズバージョン)。


 2017年リリースの2枚のアルバム『野宮真貴、ヴァカンス渋谷系を歌う。』『野宮真貴、ホリデイ渋谷系を歌う。』では「東京は夜の七時」の出番は無かった。そして前述の通り、ベスト盤『野宮真貴 渋谷系ソングブック』が今年10月末にリリースされる。


【カバー(アーティスト系)】


 他のアーティストによるカバーバージョンを見ていく。全部で7アーティスト。


■『THE iDOLM@STER』


 「アイドル」をモチーフにしたゲームおよびアニメの人気タイトル。キャラクターソングシリーズ「MASTER ARTIST」の第10弾としてリリースされたミニアルバム内で、秋月律子 (CV:若林直美)がカバー。〈Yeah, yeah, yeah,〉の歌い方が元気で可愛らしい。編曲は久米康隆。


■Fous de la Mer


 ドイツのエレクトログループらしいが詳細不明。<Elux Records>からのアルバム『Ipanema』では、ボサノバ風のリラックスしたサウンドでカバー。日本語詞をそのまま歌う女性ボーカルは独特の発音。


■バニラビーンズ


 2007年のデビュー以来、アイドル戦国時代シーンを彩ってきたデュオだが、今年10月に解散予定。2009年8月に配信シングルとしてカバー、編曲は横山克。翌年リリースのベストアルバム『VaniBest』にも収録された。


 ちなみに、2015年には様々なアイドルグループがピチカート楽曲をカバーするという企画アルバム『アイドルばかりピチカート』がリリース。バニラビーンズも参加していたが、そのアルバム中では「東京は夜の七時」は取り上げられていなかった。


 2017年にはベストアルバム第2弾『VaniBestⅡ』が編まれたが、そこでの目玉が小西康陽のリミックスによる「東京は夜の七時」再カバーだった。


■LADY BiRD


 dj TENとKAZUHISA HIROTAによるハウス・ミュージック・ユニット。作品ごとにフィーチャリング歌手を替えているが、このシングルではyula.を迎えてカバー。メインバージョンの他に「Club Mix」「Electro Remix」「Trance Remix」を収録している。


 シングルの発売日は7月7日で価格は777円、収録トラック数は7曲と、タイトルの「夜の七時」にとことん合わせている。発売日当日は夜7時から渋谷HMVにてリリースイベントも行われた。


■Saku


 渋谷タワーレコード店員をこなしつつシンガーソングライターとしても活動する女の子。4曲入り初作『Bed Room e.p.』にはオリジナル2曲、カジヒデキ提供曲「STaRt!」、そして「東京は夜の七時」カバーを収録。ちょっとハスキーな歌声で聴かせる。編曲は野村陽一郎。


■こんどうようぢ


 男性モデル/タレントとして活動中。初アルバム『402』内でカバーしており、編曲はサイトウリョースケ。男声ボーカルによる「東京は夜の七時」カバーは珍しいケースだ。


■クレモンティーヌ


 フランスの女性歌手。1990年のソニー・ミュージックエンタテインメントとの契約以降は日本盤を多数リリース。2010年にはアニメソングのカバーアルバム『アニメンティーヌ ~ボッサ・ドゥ・アニメ~』を発表し、「天才バカボン」のボサノババージョンがCMソングに起用されたりもした。


 その流れもあるのか、今年2月リリースの『Café de POP from Tokyo Paris』では渋谷系楽曲とフランスのスタンダードナンバーという、東京とパリのポップスをカバー。アルバム最後に「東京は夜の七時」が収められており、歌詞はフランス語。小沢健二、田島貴男、高浪敬太郎らが参加した1992年作『アン・プリヴェ ~東京の休暇』など、当時から渋谷系ミュージシャンとの関わりもあった彼女がこんなカバーアルバムを出すことになるとは、奇妙なねじれを感じる。


【カバー(コンピレーション系)】


 コンピレーションや企画系アルバムの類いはこちらにまとめた。


■『LOVERS COVERS J-POP』


 2007年リリースの『LOVERS COVERS J-POP』は、J-POPのヒット曲をレゲエ/ラヴァーズ風アレンジでカバーしたオムニバス盤。「東京は夜の七時」はCrypto RoomというユニットがRay of Lightという女性ボーカルをフィーチャーしてカバー。


 同アルバムには続編が2作あり、2009年にはそれら3枚のアルバムから選曲したものをDJミックスした『LOVERS COVERS QUICK-MIX』が作られ、そこにも上記カバー曲が使用されている。また、2013年リリースの『セツ泣きBEST COVERS』にも同一曲が転載されている。


■『渋谷系BOSSA』


 渋谷系楽曲をボサノバアレンジでカバーした企画盤。収録全曲を手がけているのはSweet Jam Styleなるユニット。歌手は曲ごとに異なっているが、「東京は夜の七時」はazuという女性ボーカルが担当。Sweet Jam Styleは他に『ジブリBOSSA』もリリースしている。


■『渋谷エレクトロポップ』


 渋谷系楽曲をCAPRICIEUX(カプリシュー)というユニットがカバーした企画盤。帯の解説文には〈90年代の楽曲を「Perfume」を思わせる最新のエレクトロサウンドにアレンジしウィスパーなヴォーカルが花を添える〉と書いてある。全曲の歌唱はincoolという女性ボーカルで、編曲はTakao Fukushima。


 収録曲を眺めると、Cymbals「Rally」やTOKYO No.1 SOUL SET「黄昏’95 ~太陽の季節~」はともかく、フィッシュマンズ「いかれたBABY」は渋谷系という定義からは少し浮いてるかも。


■『渋谷系 feat. 初音ミク』


 ボーカロイドの初音ミクを使用した企画カバーアルバムは一時期たくさん出ていたが、そんな中の一作。「東京は夜の七時」は、「ABC Project feat. daniwellP & 初音ミク」という名義がエレクトロスウィング風にカバー。


■『カフェ・ミュージックで聴くJ-POP Best』


 J-POPのヒット曲の数々をジャズやボサノバアレンジでカバーした企画盤。編曲を手がけているのは西村幸輔で、全曲インストでのカバー。いかにもカフェで流れていそうなイージーリスニングサウンドだ。


【サンプリング】


 カバーとは異なる、サンプリングされたケースがある。


■コーネリアス


 ピチカートらと共に渋谷系ムーブメントを形成した、コーネリアスこと小山田圭吾。その2ndアルバム『69/96』の96曲目に収録されているのが、通称「木魚」(または「Welcome to the Jungle」)と呼ばれている隠しトラック。暴力温泉芸者こと中原昌也による短い曲で、イエス「Owner of a Lonely Heart」のギターリフ弾きに様々なJ-POPヒット曲のサンプリング断片が被さってくるという内容。その中の一個に「東京は夜の七時」が含まれている。


■エイジア エンジニア


 前述の野本かりあが、「東京は夜の七時」に引き続き小西康陽プロデュースでリリースしたシングル「自由度。」では、日本人ヒップホップグループのエイジア エンジニアとコラボした。


 その縁もあってか、同年のエイジア エンジニアのシングル『自由に歩いて愛して』のカップリング曲「TOKYO 7」では、ピチカート版「東京は夜の七時」をサンプリング。サンバホイッスルが鳴り響くトライバルハウスチューンに仕上げている。後日リリースのミニアルバム『純夏 ~Jun-natsu~』には「TOKYO 7 “LOS KALIBRES レゲトンリミックス”」として収録。


【その他】


■椎名林檎


 2016年9月に行われたリオデジャネイロパラリンピック閉会式での「フラッグハンドオーバーセレモニー」の演出/音楽監督を椎名林檎が務めた(ちなみに同年8月のリオデジャネイロオリンピックでの同セレモニーも同様に椎名が担当)。そのセレモニー内で「東京は夜の七時」が「東京は夜の七時 -リオは朝の七時-」というタイトルでカバー使用された。ボーカルは浮雲こと長岡亮介(東京事変のギタリスト)で、大幅に改作された歌詞(「返歌」とクレジット)および編曲は椎名林檎。当日の模様は、NHKがYouTubeにノーカットでアップしている。


 このセレモニーは、障害を前向きに捉えるよう意識改革をする「POSITIVE SWITCH」をテーマとしたもの。義足のモデルGIMICOや片足のプロダンサー大前光市らが出演してパフォーマンスを行っているが、出演者のひとりである檜山晃との会話の中から「東京は夜の七時」カバーの着想を得た、と椎名はインタビューで語っている。


 興味深いのは、前述の矢野顕子版「東京は夜の7時」の曲冒頭では〈東京は夜の7時 リオデジャネイロは朝の7時〉と歌われていることだ(作詞作曲は矢野本人。小西が作詞作曲したピチカート版「東京は夜の七時」の歌詞にはリオデジャネイロという単語は出てこない)。椎名がどこまで意図的だったかは計り知れないが(別の小西のインタビューでは、椎名と何度もやり取りを重ねた上でああいう形になったと話している)、結果として矢野版とピチカート版双方へのリンク回路が開かれたカバーとなっている。


 同年10月には「東京は夜の七時 -リオは朝の七時-」のレコーディング音源がYouTubeにアップされた。また、2017年10月に放送されたNHKの特番『内村五輪宣言! ~TOKYO2020開幕1000日前スペシャル~』では、椎名含む3人(浮雲×小雨×林檎)が「HUMAN ERROR」というユニット名で出演し(小雨=振付家のMIKIKO)、「東京は夜の七時」を生披露。少し歌詞が異なるHUMAN ERROR版のレコーディング音源もYouTubeにアップされた。しかしいずれの音源も正規リリースはまだされていない。椎名インタビューによると5分の完全版があるそうだ。


■ROCKAPELLA


 アメリカのアカペラコーラスグループ。今年4月の来日公演のプロモーションを兼ねて、「東京は夜の七時」をボイパを駆使してアカペラカバーした動画をYouTubeにアップしている。(ピロスエ)