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予想外のエンディングに 松本穂香主演『この世界の片隅に』が遺した“現代へと通じるメッセージ”

2018年09月17日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 戦争が終わり配給も途絶え始め、闇市にGHQ。戦後の何もかもが足りない厳しい暮らしの中で、すず(松本穂香)や北條家の人々、そして呉の人々は前向きに生きつづけていた。しかし、台風の日に届いた滲んだ手紙以降連絡がない家族の消息にやきもきするすず。そんな折、草津のイト(宮本信子)から手紙が届き、すずはひとりで広島へと向かうのだ。


参考:https://www.realsound.jp/movie/2016/11/post-3332.html


 9月16日に放送されたTBS系列日曜劇場『この世界の片隅に』最終話。これまで原作やアニメ映画版と同様に淡々とエピソードを積み重ねながら構築されてきたこの物語は、最後の最後までそれを貫いたと同時に、現代へと通じるメッセージを登場人物の言葉でストレートに伝える。その中で最も鋭く心に突き刺さるのは、久々の登場となったイトが悔しさを込めながら語る「できることは、生きることだけじゃ」という台詞ではないだろうか。


 8月6日に出かけてから行方がわからないすずの母キセノ(仙道敦子)に、キセノを探しに広島の町を訪れ原爆症に倒れて亡くなった父・十郎(ドロンズ石本)、同じように原爆症で腕にできた内出血に悩まされながら寝込む妹・すみ(久保田紗友)。そして戦死した兄の要一であったり、はたまた不発弾で亡くなった晴美であったり、多くの人々の悔しさを抱えながら、前向きに生きていくことが当時の人々に課せられた使命だったのかもしれない。


 そういった点では、これまでいまひとつ重要性が見えないでいた、佳代(榮倉奈々)を軸とした現代パートの存在が、ようやく実を結んだといえるかも知れない。節子(香川京子)というキャラクターを通すことで、戦時を知らない世代が多くを占めるようになった現代に向けて、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという至極当然でなければならにメッセージを暗に伝える役割を果たしている。


 そして、現代の広島のシンボルである広島東洋カープのユニフォームを身にまとい、“ズムスタ”で応援している現代のすずの姿も然り(設定上、大正14年生まれのすずは、93歳ぐらいだろうか)。なかなか予想外のラストシーンに度肝を抜かれることにはなったが、前述の「できることは生きることだけ」という台詞を踏まえれば、それを明確に体現したエンディングといえるのではないだろうか。


 放送前には「夜の朝ドラ」を目指していると言われていた本ドラマ。主演の松本穂香を筆頭に、実際にNHKの朝ドラで注目を集めたキャストが揃い、さらにセットとロケーションを混在させて再現させた美術考証の巧さ。そして原作から守り継がれた淡々と紡がれていくストーリーテリングにも、その片鱗を強く感じさせた。


 その中でも、やはり最終話後半の原爆投下後の広島のシーンは、別格といってもいいほど、作り手の本気度合いを改めて感じさせるシーンであった。とりわけ節子が母親とともに投下直後の街をさまよい歩く場面での生々しさ。一度観たら忘れられないほど鮮烈で目を背けたくなるようなその描写を、しっかりと映し出す。この3ヶ月の放送期間中には様々な批判が浴びせられたとはいえ、このわずか数分のシーンだけでも『この世界の片隅に』を実写で描いた価値はあったのではないだろうか。(久保田和馬)