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不安感が「被害者バッシング」を生む…「自分は大丈夫」信じたい人間の心理

2018年09月15日 10:42  弁護士ドットコム

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人はなぜ被害者を責めるのでしょうか。中でも性暴力被害者に対するバッシングは激しく、二次被害にもつながっています。


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こうした「非難」には、私たちの人間の心理が気づかないうちに働いているとも考えられます。たとえば、「世の中は公正にできている」という信念の強い人は、そうした信念から「被害に遭うということは、その人がそれにふさわしい何かをしたからだ」と被害者に責任を帰するといった心理学理論もあります。



性犯罪被害者に対する非難について研究している、駿河台大心理学部の小俣謙二教授(犯罪心理学)に話を聞きました。(編集部・出口絢)



●なぜバッシングは起こる?

ーー性暴力に関する報道のたびに、被害者が非難されます。こうした非難は、なぜ起こるのでしょうか。



被害者への責任帰属がなぜ起こるのか。その理由については、社会心理学でも複数の解釈がありますが、一つの考え方として「公正世界信念」があります。



わかりやすく説明すると、「正しいことをしていれば、よいことが起きる(報酬を得る)」という信念です。人は「世の中は公正なので、人間はその人にふさわしい扱いを世間から受ける。悪いことが起こる人はそれに値する人間。正しいことをしていれば、正しい評価を得て、いいものを得る。これが世の中なのだ」という考え方を持っているということです。



私たちは安全な世界や社会を求めています。この考えが崩れないように、人は「そんな目に遭うのは、被害者の側にも何か過失があったからではないのか。非難されるべきところがあった」と推論するわけです。



被害者非難は性犯罪に限らず、どの罪種でもよく起こります。例えば、2001年7月に発生し11人が亡くなった「明石花火大会歩道橋事故」でも、「子どもを連れて行ったのが悪い」などと被害者遺族に対するバッシングが起こりました。



ただ、性犯罪被害者に対する非難に関しては、他の要因も関係していると考えています。



●「自分を安心な立場に置いておく」心理が働く

ーーどのようなものですか。



その出来事が起きることが予見できたかという「予見可能性」、予見できたのに対して対処しなかったのではないかという「対処可能性」です。



例えば、知人の部屋に夜に行って、2人で一緒にお酒を飲んだ後、性暴力の被害にあったとします。そこで、「夜家に行くということは、危ないことが起きるかもしれない」という予見可能性があったのではないか。また、「危険が想定されるのに、2人きりでお酒を飲んだなんて過失だ。対処することはできただろう(対処可能性があった)」と言う風になるわけです。



この他、「必死に抵抗すれば防げた」「見ず知らずの他人からいきなり襲われるのがレイプだ」などの「レイプ神話」が影響する可能性もあります。実際には、性暴力の大多数が面識のある人からの被害です。誤った理解にもかかわらず、こういったレイプに関する誤解によって被害者にも「落ち度がある」と非難が起こるわけです。



ーー自分だったら大丈夫、と思いたいのですね。ただ実際には、何の落ち度もない人が被害にあっています。こうした事件を見ても「落ち度がある」と非難してしまうのでしょうか。



そうとは限りません。心理は単純に1つの要因だけではなく、様々な要因が複合しています。



前述した心理以外にも、「非難回避」や「危険回避」という心理的な要因もあります。「非難回避」は、被害者と自分の境遇や属性が比較的似ている場合、被害者の責任を大きく捉えると自分が被害にあった時に自分が非難される事になるため、被害者に対する非難を小さくするという心理です。この場合には、非難には発展しません。



逆に「危険回避」とは、被害者と自分の境遇や属性が似ていないから、「自分ならこのように振る舞わない」「被害者と自分は違う」と相手を容易に非難してしまうもの。年代や性別が違う被害者を非難するのは、この心理が影響しています。



ーーどの心理が影響しているのかは、単純には言えないのですね。



いろんな原因が考えられるので、「こうした場合にはこの心理メカニズムになる」と一概に言うことは難しいです。相手を自分と違う存在だと認識することで、自分を安全圏に確保する。非難することの最終的な目的は「自分を安心な立場に置いておく」という心理だと考えられます。



●不安だから原因を探す

ーー心理的な要因は様々にあるということですが、このような心理が働くことは、仕方がないのですか。



人間なので、「この出来事の責任はここにある」と分かると、ホッとする心理が働いてしまうものなんです。矛盾を抱えていたら、解消したい。何かがおこったら、どこかに原因を探したい。そうでないと不安でしょうがない。



例えば、病院に行って診断を受け、病名をつけてもらうと、どこかホッとするような時はありませんか。言葉にしてもらうと、人は納得ができます。とにかく説明がついて、認知的な整合性が取れることが大事という心理が働くのです。



事件が起こってもそうです。悲惨な事件が起こると、テレビで「なぜこんな事件が起こったの?」という疑問に対して、元警察官や素人のコメンテーターがとりあえずの説明をくれます。



ただ、その「帰結の仕方」に歪みが起こると、結果的に被害者非難に繋がるというわけです。



●真っ当な心理というのは存在しない

ーー私たちは性犯罪を始めとする犯罪被害に対して、どういった態度を取るように心がけたらいいのでしょうか。



真っ当な心理というのは存在しません。常に、自分自身で判断しないといけません。人間は、真っ当な人間でも非常に変なことをすることがあるんです。普通の人間でも犯罪を行います。いや、むしろ、犯罪を行うものの多くは普通の人です。



なので「普通」「真っ当」とは何か、ということを考えるのではなく、自分の考えに影響している要因が何かをはっきりさせて、一つずつそのバイアスを無くしていくしかないと思います。



どんな犯罪であっても、どんな状況でも、加害者は加害者。誤った認識を少しずつ正して行くしかありません。責められるのは被害者ではなく加害者だということを社会が考えていく必要があると思います。



【プロフィール】



小俣謙二(おまた・けんじ)1953年生まれ、名古屋大学大学院文学研究科修了。博士(心理学)。駿河台大心理学部教授。専門は社会心理学、犯罪心理学。日本犯罪心理学会理事。著書に「犯罪と市民の心理学―犯罪リスクに社会はどうかかわるか」(共著、北大路書房)など。



(弁護士ドットコムニュース)