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YOSHIKI、X JAPANの新作アルバムと自身の近況を報告「レコーディングは完了しました」

2018年09月13日 22:52  リアルサウンド

リアルサウンド

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 X JAPAN・YOSHIKIの記者会見が9月13日、日本外国特派員協会にて行われた。


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 冒頭、会場のモニターにはこれまでの軌跡を振り返る映像が映し出され、YOSHIKIが入場。前日に着く予定だったが、レコーディングが終わらず、2日ほど徹夜をして今回の記者会見に臨んだというYOSHIKI。到着すると空港が大勢の人で賑わっており、テニスプレイヤーの大坂なおみ選手と偶然同じ飛行機で帰国していたというエピソードを笑顔で明かした。


 インタビューは、今月9月28日から30日に行われるライブを前に「ライブはいつぶり?」という質問からスタート。「4月にコーチェラフェスでやったけど、大規模なライブとなると8年ぶり」と回答。「ライブにサプライズはあるのか?」という問いには「それは分からない」とはにかみ、「11月にもライブをやるけれど、それは以前カーネギーホールで演ったようなクラシックなものになる。既存の作曲家、例えばベートーベンやチャイコフスキー、また天皇陛下に奉祝曲として作曲した『Anniversary』、X JAPANの曲も演奏する予定」とライブへの意気込みを見せた。


 それを受けて、「以前ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンとクラシカルアルバムを制作したが、今後新たに制作する作る予定はあるのか」と聞かれ、「彼の大ファンなのでとても光栄だった。クラシックのアルバムはいずれは出したいと思っています。ちなみにですが、X JAPANのアルバムのレコーディングは完了しました」とアルバム完成の報告が行われた。さらに、「今のところ、リリース日は未定なんですが、来週ドイツに行くんだけど、サラ・ブライトマンさんと一曲やらせていただく。実は彼女のニューアルバムに僕の曲を入れてもらっているので」と明かした。


 話題は、最近行った世界的なアーティストとの共演へ。「マリリン・マンソンは、たまたまうちの近くに住んでいるので。コラボレーションはあっても、リリースをしたことはなかったので来年あたりもしかしたらやるかもしれないですね。今のところ何曲かレコーディングはしています」と発言し、先日『フジロック』で話題になったスクリレックスとのコラボに関しては「あれは、本当に最後の最後に決まったんですよ」とにやり。


 そして映画『WE ARE X』について。反響が本当に大きく、あれを作るのはどんなに大変だったのか? という質問に対して、「結果としてX JAPANの歴史の中で最も難しい作業だった。壮絶な出来事の連続で、10年ほど前に提案があったが、過去の出来事の扉を開けるのはとても躊躇われた。子供の頃に、父が自ら命を絶つというかたちで亡くし、hideもTAIJIも死んでしまい、ToshIは洗脳されてしまった。長い年月をかけて説得されて、僕たちも戻って来られたのだから、誰かのためになれると思い決心した」と想いを馳せる場面も。


 話題は体調面に移行。激しいドラムで過去、何度も怪我をし、手術を繰り返していることから現在の健康状態について質問されると、「いつも明日はないと思っている。父がああいうかたちで亡くなってしまったので、子供の頃の自殺願望があったのかもしれないが、母がドラムセットを買ってくれて、自分の怒りや悲しみを解放する手段としてやっていた。その姿勢はいまも変わらない。ヘッドバンギングが健康に良くないとしみじみと感じるし、お医者様からもこのままだと他の部分も悪くなって、また手術を受けるよとも言われている。それも重々承知の上で、耐えるために週5回くらいでトレーニングをしている」と赤裸々に告白した。


 メジャーデビューから30周年を迎えようとしている、X JAPAN。「30年続くと思っていた?」と質問され、「30年前ではアジアのアーティストがアメリカやヨーロッパで成功するなんて考えもしなかった。今は状況が変わりました。インターネットの恩恵でそれは可能になって、本当に夢のよう。25年前にL.A.に移住して、世界一のロックスターになろうと考えていたけれども、当時はアジアのアーティストが大ヒットにつながるようなことはなかった。でも、今は東と西の差も縮まって来ていると思うので、西の市場に進出して行きたいと思っている」と答えた。


 質疑応答では、YOSHIKIの音楽にスピリチュアルなものを感じるという記者が、「その音楽はどこから来てるんですか」と質問。「曲を作る時に楽器は作らない。ペンと紙があればできる。レコーディングする段階で、どの曲にするか決める。ベートーベンのように何百年も経った後でも聞いてもらえる音楽を作りたい。メロディは何か書かなきゃという義務感と、ふっと降ってくるような時とある。父のようなことがあり、僕に音楽がなかったらと感じると、僕の音楽はどこから来てるのかと聞かれたら、痛みと悲しみからきてる」と回答し、創作の秘密に触れた。


 また、「息子がドラムをやってます」という記者の一言について「息子さん、首を痛めないよう気をつけてください」と返したり、「お正月の番組でお菓子を食べている姿が、チャーミングだったけど、ロックレジェンドには似つかわしくないようにも見えた。普段の食生活は?」という質問に、「おかきを食べていたのはお腹が空いていたから。あの番組は6時間も収録していて、あの時はカメラがあるとわかっていたけど、あまりにもお腹が空いていた。ニュースになったおかげでCMに出させてもらえた」とユーモアで会場を沸かせる姿も。


 先日引退した小室哲哉の業績についてと今後への希望は? という最後の質問に対して、「翌日に彼に電話しました。『アーティストが引退するのは死ぬ時なのに、生きてるうちにするなんてないだろ』と思いました。生きてるうちに何処かで線引きすること必要だと思う人もいるかもしれないけど、どんな仕事だって辛い。僕も25年前にアメリカに渡って、もう駄目だなと思ったら日本に帰ってこようと思っていたけど、まだ残ってるし、頑張っている。これは自分だけのためではなく、みんなのためにやっていること。それはバンドであってもジャーナリストであっても変わらないと思う。いつやめるというのはわからないが、前進し続けるのが人生だと思うし、やめるときは死ぬ時。はっきりと答えになってるかは分からないが。もういいや、帰って寝たいと思うけど頑張ってるのは、地図を塗り替えたいと思っているから。メンバーも亡くなったけど、アメリカで成功するというのが彼らの夢でもあった。僕にはその責任がある。父も死んでしまったけど、僕はそれは正しくないと思う。だから僕は進んで生きたいと思っています」と力強く言い切って、この日の会見は終了した。(石川雅文)