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『エスペラント』『デルタウイング』などの生みの親、ドン・パノス氏が死去

2018年09月12日 12:21  AUTOSPORT web

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自身が所有するロード・アトランタで行なわれた2017年プチ・ル・マンに姿をみせたドン・パノス
自動車メーカー『パノス』の共同設立者で、IMSA名誉副会長を務めていたドン・パノス氏が2018年9月12日、膵臓がんのため83歳でこの世を去った。

 モータースポーツの世界、ことアメリカン・モータースポーツにおいてもっとも影響力を持つ人物のひとりだったパノスは、ル・マン24時間を統括するACOフランス西部自動車クラブとライセンス契約を結び、1998年にロード・アトランタを舞台とする10時間耐久レース“プチ・ル・マン”を創設。翌1999年には今日のIMSAウェザーテック・スポーツカー・チャンピオンシップに続くスポーツカーシリーズ、ALMSアメリカン・ル・マン・シリーズを発足させた。

 また同時に子息のダン・パノスが創設したパノス・オート・ディベロップメント・カンパニーに出資し、同ブランドを成功に導いたほか、レーシング部門ではル・マン24時間やALMS、FIA GT世界選手権などに参戦した。

 パノスの代表作、『パノス・エスペラント』は1998年のル・マンにGTR-1がGT1クラスに初参戦し、その特徴的なデザインとフロントエンジン・リヤドライブ(FR)の駆動方式を持つ同マシンは大きな話題を生んだ。

 その後、パノスはプロトタイプカーの開発に乗り出すなど10年近くに渡ってル・マンへの挑戦を続け、2006年にはGT2クラスに送り込んだエスペラントGTLMが同クラスで優勝。さらに同年のALMSセブリング12時間でもクラス優勝を成し遂げている。

 そんなパノスは近年、インディカー・シリーズのプロトタイプシャシーとして開発されたデルタウイングを使ってIMSAウェザーテック・スポーツカー・チャンピオンシップに参戦するとともに、同車両のロードゴーイングバージョンである『デルタウイングGTコンセプト』を発表。市販化に向けた開発を進めていた。

 また、レースの世界では2017年のル・マンで電動GTカー『グリーン4Uテクノロジー・パノスGT-EV』をアンベイルし、将来の“ル・マン復帰”を期待させた。

 さらに2018年からはチーム・パノス・レーシングを率いて北米の人気GTシリーズ、PWCピレリ・ワールド・チャレンジに『パノス・アヴェッツァーノ』のGT4モデルを投入。同年にワークス体制での本格参戦を開始すると、50号車パノスを駆るイアン・ジェームスの活躍によって3勝を挙げ、最終戦ワトキンス・グレンで見事マニュファクチャラーズタイトルを獲得した。