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佐藤健は今なぜ“ドラマ”で輝くのか? 『半分、青い。』『義母と娘のブルース』真逆の役を好演

2018年09月11日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 佐藤健と言えば、29歳にしてすでにいくつもの代表作がある俳優だ。特に、近年は映画での活躍が目覚ましく、ドラマは2015年の『天皇の料理番』(TBS系)から遠ざかっていた。


参考:実は隠れた名脇役 『半分、青い。』の“電話”は永野芽郁と佐藤健を繋ぐ重要な役割?


 しかし、2018年は朝ドラ『半分、青い。』(NHK総合)でヒロイン鈴愛(永野芽郁)の幼なじみとして高校生から40代になろうとしているところまでを演じており、7月からは、『義母の娘のブルース』(TBS系)にも出演。こんなに毎日のように佐藤健の顔を見るとは、ちょっと近年は想像していなかった出来事である。


 今までの役のイメージから来る佐藤健の印象はというと、クールで、あまり多くを語らず、何でもできて、それだけにちょっとだけとっつきにくい、そんな勝手なものを持っていた。


 しかし、今回の『半分、青い。』律役に限って言えば、そんな印象がうまく生かされたキャラクターであり、半年間という長い期間、じっくりと描かれてきたことによって、今、かつてないほどの親近感を持って、佐藤健のことを見守っている自分がいる。それは、朝ドラが朝ドラらしくうまくいった1つの成果かもしれない。


 佐藤健が演じている律は、周囲の人よりも何もかも秀でていて、人が持っているはずの何かを持っていないということで悩むこととは無縁の人に見える。しかし、律本人としては、何かを持っていない気がして生きているのだろう。例えば、鈴愛のように、これと思ったら、猪突猛進でなりふり構わず突き進むようなバイタリティは持っていない。そんな風に、まっすぐに目的に向かうということは、あまり冷静に考えすぎてはできないからだ。


 しかも、律は高校受験と大学受験、二度も失敗している。それも自分の実力ではなく不慮のアクシデントで。そこには自分の実力に対する不安を、事故にかこつけたという意味あいもあったようだ。


 こんな複雑な心情は、もしもうまく役の背景を信じさせることができない人が演じたら、支離滅裂になってしまうこともあるかもしれないが、なぜか律の気持ちが手に取るようにわかってしまう。


 一番それが感じられたのは、律の母親の和子(原田知世)が病気で亡くなる直前のことだった。このシーンを見るまでは、律が母親のことをずっと「和子さん」と呼んでいたことに、意味があるとは考えてもみなかった。しかし、律は和子さんのために買ってきた季節外れの苺を食べながら、しゃべるぬいぐるみ・岐阜犬を通して(岐阜犬の声は、和子さんである)初めて、和子さんのことを「お母さん」と呼ぶのだ。


 人から見たら、些細なことでも、いつでも心にブレーキがかかっている律には「お母さん」と呼ぶことすらハードルが高いまま40年近くを生きてきたのだ。この回は、5か月見てきた律の本質が凝縮されていたように思う。


 そんな風に律に心のハードルやブレーキがあり、鈴愛には鈴愛の人生のペースがあるからこそ、ふたりは思いが通じているのにすれちがったまま40歳になろうとしている。しかし、長く連載しているラブコメ少女漫画というのは、好きという気持ちがわかっていながらも、それが勘違いであったり、すれ違いがあったりして、読者をヤキモキさせるからこそ、長く続くのである。本作も、そんなところが人気のひとつでもあるのではないだろうか。


 『半分、青い。』の中で律として生きながら、現在は視聴率も好調な『義母と娘のブルース』に出演している佐藤健。


 こちらでは、うってかわって、律のような複雑さの一切ないパン屋の店長・麦田を演じている。同じ時期にまったく違う役を演じたら視聴者は混乱しそうだが、不思議とそんな感覚がないのは、逆に似たところがないからなのだろうか。


 『半分、青い。』で、律のように、俯瞰して考える繊細な役、それも本人と重なるような役をじっくりとやったことで、なんとなく見ているこちらも、佐藤健が自分をさらけだした演技をしているように受けとめられたところがあるような気がする。そのことで、正反対の役を演じても、俳優として応援してしまうのかもしれない。(西森路代)