2018年09月10日 13:42 弁護士ドットコム
東京高裁の岡口基一裁判官の分限裁判をめぐり、弁護士ドットコムでは緊急アンケートを実施した。アンケートの結果は以下の通りだ(回答数:326人)。
【関連記事:岡口裁判官の分限裁判、9割の弁護士が「懲戒処分に該当しない」 326人緊急アンケート 】
Q1 岡口裁判官への懲戒申し立ては妥当と考えますか。
申し立ては妥当→27人(8.28%)
申し立ては妥当でない→284人(87.12%)
わからない・どちらとも言えない→15人(4.60%)
Q2 岡口裁判官の行為は懲戒処分に該当と考えますか。
懲戒処分に該当する→22人(6.75%)
懲戒処分に該当しない→297人(91.10%)
わからない・どちらとも言えない→7人(2.15%)
今回の分限裁判について、自由回答欄には101人の弁護士からコメントが寄せられた。上下に分けて、その全文を紹介する。(上)にあたるこの記事では「処分妥当(実名・匿名)」「処分不明(実名・匿名)」「処分不当(実名)」とした弁護士のコメント。
<五月女智昭弁護士>
・裁判官の職務は、証拠を元に事実の有無を判断して結論を見出すものであると思料します。自己表現を名目とした数々の振る舞い、彼の行動理論を見る限り、裁判官ではなく別の職を志すべきではなかったのかと思います。
<白濱重人弁護士>
・裁判官である以上、節度ある言動をとっていただきたい。
<和田丈夫弁護士(元検事、元裁判官)>
・憲法上の強固な身分保障に保護され、高禄で処遇されて裁判を受ける者に対して生殺与奪の権を振るうからには、自らを律する自制ないし内省を保すべきは当然。聖人君子である必要はないが。自らの職務行為を貶めかねないふざけた言動は慎むべきであろうし、模範人としての行状と品位を求められて然るべき。
・岡口判事のファンですが、それでも岡口判事の言動は問題があったと言わざるをえず残念です。
・もちろん基本的には誰の表現行為も自由であるべきだが、この方の場合は目に余るツイートが多々見られ、とうに限度を超えていた。
ご本人も裁判所の「限界」を見極めたくて、裁判所と戦いたくて、表現の自由の裁判例として名を残したくて「わざとやっているのではないか?」と思われるくらいであった。
当該ツイートに限らず、ニュース記事等のリンクの前の記載がご本人の意見として読めるものが多く、裁判例の紹介の際に当事者が不快に思うことがあったのは十分に理解できる。
なお、ご本人は他からのクレームが入るとすぐにツイートを消してしまっていたが、当該ツイートよりも、もっと不適切なツイートは多々あったように思う。
特に、性的事件についての被疑者に対する揶揄はひどく、被疑者の実名の載っている記事を引用しながら当人を揶揄するコメントを付けたツイートが散見された。自分が当該被疑者の弁護人であったらクレームを入れるであろうと毎回思っていた。
・岡口裁判官は、結局ツイッターで何をしたかったのだろうか。表現の自由の問題と今回の問題は違うと思う。表現の自由というなら、匿名でツイートすればよい。現職の裁判官が、他の裁判について軽口をツイートしたり、興味本位でリンクを貼ったりすることは、司法への信頼を損なうと思う。
・岡口氏は自分の言動が人にどう映るのかを認識する能力が乏しいのではないかと思われる。岡口氏を処分しないなら、その裁判所の姿勢こそが世間から非常識扱いされると思う。
まわりの一般の人に尋ねても、異口同音に「こんな人に裁いてほしくない」と言っている。岡口裁判官も、今回の分限裁判において「裁かれる立場」になれば、そのことが分かるのではないか。
・岡口裁判官は、今回問題となったツイート以外にも、政治的なトピックや性的な話題に関するSNSへの投稿が非常に多い方です。政治がらみの裁判で公正中立な判断ができるのかという点に一般国民が疑問を抱いたり、裁判所の威信が失われることを人事当局は一番憂慮しているものと思われます。もっとも、政治的発言を理由に処分すると、政治活動の自由との関係が出てきてややこしいので、今回は他の理由が表に出ているものと考えられます。
・現職の裁判官であることが明らかな立場において、確定していない事件に関して、どちらか一方を支持しているかのように思われる表現(原告を揶揄するような印象を与える)で、コメントをすべきではない。個人的又は一般的な問題についての意見表明とは区別される。昨年末に、刑事事件に関する同様のコメントについて、注意を受けたばかりであり、わずか半年の間に2回繰り返したことになるから、軽度の懲戒処分はやむを得ない。
裁判所側からの事情聴取において、行き過ぎた発言もあったと思われるが、それと本件懲戒処分とは異なる(極端な場合にはそれ自体が別の懲戒申立理由となろう)。今後ブログを閉鎖すれば同様の事件が生じる可能性がなくなるので、当局側が懲戒申立てを回避する前提でそのような行為を求めることは、やむを得ない面があるが、同時に、上司からの表現の自由に対する干渉という側面もあるので、難しい問題である。
・岡口裁判官のツイートを見ていると、同裁判官の政治的見解や個人的な好き嫌いを知ることができる。国民は裁判官を選べないのであるから、裁判の結果が出たときに、特にそれが不利なものであった場合、裁判官の個人的見解によって判断されたという印象を持つと思う。裁判官は、国民から見て、ニュートラルでなければならないと思う。今の岡口裁判官は、そのあたりの配慮が感じられず、堂々と、自分の見解が正しいと思って表現活動をしているように見受けられるので、ニュートラルに審理・判断しているのか疑われてもやむを得ないと思う。
<金谷達男弁護士>
・個人的には岡口判事のファンなので、裁判官としての今後の活躍を願っていますが、現職の裁判官である岡口判事がSNSで自身が所属する同じ東京高裁の実際の事件に言及することは、司法に対する国民の信頼の観点からやはり問題があると思います。
・ニュース等で見た限りなので何ともいえないところがあるが、裁判官のアカウントであると容易に分かる状況下で、裁判の当事者の気分を害することが分かりきっているツイートをするのはやはり問題だと思う。見聞きしている範囲で考えると、懲戒申立は妥当であるし、懲戒処分にも該当すると思う。ただ、見聞きしている範囲が限られているため、断言しにくい。
・このような懲戒申立を行う、我が国の司法の態度がすべてを物語っている。
裁判官も国民の一人である。当然、人権の享有主体であり、表現の自由も保障される。しかし、無制限ではなく、公共の福祉の制約を受ける。その制限根拠は裁判官の、職務の中立性、独立性等ということであろう。法曹であればここまでに異論はない
今回の件はあくまできっかけであり、それ以前から関係人の間の根回しが行われているに違いない。仮にそうであれば結果は既に決まっている。関心事はそこに至るまでに裁判所内部で何があったのか。
・岡口裁判官としては記事の要約をツイッターに投稿しただけ、当事者としては自分が非難されていると感じたという事案の概略だと理解している。
裁判官の投稿自体からは、裁判官自身の意見なのか引用先の表現なのか明確にされておらず(他の投稿もほとんどそのような形式で、私自身も、裁判官の投稿を見たことがあり、引用先に飛んで初めて引用先の要約であることを理解したことがある)、投稿を見た当事者や一般人からすれば、裁判官がもとの飼い主を非難していると受け取っても仕方がない投稿態様だと感じる。裁判官の投稿を日ごろから見ている人にとっては、引用先の表現を書いただけと思うかもしれないが、投稿を見るのはそのような人だけではないことは当然。
裁判官であることが分かるような形で、しかも終結した個別の事件についての発信としては、配慮が欠けているとしか思えない。ツイッターの全面使用禁止までは行き過ぎだと思うが、投稿それ自体は懲戒の対象になっても違和感はないし、表現の自由が侵害されているとは思えない。
<山田昌典弁護士>
・奇抜性やエキセントリックさがクローズアップされることの多い岡口氏だが、裁判官としての岡口氏は、奇抜でもエキセントリックでもない。
私が代理人をつとめた訴訟において、岡口裁判官が担当することが何度かあったが、事件の詳細は頭に入っており、事前準備や記録の読み込みをきちんと行っている印象であった。
和解をまとめる際も手際がよく、訴訟指揮も強引すぎず適度であった。
懲戒申立について直接コメントすることは避けるが、事案の詳細を頭に入れていない、準備書面をあまり読んでいない裁判官が相当数見受けられる中で、岡口裁判官の仕事ぶりについて正当な評価がなされていないように思えたので、仕事人としての岡口裁判官について、ここに述べる。
なお、私は58期だが、私も、司法修習中に、裁判所の閉塞感や窮屈さを感じたことを付言する。
<小林玲生起弁護士>
・出る杭は打ってやろう、裁判官はおとなしく上(最高裁、事務局)の判断に従っていればいいんだ、という裁判所の重々しい空気が伝わってくるような事件である。最高裁に「懲戒不相当」という適切な判断をさせるか否かで、この先30年の司法の未来が決まってくるような出来事だと思われる。在野法曹としては、最高裁が不当な判断をしないようしっかりと監視し、意見表明していきたい。
<高山昇弁護士>
・岡口裁判官の発信は貴重であり、妥当であり、いろいろと考えさせたりするものである。自由な発言をすることや権威にあらがうことなどに、圧力がかけられている現状の中で、広く発信し続けているので、貴重なものであり、守られなければならないと思います。
<村木一郎弁護士>
・不当な裁判官統制の一環です。
<海渡雄一弁護士>
・表現の自由が保障された裁判官でなければ市民の人権を保障することはできない
ツイッターのつかみの片言をとらえて懲戒するのはおかしい
私も岡口さんのツイッターを愛読している読者の一人です。
今回問題とされている岡口さんの行為は裁判官としての活動ではなく、一市民としての表現行為にほかなりません。ある事件における原告の主張と被告の主張をわかりやすく紹介し、判決の予告編となっていると思います。リンクをみれば、判決の結果では犬の所有者の主張が認められたこともわかる仕掛けとなっています。
このツイッターの意義は、市民の身近な法的な話題から、裁判についての興味を持ってもらおうという趣旨であり、当事者の名前が書いてあるわけでもなく、どちらか一方の感情を害する意図もないと思います。
このような些細なツイッターを理由に、裁判官の分限裁判が開かれるということに、とても驚きます。
裁判官の市民的自由が裁かれた寺西裁判官事件
過去に、裁判官の市民的な自由の範囲について最高裁判所大法廷の判断が示されたことがあります。1998年12月1日付の決定で、いわゆる寺西和史裁判官事件の決定です。私は、この裁判で、寺西裁判官の代理人を務めた一人です。仙台高裁の懲戒処分決定に対する同裁判官の抗告を棄却した決定ですが、この決定には5名の裁判官の反対意見が付されていました。
多数意見は、その基本的な考え方として「裁判官は、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべき」と述べ、盗聴法に反対する集会でパネルディスカッションに出席する予定だったが、所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので、出席は取りやめるとした寺西裁判官の発言をとらえて懲戒処分を相当としました。しかしながらこれは、憲法や国連決議、それに国際人権法が保障した裁判官の独立と表現の自由を真っ向から踏みにじった決定と言わなければなりません。
多数意見は、寺西裁判官の言動を批判し、「本件集会の目的である本件法案を廃案に追い込むための運動を支援しこれを推進する役割を果たしたものであることは、客観的に見て明らかである」と判断しています。
私は、当時盗聴法の制定に反対する市民活動に参加していました。寺西裁判官は、裁判所の令状審査が形骸化していることを指摘する新聞投書を明らかにしていました。
裁判官には憲法を尊重し擁護する義務があり、基本的人権の保障を忠実に実行することが求められています。その裁判官が人権擁護の立場から自らの体験を踏まえ、裁判の実情を市民に説明し、立法問題について法律家としての見解を明らかにすることは当然の行為であり、市民にはそれを知る権利があります。多数意見はこのような裁判官の権利と義務を、「組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為」と決めつけ、懲戒処分の対象としたのでした。
裁判官の市民的自由について論じた5名の少数意見
他方で、この決定において特に評価すべきことは、15名の裁判官の内5名が反対意見を明らかにした点でした。反対意見の理由は多岐にわたりますが、いずれも私たちが本件で主張してきたことを是認するものであり、裁判官と司法のあり方を考える上で極めて貴重なものです。岡口さんの懲戒の相当性を考えるときに、この少数意見は今一度読み直されるべきです。
例えば、園部逸夫裁判官は「裁判官が在任中積極的に政治運動をしたことが認められる場合でも、そのことのみを理由として、当該裁判官を懲戒処分に付することはできないと考えるものである」と判断を示しています。裁判官の表現の自由について、河合伸一裁判官は「憲法の保障する思想・信条の自由及びこれに伴う表現の自由は、政治について自己の見解や意見を持ち、それを表明する自由を含むものであり、裁判官も、国民の一人として、基本的にこれらの自由を有することは多言するまでもない」「現代の複雑かつ変化を続ける社会においてこれを適切に行うためには、単に法律や先例の文面を追うのみでは足りないのであって、裁判官は、裁判所の外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備える努力を続けなくてはならない」と述べています。
このような市民的裁判官像は、ヨーロッパやアメリカだけでなく、最近はインド・韓国や台湾などアジア地域にも広がりつつある考え方です。
また、遠藤光男裁判官は「積極的な政治運動」について、「裁判所法は、新憲法の精神にかんがみ、裁判官が政党の党員または政治結社の社員となることを容認しているばかりでなく、裁判官が社会通念的にみて相当と認められる範囲内の通常の政治運動をすることを認めているものと理解することができる」との正当な判断を示し、寺西裁判官の言動により、「裁判官としての独立性及び前記外見上の中立性・公正性が著しく損なわれるに至ったと断定することはできない」と述べていました。
さらに、尾崎行信裁判官は本件の審理が寺西裁判官本人の陳述を聞かずに非公開で行われたことに関して、「裁判所は公開裁判、口頭主義、直接主義など近代司法の諸原則の下にこれを審理するべきであり、こうした審理、判断であってこそ社会一般も当事者本人も納得させることができ、裁判所への信頼も高められるのであり、そうでない限り、当審の手続は違法たるを免れない」と審理のあり方そのものを厳しく批判しています。
元原利文裁判官は、「裁判所法は、裁判官が『政治運動』をすることの是非については、裁判官個人の職業的倫理観や良識に委ね、これが『積極的』と評価し得る程度にまで及んだときに、初めて懲戒の対象となる行為をしたものと理解できる」が、寺西裁判官の言動は「反対運動を支援し、これを推進する役割を果たしたというのは、過大な評価である」と常識にかなった判断を示しています。
裁判官には公的な討論に加わる自由がある
この決定の意見の対立を見ると多数意見10名は裁判官や検察官・外交官など官僚社会の中だけの経験しかない裁判官たちの判断であるのに対し、反対意見が弁護士と学者出身者によって個性豊かに展開されていることは裁判官のあり方を考える上で極めて興味深いことでした。
ヨーロッパ人権裁判所においては、裁判官に公的な討論に加わる自由があることが自明の前提とされており、その裁判官が当該事件を担当する可能性のある場合に、現に継続中の具体的事件に関して意見表明したような場合には懲戒されることがあるとしても、そのような場合でなければ、広く裁判官の市民的な自由が保障されるべきであるとされています。
自由で豊かな市民生活を経験しない官僚的裁判官は、裁判の内容そのものの公正さよりもその外形や公正らしさに執着し、誤った判断をしがちです。岡口さんが警告されるように、このような傾向が強まる中で、自由に自己の信念を軽妙にツイッターで語る岡口裁判官は、確かに異色ではありますが、岡口さんの活動は、一人の市民として許される範囲を決して超えていないといえます。むしろ、同じような意見表明を多くの裁判官が何者も恐れず展開できる姿が強い司法を生み出すといえます。
裁判官が、憲法と良心だけに従って独立して裁判を行えることと自らの信ずることを自由に発言できることとは表裏の関係にあります。
もし、岡口さんに対する分限裁判でこのような些細な表現行為に対して、懲戒が認められれば、ただでさえ、自由に発言することのなくなっている日本の裁判官が、ますます口を閉ざし、市民とはかけ離れた閉鎖的な環境の中に閉塞してしまうことを恐れます。
自らの市民的自由が保障されている環境でなければ、裁判官が市民の人権を保障する判決を書くことも困難です。裁判官が、臆することなく、憲法と良心だけに従って真に独立して裁判を行えることと、自らの信ずることを自由に発言できることとは、実は表裏の関係にあるのです。
最高裁は、このような分限裁判を認めてはなりません。一人一人の最高裁判事が、裁判とは何か、裁判官は誰のためにどのような仕事をするべき存在なのかを考え、岡口裁判官に対する懲戒を思いとどまるべきであることを強く訴えます。
<櫻井光政弁護士>
・今回の懲戒申立は不適切なものだと考えます。今回岡口裁判官が行った判決の紹介は、当事者の氏名を特定するものでもありませんから、当事者のプライバシーが侵されたわけでもありません。自ら訴訟を提起して勝訴した原告が、その裁判の紹介のされかたに気分を害したからといって、裁判を紹介した裁判官を懲戒する理由には到底なりえないと考えます。裁判所が市民の声に耳を傾けること自体は悪いことではありませんが、感情を害した、気分を害したなどという、非理性的な非難を理由に、憲法上の身分保障がなされている裁判官に対して安易な懲戒がなされることはあってはならないことだと考えます。
<山村邦夫弁護士>
・裁判所による裁判官に対する統制に利用されていると思わざるを得ない。
<西村駿弁護士>
・今回の裁判は、「政治的」な問題になってしまっている。最高裁判所の「政治化」だけは見たくない。適正な手続を前提に、要件充足性について、慎重な審理がなされることを期待したい。「裁判官の独立」の行方を今後も見守る。
<福本昌教弁護士>
・裁判官といえども当然ながら表現の自由を有するところ、本申立ては、裁判官個人の表現の自由を萎縮させるものであり、その表現の内容にも鑑みると申立自体妥当ではない。
<玉真聡志弁護士>
・寺西判事補事件の頃よりも、裁判所内部で過剰な内部統制が敷かれているように感じます。
<脇島正弁護士>
・当事者への配慮をした上でツイートすることは何も問題がないはずであり、とにかくツイッターへの書き込みをやめろとする高裁の姿勢は、人権侵害も甚だしい。裁判官がおよそ常識的な通常人であることを世間に示すためにも、裁判所の建物の中にこもるのではなく、外に発信していくことが国民の信頼を得ることにもなると思う。
<西島和弁護士>
・裁判所の一連の「対応」は、裁判官の市民的自由を不当に侵害し、裁判官が自由に職業的良心を発揮することを阻害するおそれの強いものだと思います。少数者の人権・自由は裁判官が政治権力におもねらず、職業的良心を自由に発揮することによってこそ守られるということを考えると、今回の「対応」はすべての市民にとっての脅威ともいえると思います。かつて自転車通勤するドイツの裁判官と比較され、日本の裁判官がこれみよがしに自転車通勤を始めたことがありましたが、やっぱり日本の裁判所は裁判官の市民的自由を認めたくないのだなと思わされます。
スポーツ界などのパワハラが話題になっていますが、「もの言う」岡口さんにすらパワハラをする裁判所の実態をみると、裁判所には告発されていないパワハラが相当あるのではないか。あるいはパワハラ等をおそれてすでに閉塞しきった組織になりつつあるのではないか。パワハラが告発される団体は裁判所よりは健全なのではないか、と考えてしまいます。
<濵門俊也弁護士>
・この報道に接した際、やはり裁判所もパワハラの巣窟であったかと率直に恐怖を感じました。これは明らかに当局の勇み足であり、まったく義はありません。岡口裁判官には書籍を通じてお世話になっており、恩義も感じている方ですので、弁護団には是非とも頑張っていただきたいとエールを送ります。
本件においては、岡口裁判官を過去の厳重注意処分等を理由に処分することも危惧しております。もし、岡口裁判官をそのような理由で処分するのであれば、本件懲戒申立書の「申立ての理由」に記載されている事実(「傷つけた」などの事実だけでは防御のしようがありません)以外の理由・事情について処分することとなり、実質的に余罪をもって処分することとなります。
これが、不告不理の原則や適正手続に違反することはもとより、そもそも証拠裁判主義に反することはいうまでもありません。
<白木麗弥弁護士>
・実質的に思想について介入していると思わざるを得ない。分限裁判をこのような目的で使えば裁判官のさらなる思想統制につながるのではと懸念している。
<川村明伸弁護士>
・第三者ではなく、表現の対象者からクレームが来たのだから多少神経質になるのはわかります。しかし、懲戒申立はやりすぎです。岡口さんの投稿は文脈からして、当事者を蔑むものには読めません。一般市民の感覚からしたら当然のことを表現しているだけと思います。あれを問題とするのは言葉狩りのレベルです。当事者の気分を害したのなら、本人が謝ればそれで十分です。それ以上のものではないはずです。東京高裁としては自分たちで当事者からのクレームをもみ消したと当事者に思われたくないのでしょうか。それとも、最高裁に「こんなもんは別段問題ない(=懲戒しないとの結論)」というお墨付きをもらうための深謀遠慮なのでしょうか。深謀遠慮でないとするなら、東京高裁は外からどう見えるかを気にしすぎです。裁判官だとあの程度の表現も許されないのでしょうか。裁判官だから許されないというのなら、それはどういう理由なのでしょうか。各裁判が公正に行われることと裁判官の普段の素行がとても行儀がよいことに関係はないはずです。もちろん、普段の素行が悪い裁判官に裁かれたときに当事者の納得感に問題は生じ得るでしょうが、どちらかと言えば、裁判官は常識がないという批判の方が耳にする気がします。であれば、むしろ一般人に近い行動の裁判官の方が市民に求められていると思います。ツイッターで表現をすることは、今時の市民です。一般人基準では岡口さんの表現が問題とされないような気がします。仮に、最高裁が岡口さんを懲戒する場合、どういう理由で懲戒するのか、納得いく中身にできるでしょうかね。
<南川麻由子弁護士>
・岡口さんのtwitterの投稿の一部には、人を不愉快にさせうるものや、ご自身の見解を述べていると誤解を招く形で記事等を引用するものもあり、そういった投稿を不快に思う人から批判がなされることがあるのはやむを得ないと思います。しかし、今回問題となった投稿も含め、これまでのツィートには他人の権利を侵害するような内容のものは見られず、その範囲内で自由に発信すること自体は表現の自由として尊重されるべきです。淘汰されるとしたら、批判や対論といった言論によって行われるべきです。それが民主主義の根幹だと思います。
雇用主である裁判所が、従業員たる裁判官の言論を統制するために分限裁判制度を濫用することはあってはならないと思います。
<巨瀬慧人弁護士>
・分限事件の手続費用は国庫負担(裁判官分限法9条)。この件は、税金の無駄遣いだと思われてなりません。東京高裁には、申立ての取下げをお願いしたいです。
<白川秀之弁護士>
・表現の自由は、憲法によってすべての国民に保障されたものであり、裁判官にあっても例外ではありません。
裁判官も、社会の出来事に関心をもち、国民各層との間に交流を深めることができなければ、国民に納得を得られるような、より高い質の裁判を目指すことはできません。
今回のような懲戒申立は、裁判官を社会から孤立したものとさせてしまいかねないもので、許されないと思います。
<原口圭介弁護士>
・闘うことは、疲れるでしょうが、お体に気を付けて頑張ってほしいと思います。私も裁判所の閉鎖性が好きになれません。岡口さんのツイッターは大変勉強になっていました。その再開を楽しみにしています。
<高谷武良弁護士>
・懲戒申立自体がパワハラ
<山岡靖典弁護士>
・感情論で裁判官の立場を攻撃することは、許されるべきではない。裁判官の発言が気に障るのであれば、自らも同じ手段、すなわちtwitterで反論すべきであろう。懲戒申し立てや分限裁判で、その主張が受け入れられないことは明らかであり、当事者の行動は、理性的でないし、不毛な議論に終わるだろうと言わざるを得ない。
<大和幸四郎弁護士>
・やりすぎ。
<山辺哲識弁護士>
・問題のあるツイートがあるならツイート単体を追及すればよく、ツイッター自体をやめろというのは業務上の処置として過大に過ぎる。本懲戒が認められれば裁判官はSNSの利用を控える方向に動き、万が一裁判所による裁判官に対する差別や圧力があっても、裁判官個人による発信に支障が生じるおそれがある。
<吉田孝夫弁護士>
・懲戒処分がなされた場合、憲法76条3項が空文であることを世界に宣言したも同然
※(下)「処分不当(匿名)」に続く→https://www.bengo4.com/other/n_8508/