顔を見れば、その人が苦労をしてきたかどうかが分かるという話がある。俗に「男の顔は履歴書」なんて言われているやつだ。僕は前々からこの説を信用していない。だって僕の周囲の苦労している人を見ても、その顔立ちだけで苦労の経緯なんか判断できないからだ。
先日2ちゃんねるに「苦労をしない方がいいけど、でも苦労した人としてない人って見た目で識別出来るよな」というスレッドが立っていた。このスレッドタイトル自体が、既にどうにも腑に落ちない。(文:松本ミゾレ)
親の遺産で生活しているのに舘ひろしみたいなシブいルックスの知人
顔立ちだけで判別できることなんて、僕には2つしか思い浮かばない。それは顔の美醜と、性格の悪さだ。性格の悪そうな顔をしている人間で清らかな心を持っていた人間というのは、僕は見たことがない。
大抵陰湿な顔をしている人間は、中身もろくでもない。まあ性格が悪そうな顔をしている人というのは、長年周囲からそういう目で見られてしまうので、そのうちに屈折して本当にそういう性質になるんだろう。
しかし、顔を見るだけでその人が苦労してきたかどうか。そんなことが本当に判別できるなら便利なものだけど、僕の周囲にはそういった見分けのつく人間はいない。
親の遺産を食い潰して生きている知人がいるけど、顔は舘ひろし似の、一見シブいルックスだし、白髪混じりでまさに苦労人みたいな見た目をしている。
一方で、借金の保証人にさせられた挙句に逃げられた女性もまた知り合いにいるが、こちらはふくよかで笑顔がよく似合う、とても苦労人には見えないルックスをしている。こういう事例を実際に見てしまっているので、顔で苦労しているかどうかを判別することがいかに無意味かを知ってしまっているわけだ。
「見た目というか、人当たりでわかる」という説も
で、実際このスレッドに目を通してみたんだけど、やっぱり僕と同じような考えの意見もチラホラある。その上で、顔ではない部分で相手が苦労をしているかどうか判断しているという声は多かった。こういった意見をいくつか紹介していきたい。
「見た目というか、人当たりでわかる」
「しゃべらせればわかる」
「苦労してる人はちょっとしたことでは驚かない。苦労してないやつはすぐびびる」
と、顔で苦労の有無を判断するのは確度に欠けるとした意見はいくつもあった。
大体、顔の作りだの深みだので苦労してきたかどうかを判断するなんて、そもそもおかしな話なのだ。じゃあ老け顔の両親から生まれた老け顔の子供はどうなんだっていう話になってしまうし。
「顔は履歴書だよ」みたいなことを言っている人って、その人が本当にどれだけ苦労したかを100%理解して言っているならさておき、大抵そうじゃない。顔が履歴書であるというキャッチーなワードに当てはめて適当言っているだけなのだ。
どうしても見た目で苦労人か判定したいなら、むしろ顔よりも手の方が適しているんじゃないだろうか。職人や肉体労働者の仕事の痕跡は顔より手に出るし。
そもそも他人が苦労してきたかどうかなんて、自分にとって全く重要ではない話なのである。なんでみんな、自分以外の誰かが苦労してきたかどうかにこだわっているんだろう。自分の人生に他人の苦労なんか全く関わりないことなのに。