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永野芽郁は2000年代をどう駆け抜けたか? 『半分、青い。』鈴愛が過ごした10余年を振り返る

2018年09月05日 08:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 主人公・鈴愛(永野芽郁)に焦点を当てて、『半分、青い。』(NHK総合)をざっくり分けると、1971年~1990年の3月にかけては彼女の幼少期から始まる岐阜での生活を描き、おおよそ1990年代は主として秋風塾での漫画家人生にスポットを当てたものとなった。9月3日放送の第133話では、律(佐藤健)がアメリカから帰国した後の、2010年からスタートし、2000年代は終わったことになっている。さて、ここまでのいわゆるゼロ年代の10年間(厳密には、鈴愛が秋風塾を去ったのは1999年のこと)は、鈴愛にとってどんな時代であったと総括できるだろうか。


 90年代の鈴愛は、裕子(清野菜名)たちの思いに寄り添うことはあっても、基本的には自分自身の夢のことで精一杯なところが大きかった。もちろん40歳近くになっても、相変わらず鈴愛の人間的な面では、横紙破りで、奔放すぎるところがあるのは否めないという指摘もあるだろう。ただ、その後の時代は漫画家時代とは違って、できる限り人のために汗を流そうという意志が、要所要所で見えた。


 例えば、涼次(間宮祥太朗)との結婚生活でのこと。映画の世界で頑張っていきたいと強く思う涼次に対して、鈴愛はそんな彼を支えたいと決心した。その後の2人の結婚生活はご存知の通り、残念な結果で終わってしまったものの、花野(山崎莉里那)というかけがえのない存在は手放さずに済んだ。


 そうして、来る2008年、故郷に戻った鈴愛はしばらく岐阜での生活を続けたのち、五平餅を提供する飲食店の開店を決意する。そこでは、仙吉(中村雅俊)の五平餅の味を伝えていくことも目的の1つにあったわけだが、もう1つ、カフェ開店とほぼ同じくして生み出したものに、“岐阜犬”が挙げられる。その岐阜犬は、健康状態が日に日に悪くなっていく和子(原田知世)にやりがいのあることを提供したという意味で、晩年の和子にとって大きな意味のあることだった。


 そして、岐阜での重要な鈴愛の決心がもう1つ。鈴愛は花野が割と本気でフィギュアスケートに憧れを持っていることを知ることになった。少なくとも、岐阜の実家から気軽に通えるような所には練習場所はないわけだし、ましてやフィギュアスケートを始めるとなればお金だってかかる。それでも、鈴愛はどうにかして花野に練習をさせてあげられないかと思案する。鈴愛の“諦めの悪さ”は良くも悪くもこんな機会に発揮されるのだ。自分が津曲(有田哲平)のもとで働くことも兼ねて、再上京を決意し、都内で花野にスケートをさせられるようにした鈴愛であった。


 とはいえ、再上京後の鈴愛の仕事ははじめは上手くいっていたものの、その後はほとんど商品がヒットすることはなく、都内で五平餅の売り子を始めることになってしまった……。


 こうしてゼロ年代を勢いよく駆け抜けていった鈴愛であったが、涼次や和子、花野といった風に、その時々で、少しでも自分以外の誰かのために頑張ろうとしてきた。必ずしも100%“人のため”であるかと言えばそうではなく、鈴愛の個人的な自己実現欲求もそこには含まれているかもしれない。自分の会社を突然興したいと思いたったり、まだまだ彼女は昔と変わらないバイタリティーを持っていたりする。そんな鈴愛の一面は確かに周りをびっくりさせ、時に辟易とさせてしまうこともある。ただ、評論家によっては未だに“失われた”なんて言葉が使われ、どこか閉塞感が残ったゼロ年代であっても、自分なりに潜り抜けてきた鈴愛。そんな彼女が“一大発明”をどのように成し遂げて、視聴者を“ふぎょぎょ!”と言わしめるのかが、残り1ヶ月の見どころとなりそうだ。


(文=國重駿平)