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さくらももこは“大小を行き来する”視点の持ち主だった 笑いでこわばりをほぐす名作群を振り返る

2018年09月03日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 8月15日に原作者さくらももこが乳がんのため死去したことが明らかにされたのに伴い、アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)の9月2日の放送内容が変更された。1990年1月7日に放送されたアニメ第1話のリメイクで、原作25周年記念として2011年10月に放送された「まる子、きょうだいげんかをする」(原作第3巻その17)を再放送したのである。アニメは、原作の順番通りに作られたわけではなかったということだ。


 では、マンガのほうはどんなふうに始まったのか。『ちびまる子ちゃん』第1巻をめくってみると、話のその1は学校帰りの道に変なモノを売る人がいる「おっちゃんのまほうカード」だった。1965年生まれである作者の子ども時代をモデルにして、小学校3年女子の日常を描いた国民的人気マンガは、そうしてスタートした。


 今読み直してみて興味深いのは、第1巻その2「宿題をためたまる子ちゃん」だ。夏休みの終わりにまる子は友だちや家族の手を借りて、ためていた宿題をなんとかかんとかやっつける。そんなまる子に周囲がツッコミを入れつつ進むドタバタ劇に、大人に成長した作者なのか天の声なのか、さらに上の目線からツッコミを入れる文章が挿入され(アニメ版ならキートン山田のナレーションで表現される部分)、笑いをとる作りになっていた。


 一方、さくらももこの『ちびまる子ちゃん』に次ぐ代表作といえば、メルヘンの国に不思議な生き物たちが暮らしている『コジコジ』だ。このマンガの第1巻第1話「コジコジはコジコジ」は、主人公の宇宙生命体コジコジが、学校でちっとも勉強しないことがネタになっていた。先生に注意されても「えっ 悪いの? 遊んで食べて寝てちゃダメ?」と真顔で返す。そして、将来なにになりたいか問われると、「コジコジだよ コジコジは生まれた時からずーっと将来もコジコジはコジコジだよ」と、なにやら哲学的に深そうな答えをして先生を沈黙させ、同級生を感動させる。


 普通の日常を生きるまる子の場合、勉強をしないのは悪いことだという意識がある。先生に注意されたくないだけでなく、同級生に笑われたくないという見栄もあるから、ズルをして夏休みの宿題を完成させるなど、なにかととりつくろおうとする。まる子には、自分を本当の自分以上に見せようと背伸びするところがあるのだ。それに対し、メルヘンの国にいるコジコジは、周囲の空気を読もうとしない。他人の目を気にせず、自分の思うままに行動する。そのズレぐあいが、笑いを呼ぶ。


 小心者のお人好し感がベースにある『ちびまる子ちゃん』と、善悪にとらわれずちょっとサイコパス的な暗黒面まで感じさせる『コジコジ』は作品の傾向として裏表であり、対になっている。どちらも、まる子、コジコジといったキャラクターが周囲とどのような関係にあるのか、俯瞰した視点から語ることで面白みが生まれている。


 さくらももこはマンガだけでなく、エッセイや作詞など多方面で活躍したが、彼女の創作では視点のおきかた、動かしかたが大きな役割を果たしていた。例えば、子ども時代を回想したエッセイ集『まる子だった』に収録された「大地震の噂」。そこでは、東海沖地震への不安でクラス全員が憂鬱になったことが語られる。大人になってからも心配はなくならず、どうかやたらと壊さないでくださいと地球にお願いし、いや、お願いするなら地球を壊す兵器をたくさん持っている人間のほうがちゃんとせねば、などと話が大きくなっていく。なのに、今の一番の心配は、飼っているカメが下痢気味で尻が汚いことだと落とす。大局的な視点に立ったかと思うと、ちまちました日常の視点にいきなり戻る。それが、おかしい。


 作者の視点の変化という意味では、『ちびまる子ちゃん』を連載し、アニメ化された後に子どもを生んだという変化もあった。先に触れた『まる子だった』収録の「休みたがり屋」では、作者がどれだけズル休みをしたがる子だったかが綴られていたのに対し、後のエッセイ集『さくら日和』の「ズル休みをしたがる息子」では、「そんなにズル休みばっかりしてると、警察に捕まって牢屋に入れられちゃうよ」と、過去に母に言われたセリフを今度は自分が息子に言っていることが書かれていた。自分の子ども時代を回想する視点と、母として子どもを見る視点とが二重になることを、作者自身も楽しんでいる文章だった。実生活の変化に応じて、さくらの視点も豊かになっていったのである。


 そういえば、彼女は、自身の妊娠出産を扱ったエッセイ集に『そういうふうにできている』というタイトルを付けていた。「コジコジはコジコジだよ」のセリフに通じるフレーズである。ふり返れば、他には変わりようがないほど『そういうふうにできている』まる子、コジコジをはじめとする個々のキャラクターに様々な視点からツッコミを入れ、笑いでこわばりをほぐすのが、さくらももこだった。自分を素材にしたエッセイでもそうだった。だからこそ、自分が自分でしかなく、こういうふうにできている私たちに彼女の作風は響いたのだと思う。(文=円堂都司昭)