2018年08月30日 15:52 弁護士ドットコム
2015年11月に致死性不整脈で亡くなった、服飾雑貨などを製造するエスジー・コーポレーション(東京都墨田区)の男性社員(当時40)について、向島労働基準監督署が過労死と認定していたことが8月30日、遺族によって発表された。認定は2017年8月10日付。
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遺族はこの日、会社と社長に対し、業務時間を適切に把握していなかったなどとして、約8000万円を求め、東京地裁に提訴した。
労基署が認定した男性の残業時間は、亡くなる直前1カ月が87時間55分。2~6カ月前のいずれの期間でも過労死ラインを超える平均80時間超の残業が認められた。
男性は服飾ブランドSLY、MOUSSYなどのバッグ、アクセサリーの製造に関わり、サンプル製造や中国の外注先工場との交渉・製造管理などを担当していた。
男性の妻によると、納期が厳しく、外注先工場の不良品やミスへの対応などにも追われ、日付が変わる前後まで働くことが珍しくなかったという。
この事件で特徴的なのは、会社が遺族に渡した男性の労働記録が、実態とかけ離れていたことだ。会社側の資料によると、男性の退勤時間は亡くなる約1カ月前でも、毎日19時か19時半となっていた。始業時刻については記録すらなかった。
遺族側の代理人弁護士によると、会社にはタイムカードもなく、社員が手書きで労働時間を自己申告していたという。
会社側が詳細な資料の提出を渋ったため、代理人は、裁判所を通じた証拠保全で、男性の会社PCの記録などを入手。深夜・休日に送信されたメールや作成された文書ファイルなどの記録から、労働時間を推計し、労災認定にこぎつけた。
会社側は労災認定後、示談の申し入れにも応じず、長時間労働の事実を認めなかったといい、提訴に至った。
男性には妻と3人の娘がいた。厚労省記者クラブでの記者会見には、海外在住の長女を除く3人が出席した。
妻(58)は「すぐに過労死だと確信しました。しかし、何も手元に証明するものなく、会社に協力してもらうしかなかったのに、協力してもらえなかった」。
高校1年生の三女(16)は、日曜の夜を除いては、学校や部活で朝が早く、男性とは顔を合わせる時間がほとんどなかったとコメント。「父に怒られたのが最後だったと思う。それ以降、話すことはなかった」と突然の別れを思い出し、声を詰まらせた。
風呂場で倒れている父を発見したという次女(24)は、「私がもっと早く見つけていればと自分を責めた時期が長かった」という。
「父は毎晩、遅くに帰ってきて、あまり会話する時間がなかった。家にいても会社の携帯を握りしめていろんな人と連絡を取り合ってて、休日でも会社に出かけることが多かった」(次女)
会社側は、遺族への対応の経緯も含め「現時点では回答できない」としている。
(弁護士ドットコムニュース)