2018年、ホンダF1はトロロッソと組んで新しいスタートを切った。新プロジェクトの成功のカギを握る期待の新人ピエール・ガスリーのグランプリウイークエンドに密着し、ガスリーとトロロッソ・ホンダの戦いの舞台裏を伝える。
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F1第13戦ベルギーGPのピエール・ガスリーは、一躍時の人になっていた。夏休みに入ってすぐ、突然の離脱を発表したダニエル・リカルドに代わって、レッドブルへの昇格が正式に決まったからである。その間の経緯を本人はこう語っていた。
「バカンスで南フランスで友人たちと、のんびりしてたんだ。でもダニエルの後任になることはもちろん期待していた。その前にギリシャに滞在してたときにすでにヘルムート(マルコ博士、レッドブルドライバーの人事を一手に握る)から、『ダニエルがルノーに行く。後任を、今決めてるところだ』と聞かされてたからね」
「ヘルムートは続けて、『でも心配しないで、ゆっくりバカンスを楽しむんだな』と言ってくれたんで、かなり期待はしてた。それで『決まったらすぐに知らせてね』と、ヘルムートの秘書に頼んでおいたんだ」
ところがガスリーは、バカンス中に携帯電話を海水に浸けて壊してしまい、言付けた電話番号には繋がらない状態になっていた。
「それでいっしょにいた友達の携帯を借りて、そっちに連絡してねと言ったんだけど、うまく伝わらなかったみたい」
そのためレッドブル昇格の吉報がガスリーの元に届いたのは、あちこちたらい回しにされてからのことになった。
「でも予想してたとはいえ、正式に決まったらやっぱりメチャクチャうれしかったよ。その知らせを聞いた時は、実は下着姿だったんだけど、家の中を走り回って友だちにニュースを知らせた。そしたらみんなが、次々にプールに飛び込み始めてね。それで僕もすぐに飛び込んで、みんなの祝福を受けたんだ」
少し落ち着いてからガスリーは、別の場所でバカンスを過ごしていた両親に吉報を伝えた。
「知らせを聞いたのは、ピエールの3分後だったわ。電話をくれた時に、そう言ってたから」と、母親のパスカルは語った。父親のジャンジャックは、「電話の周りで友人たちが狂喜乱舞してて、うるさいったらなかったよ」と笑う。
■7月時点では2019年のレッドブル昇格に全く期待していたかったガスリー家
ふたりももちろん息子のレッドブル入りを期待していたが、つい最近まではほとんどその可能性はないと思っていたという。その間の事情を、パスカルはこう話してくれた。
「7月のシルバーストンで他のドライバーたちと一緒にダニエルとも夕食を食べたんだけど、その時の感じでは全然残りそうな雰囲気だったの。2019年の話をしたりね。だからピエールもその時は、『そしたらもう1年、トロロッソで走るだけだし』って言っていたくらい」
それが急転直下、ガスリーはわずか1年ちょっとトロロッソに在籍しただけで、レッドブルへと出世することになった。
「これはほとんど、セバスチャン・ベッテルに並ぶ記録なんですよ」と言うと、「もちろん知ってるよ」とジャンジャック。
「さらに言うなら、これまでトロロッソには(セバスチャン・)ブルデーとか(ジャン・エリック・)ベルニュとか、少なからぬフランス人が在籍したけど、レッドブルまでたどり着けたのはピエールが最初だからね。そしてレッドブルに限らず、F1のトップチームに久々にやって来たフランス人ドライバーということにもなる」
最後にフランス人がF1で勝ったのは、1996年のモナコGPでのオリビエ・パニスまで遡る。もう22年も前のことだ。はたしてガスリーがパニス以来の、フランス人勝者になるのか。
「そうならない理由は、今のところ全然見当たらないね」と、両親は息子に全幅の信頼を置いているのだった。