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さくらももこさん死去にくらたま哀悼コメント 「デビュー作衝撃だった」 「本当に少女漫画史を変えた方だと思います」

2018年08月28日 13:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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『ちびまる子ちゃん』などで知られる漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんで亡くなった。53歳だった。各界からは早すぎる死を悼む声が相次いでいるが、27日放送の「バラいろダンディ」(TOKYO MX)でも、漫画家の倉田真由美さんが「少女漫画史を変えた人」と哀悼のコメントを贈っている。(文:okei)

「すごい漫画が出てきたなって子供ながらに思った」


倉田さんは、『りぼん』で、さくらさんのデビュー作をリアルタイムで読んでいたという。

「衝撃的だったんですよね。それまでの可愛らしい絵柄の少女漫画という枠を全然超えている。 本当にデビュー作から大笑いさせてくれるぐらいの力があったんですよ」

と当時の驚きを語った。

「すごい漫画が出てきたなって子供ながらに思ったし、それでみるみるちびまる子ちゃんで人気を博しているわけですけど」として、「本当に少女漫画史を変えた方だと思います」と賛辞とともに哀悼の意を示した。

さくらさんは1965年清水市(現静岡市)生まれ。84年に少女漫画雑誌『りぼんオリジナル』(集英社)から、「教えてやるんだ ありがたく思え!」でデビューしている。タイトルをみれば分かるように、学校の先生あるあるエピソードを面白おかしく漫画にした作品だ。

実は筆者もリアルタイムでこれを読んでいて、その時の衝撃をよく覚えている。切り口が鋭いのにイヤミが無く、大笑いできる漫画だった。エッセーや実録漫画が今ほど無い時代、こんな題材が漫画になるのか!というインパクトは相当なものだった。

安東アナは「エッセーは全部持っている」「本当にもう才能の塊」

2年後の86年に『りぼん』本誌で『ちびまる子ちゃん』の連載が開始、90年にフジテレビ系でアニメ化が始まると、作詞したテーマ曲「おどるポンポコリン」が社会現象になるほどの大ヒットとなった。91年には初エッセー『もものかんづめ』をはじめ、つづく『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の三部作は、それぞれミリオンセラーとなっている。

フリーアナウンサーの安東弘樹さんは、学年が2つ上の同世代であることを明かし、「僕にとっては自分の小学生のころの情景が浮かぶ、本当に授業内容や遠足とか本当に蘇ってくる」と、ちびまる子ちゃんの世界観を絶賛。奥さんがファンで、エッセーは全部持っているという。

「裏表がなく、表面的に繕うようなところがないようなエッセーなので。僕はたまに辛いことがあると読んで、それを忘れられるくらい。本当にもう才能の塊。日本の僕らの世代にとってはいろんなことを具現化してくれた漫画家さんでしたね」

と丁寧なコメントを贈り、その死を悼んだ。