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瀬々敬久のフィルモグラフィは連続性が見えてくる 『菊とギロチン』の“伸びやかさ”と“お祭り感”

2018年08月27日 14:42  リアルサウンド

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 瀬々(敬久)監督はメジャーとインディペンデントを常に横断している、現在の日本映画界の中でも特殊な1人です。前編後編にわたる大作『64-ロクヨン-』を手がけたかと思えば、その次の作品は低予算の『なりゆきな魂、』、続けて『最低。』、そしてまた大手配給会社の『8年越しの花嫁 奇跡の実話』と、こんなにも製作規模に振れ幅のある作風は、瀬々監督以外にいないと思います。だからこそ、勝手に瀬々監督は“バランスを取っている”のかなと思っていたんです。しかし今年5月に公開された『友罪』は、メジャーとインディペンデントを横断してきた瀬々監督だからこそ撮ることができた傑作だと感じました。どちらかではなく、どちらもを融合させる力がありました。


参考:すべての地獄を生きる者たちよ、シコを踏めーー小川紗良の『菊とギロチン 』評


 そんな『友罪』を観た後に、この『菊とギロチン』を観ましたが、開放感がある映画だなと感じました。不穏な時代の空気を壊したい、でもそれを壊したいと思うその動機は何だ?と突きつけてくる。製作スタイルなどから『ヘヴンズ ストーリー』と比較されることが多いと思いますが、『菊とギロチン』は『ヘヴンズ ストーリー』にはない、“伸びやかさ”と“お祭り感”があります。


 瀬々監督の映画の特徴のひとつとして、“フィクションの飛躍”という要素が挙げられます。例えば、『ヘヴンズ ストーリー』の村上淳さんが演じていた刑事。少年犯罪の加害者と被害者を描いた物語である以上、刑事が登場することに違和感はありません。でも、この刑事は殺し屋でもあるという設定なんです。限りないリアリティを突きつけてくる一方で、フィクションでしかありえない飛躍も導入してくる。それはかつて瀬々監督が手がけていたピンク映画でもそうでした。その飛躍はときに物語のバランスを崩しているような気がするのですが、映画の完成度よりも“バランスの悪さ”こそを望んでいるようなところがあるんです。


 いまの日本映画はいかにバランスよく、お行儀よく、誰もが分かるように作るかというところに重きが置かれています。そんな作り方と瀬々監督のインディペンデントで作られた映画は真逆なんです。過去作を振り返ると、『トーキョー×エロティカ』は、映画を作りながら出演した役者たちのオフショット、さらには家族にまでインタビューを行って、役ではない時間を映画の中に取り込むという非常に実験的な試みを行っていました。ピンク映画からキャリアをスタートさせた監督たちに共通する点なのですが、セックスを撮りたいというよりも、映画を作るためにここにいるしかないという強さがあるんです。メジャー映画を撮るようになってもその志を持っているというのは本当にすごいことだと思います。


 瀬々監督はこの『菊とギロチン』を30年間も構想していたそうです。元遊女や、夫の暴力に耐えかねて家出をした女性など、ワケあり娘が集う女相撲の一座「玉岩興行」と、アナキスト・グループ「ギロチン社」の若者たちが出会い、“格差のない平等な社会”を目指すが……というのが本作のあらすじです。舞台は約100年前の大正時代ですが、2018年の物語と言ってもいいほど、扱っている問題は現代的なものに仕上がっている。撮影・製作していた時期と公開時期はほとんどの映画には大きな差があります。それにも関わらず、いまこのタイミングでしか成立しない、作り手も想像しないような、時代と作品がマッチしていくんです。劇中の台詞は過去が舞台なのに「現在」が感じられるのです。


 主演の木竜麻生さんほか、東出昌大さん、韓英恵さん、寛一郎さんと役者たちがみな素晴らしいですが、その中でも日本映画界のバイプレイヤー、渋川清彦さんと川瀬陽太さん、篠原篤さんが相変わらずの存在感でした。篠原さんは頑固な夫役をやるとテッパンでいいですね。いい役者が適材適所でちゃんと芝居を見せてくれる。渋川さんは女相撲の当主としてどっしりと構えているからこそ、周りの女性たちも自由に動いているように見えました。


 そして、とにかく主役の4人の並べ方が素敵です。東出さんと韓さんという出演作も豊富で演技達者な2人と、役者としてのキャリアがまだ浅い、木竜麻生さんと寛一郎さんの2人を組み合わせる。劇中でも、寛一郎さんは東出さんと、木竜さんは韓さんと先輩後輩という立ち位置で。劇中で演じるキャラクター同様に、「ここで役者として勝負しないとダメだぞ」という瀬々監督からのメッセージがある。そして先輩たちもそういった荒波に放り込まれた中で自身を磨き上げてきたキャリアを持っている。


 名刺になるような“代表作”を得るためには、ここまでやらないといけないぞという気概が、監督からだけではなく、役者からも伝わってくるんです。東出さんのキャリアも面白いですよね。デビュー作『桐島、部活やめるってよ』では、校内ヒエラルキーで上位で何でもできるけど自分自身に燃えるものがなく、どうしていいか分からない高校生・宏樹を好演していました。その後も、『クローズ EXPLODE』で豊田利晃監督、『GONIN サーガ』で石井隆監督、『クリーピー 偽りの隣人』で黒沢清監督、『関ヶ原』で原田眞人監督など、挙げていったらキリがないほど、わずか数年間の間に多くの“作家”と仕事をしています。テレビドラマにも数多く出演されていますが、あくまで自分の嗅覚でそのときにしかできない仕事を選びとっている感じ。30代に入り、引っ張れる若手ではなく、引っ張っる側に回っているのがまたすごいですね。作品の選び方に役者としての誠実さが表れていますね。


 女力士のキャスティングも素晴らしいです。最初に映ったカットでどんな事情をもって、女相撲の世界に足を踏み入れたのかが垣間見えます。嘉門洋子さん、山田真歩さん、そして和田光沙さん。和田さんは、サトウトシキ監督や、堀禎一監督のピンク映画にも出演されている女優さんなんですが、それぞれの持ち味を最初のシーンではっきりと見せてくるんです。瀬々さんのキャスティングは、役になりきってくださいというよりも、役者自身が持つ個性をとても上手く活かしている。


 常識から外れたものを徹底的に叩く風潮や、政府への不信感、さまざまな偏見や差別など、本作が描いてるテーマは、現在の日本を思わずにはいられないものばかりです。その一方で、誰でも経験しうるごくごく私的な感情も描かれています。古田大次郎(寛一郎)が花菊(木竜麻生)の夫(篠原篤)に向かって爆弾を投げ込む姿が象徴的なように、結局最後は個人的な思いが人を動かすんだと。「アナーキスト」という肩書だけで、僕たちとは遠い世界の人間だと思いがちですが、生身で生きていた人って今と大きくは変わらないんだなと改めて思うわけです。それがこういう映画を観る面白さでもありますね。


 僕はこの映画を観て、20年ほど前の自分を思い出しました。瀬々監督を含むピンク四天王、いまおかしんじさんらが七福神と呼ばれていた頃のピンク映画館だったり、その製作会社の国映のマンションの一室だったり、犯罪ギリギリのゲリラ撮影だったり。いま、手持ちの武器はこれしかない、でもそこで何をやるか、というのがかつてのピンク映画イメージです。僕にとって瀬々監督は破綻を恐れないというか、勝ち負けで映画を撮ってる人ではないんです。そのときそのときの志をぶつけるというか、この1本を作ったことで次に何ができるかというのを考えている。瀬々さんのフィルモグラフィは1本1本の完成度を高めていくというよりも、今回はここを重視しようという連続性が見えてくる監督なんです。僕はそういう姿勢に大きな影響を受けていますね。(松江哲明)